マガジンのカバー画像

抑うつ状態とは、どういうものか。

107
自分自身へ、同じような症状で悩まれている方、またその周りの方々へ。 私が自分の抑うつ状態と向き合った日々のnoteをまとめます。「素敵な向き合い方」だと感じた時には他のnoter…
運営しているクリエイター

#雑記

あの日々の麺と涙を啜る夜思い返して研ぐ白米よ
理由なく涙が出る日もある。いろんな感情が押し寄せて、何もできなくて、非常用のカップ麺を啜る。味が感じられないことを思い出す。
あの日々を繰り返さないために、明日の私へのエールとして白米をジャリシャリと研ぐ夜。

まとまらない気持ち

まとまらない気持ち

私の気持ちは、なんだか最近まとまらない。
悲しくないのに涙が出てきたり、身体が軋むように痛かったり、疲れたなという言葉が自動的に出てくるようになったからだろうか。
やじろべぇのように、どうしよう、このままでいいのかな、とふわふわとしつつ、心の中はとってもざわざわしているのだ。

ざわざわを収める方法は、原因の排除だけれども、それが簡単にできるのならばここまでの状態にならないだろう。
だから、違う方

もっとみる

引っ越してからもう10ヶ月ほど経つ。
少しでも周りの環境を知ろうと歩いて5分ほどの距離の公園に来たことがあった。
そして公園の端っこのこのベンチで挫折した。(あ、駄目だ、Uターンして戻ろう。)

今朝はこのベンチを起点にウォーキングをした。体力も気力も少しずつ回復しているかも。

ぽんコツ子の成長

ぽんコツ子の成長

私は今でも偶に、自分自身のことを「ぽんコツ子」と呼ぶことがある。ドン小西さん的なイントネーションで、「ぽん•コツ子」である。

この呼称を使うようになったのは、1年半ほど前だろうか。定かではないが、休職期間中であったことは確かだ。
何をやってもダメなことが続き、「私は、ポンコツです。」と布団にくるまって泣きながら休んでいた頃だったと記憶している。

例えば、張り切って買い物に出かけたのに、スーパー

もっとみる

自分で自分を責めることは、反省とは違う。責めることは大概客観的というより、主観的な自己批判になりがち。その点、反省は客観的に何故そのような事になったのか考察し次に活かす為のステップになりうる。たまに「易怒性」のようなものが顕れる。それが大体どういった条件が揃った時か分かってきた。

休みの日には、仕事のこと、会社のこと、休み明けのことをなるべく考えないようにする。
これが、復職後に私が始めた習慣だ。
でも、頭に浮かんできてしまったり、休みに仕事関係の勉強をしようとしたり、意識が先行することが多々ある。
本来はそれも良いのかもしれない。でも今じゃない。今じゃ、

夜を乗り切ると朝が来る、というよりは、朝を待つために夜を乗り切っているといった方が現状に近い。

朝は好きだ。

でも、夜だって好きになりたい。

贅沢だろうか、いや、まだ夜を諦めるのは早すぎる気がする。工夫してみよう!

疲れ果てて寝た夜に、必ず脳裏をよぎる事がある。

(取り戻さなきゃ、なにかしなくちゃ。)

でも、それをすると生活がぐちゃふにゃになることは既に経験済みなわけで。

そんな訳で私は今日も、眠くなるまで深夜にnoteを読んでいる

だからこそ出来ること

だからこそ出来ること

「障害者手帳を持っている人は、残念ながら昇級しづらい。」
「あの人は、病んじゃったんだよね。」
これを聞かされるのは何度目だろう。
(だからなんだ)というのだろう。

ちなみに私には昇級欲はない。
多分あるのは承認欲求だけなのだと思う。

産み育てることが可能な性であるし、近い将来そうした休みを取るとしたら、昇級が遅くなることくらい目に見えている。
傍目にも分かるだろうし、自分でも布石を打っていて

もっとみる
「みんないろいろある」の不思議

「みんないろいろある」の不思議

「みんないろいろあるから」といわれるのと、
「みんなどんどん背負うものが増えて、段々下ろしていくんだよ。」といわれるの、あなたはどちらが良いですか?

私は後者の方が響きます。なんだか納得できるから。自分の周りを見渡す度、その人たちにとって、何が大変で、その身に何が起きているのかよく分からなかった。

でも、階段を少しずつ登ってきて、後ろを振り返ると、(あぁ、こういうケースや悩みもあったのか)とわ

もっとみる

ドクダミ茶ってあるけど、心の中のどろんどろんの毒も体外に出してくれないかな。こんなに溜まっていたとは知らなかったよ。私は一体何に怒っているの?いろんな要素が結合と分解を繰り返して変な化合物が出来たよ。

共に歩こう、と思った。緊張とは違うそわそわ感が私を覆っても、それはその時に出てきた私の一部。だから、慌てないで、共存する日々を重ねていけば良いのだと。自分のペースでゆっくりと。周りに分かって欲しくないわけではないけれど、分かりきることは難しい。だから私が私を分かっていこうと思う。

葛藤は、蔦のようにずるずるとクネクネと形を変えて私の周りを這う。なんでこんな風に考えてしまうのだろうか、もう少しどうにかならなかっただろうか、と。
でも、そう考えれるようになった自分に自信を持ちたい。変化していきたい。
だから、この感情も切り捨てずノートに切り取っておこう。

処方薬の量を調整してもらった。それだけで視界が晴れた。つい最近までイライラしていた場面でも、特に何も感じない。あぁ、なんて小さな考え方をしていたんだろう、とすら思える。
でも、その時私の中に負の感情があったことは事実なのだ。
「症状に起因する」というのは結果論に過ぎない。