私は今日も、選択している

人生は、選択の繰り返しだ。
その中には習慣的にそれを選択し続けていたり、自動思考的に考えずにそういうものとして選んでいるものもたくさんある。
自分がしたくてやったことに気が付くということは、選択に自覚的になるということなのかもしれない。

声をかけることにハードルのある人を目の前にして、何も声をかけずに外に出るという「選択」をしてしまった。
本当は、声をかけることが正解。
孤独で馴染めなくて苦しいと何度も言い続ける一方で、自分から声をかけることや馴染もうとすることを一切していない。
そういう自分の苦しさを解決するのとは真逆の選択を繰り返している。

ホームに入ってきた電車を横目に、自動販売機でコーンスープを購入した。
コーンを振って飲みながら、あぁ今コーンスープを飲みたいから買ったんだ、と認識する。
コーンスープは買わなくてもよかったけれど、私はそれが飲みたいから購入することを「選択」した。
要はどちらも、自分で選択して行動している。

私はこうだからこれができないという枠に逃げてしまいそうになるけれど、これまで繰り返し言われてきたことはそこから抜け出しましょうということで、私は人と話すことが苦手で馴染めない、という枠に捕らわれて、そこから抜け出すための日々の選択を全くできていない。
なんなら真逆の選択ばかりしているのだから、いつまで経ってもそうなれないのは必然だ。

今苦しく感じることは、日々の選択の結果だ。
頑張って話すことではなく、苦しいから話さないことを選択し続けたら、その選択の結果が現実に反映される。
どうなりたいか・何が嫌かを解決するための行動は、日々選択している事柄がどこに繋がるのか考えると見えてくる。
解決するための選択をとることが、逃げたいくらい苦しいことには変わりがないけれど。
ここを変えましょうということが、今必要な一番の要素なんだろうな。

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