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コーチング セッション#4

他者がカウンセリングやコーチングの場でどんなことを話しているのか、気になっていくつか読んだりもしているのだけど、なんだか他の人は私よりも受けた後にポジティブな感想を持っているように感じる。
頭の中の整理はされたような、自分で後からし直さないといけないことが増えるような、もやもや感。
セッションがあるからそこまで苦しい気持ちを抱えたままでも頑張ろうと思うものの、それが終わるとそれはそれで苦しくて、その苦しい気持ちをまた誰かに話して楽になろうとして正論を言われ、どんどん苦しむ。
結局永遠に苦しい。
多くの人が無意識的に越えられているハードルが、私がやばいやつ過ぎていつになっても越えられない大きいものになっているんだろうか。

今回のテーマは打たれ弱いことについて。
なんというか、いまだにすぐに泣いてしまう。
壊れていた時期と違って流石にそんなに頻度は多くないけれど、まぁ数ヵ月に一度は「具体的に何かがあって」人前で涙目になってしまう。

話をしていく中で、特に打たれ弱くなってしまうシーンは自分が「出来て当然と人から思われているであろう(と自分が思っている)ことができていない」状況だということに行きついた。
結局それでは打たれ弱いのは変わらないけれど、ひとまずそういう出来て当然だと人から思われているであろうこと、で指摘を受けることそのものをなくすために、出来て当然だと思われるであろうことをできるようにしていくことになった。
泣かない自分にならなくては、と思うのは泣いていても許されるのは若いうちだけという意識があるからで、でもそれは実際多くのシーンで正しいと思う。
最早そういうゾーンは既に終わっている。

基本的なことができている状態になるために、物事の目的を意識して何が必要なことなのか気が付けるようにしていくことになった。
これは言いたいことがそもそもなくて発言できない問題にも繋がるかもしれない。
いろんなことを考えていないせいで、弊害が色々なところに出ている。
問題の根源は思考停止で、その次に書くことで言語化すること、それから話し言葉で人に伝えること、という感じだろうか。

今回いつもより始まる前からそもそも苦しい気分だったこともあって、セッションが終わったあとに苦しすぎて恋人に電話したら、余計苦しくなった。
あなたの問題は全部コミュニケーションに繋がる、考えることはもうこれ以上やっても意味ないだろうから行動するしかない、怒られない道を探るよりたくさん失敗して怒られて経験を積むのがいい、これまでも繰り返し伝えられていたそういった趣旨のことを言われて、それらと現状のギャップを埋めるための小さな行動として提示される物事が、あまりに遠いこと過ぎて結局また泣いた。

今回コーチングで出した結論は怒られなくなるための方法を探すことで撃たれ弱いことが表に出てしまう機会を減らすだけだから、本質的に打たれ強くなるためとはまた違う。
打たれ強くは、なりたいけれど、じゃあどうやってというところが全く見えてこない。
怒られる経験をしろと言われても、それが必要なのはわかるのだけど、どういうシーンで何をして怒られることが意味のあることなのか、正直ずっとよくわからない。
怒られないように頑張ってきた人生だって、頑張り方は間違っていたけれど頑張ってやってきたことだ。
苦しいことを苦しいと思い続けてきたことだって、解決に繋がることはできなかったけれど本当に苦しんできた。
意味のない頑張りや苦しみをしてしまったかもしれないけれど、それもちゃんと頑張ってやっていたし、苦しいことを経験してきたということを、私は上手く伝えられない。
本当は正しく頑張らないと何も解決しないし、改善思考に向かなかった時間が無意味なのも正論かもしれないけれど、それでも過ごした時間が本物だったことを、切り捨てないでほしいと思ってしまう。

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