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壊れちゃえばいいとか、もう言えない

最後に、誰かを本気で好きになる片思いをしたのは、いつだっただろう。
「一緒にいて楽しい」とか「ちょっと気になる」とかではなくて、何もできないまま好きな気持ちをひた隠しにして、壊れそうなくらい気持ちを抑え込んで、そんな恋を最後にしたのは、いつだっただろう。

ふと、昔一緒のサークルでちょっとした有名人だった人を思い出した。
彼、今何してるんだろうなと思い、検索をかけた。
そうすると、私が知っていたのよりもっと若い彼の顔の隣には、昔好きだった人の顔が映り込んでいた。
なんだか気になってしまって、SNSのメッセージのやりとりとか、当時の活動の記録とか、もうなんの意味ももたないものたちを、気づいたら夢中になって読み返していた。

本気の恋をしたのは、結局何回だったんだろう。
そのどれもが、全くと言っていいほど叶わなかった。
メッセージひとつ送るのに何時間もかけて、自然な流れで会える日を心待ちにして。
二人きりで会えた日がある人も、そんなことにすらなれなかった人も。
あの頃のことを思い返すと、今だから幸せのように見える切なさも、ただひたすら苦しく重たくて、甘さがゼロの酸っぱさだった。

特別じゃないふりをして渡したバレンタインのお菓子や、"あなた"ではなく"その旅先"に興味があるふりをして聞いた旅先の思い出。
他愛もない言葉に動揺して、触れた指先の意味を検索して。
ただ好きだからだけで、好きな気持ちと苦しさを抱え続けて生きていたような、あんな恋はもう、したくてもきっと、できないと思う。

読み返したメッセージは、今でも苦しいくらい切ない気持ちに揺り戻してくる。
だけど、あの頃あんなに好きだったうちの何人かとは、その後また話したりメッセージのやりとりをしたりして、価値観が変わってそういう気持ちがもう自分にもないことを感じたり、関係を続けていけなくなってしまうようなことになったり、した。
あとの何人かとは、そんな続きの話ができないくらいの距離感になってしまったし、もう今更会わない方がいいんだって、先の人たちとの経験で思い知らされた。

茶太の「片想い」という曲が好きで、大学生の頃よく聞いていた。
今もたまに頭の中に流れてくるくらい、大好きで繰り返し聞いていた。

「壊れちゃえばいい」とか言えるほど狂わしいほどの恋は、きっともうできない。
社会人になってから、「ちょっと気になる」程度の人はできても、そんなこと一回もなかったな。
今からそれをする機会ができたとしても、今からそれをしたいと思えるほどもう、私はなんだかエネルギーがない。

片思いの時間が一番楽しいとか、今ならそんなことを言われた意味がわかった気がする。
そんなこと言ってくる人は大抵その先を知っていて、そんなの余裕がある人の絵空事だと思っていたけれど。

今日がこの人と会える最後の日だとわかっていながら、カラオケのドリンクバーで二人きり、コップを手渡されて話しかけられた日のことを、今でもたまに思い出す。

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