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【開催記録】「対立の炎にとどまる」読書会:ファシリテーターの人間観についての探求記録

今回は、アーノルド・ミンデル著『対立の炎にとどまる(原題:Sitting in the fire)』を扱った読書会の開催記録です。


読書会開催のきっかけ

私は読書が好きです。小説、絵本、漫画、専門書など、気になったものがあれば何でも手を出す雑食であり、本の虫と言えるかもしれません。

そして私は、生業として対話の場づくりファシリテーションといった方法を用いて、人と人の集まる場を目的の実現に向けて協力しあっていけるようにするお手伝いをしています。

私自身は現在、『世代を超えて豊かに育っていく関係性、組織・社会の仕組みづくり』というものをめざして日々、これらの知見を個人、組織、コミュニティで紹介したり、実践を続けているのですが、その学びと探求の過程でさまざまな流派の知識体系、技術、哲学、事例に触れることとなりました。

そしてその中で、何年も語り継いでいきたい大切な知恵が詰まった本を、興味関心の合う仲間たちと時間をかけて丁寧に読み込み、対話することの重要性を感じるようになりました。

現在、毎月一回程度のペースで読書会を続けていますが、その中で大切にしていきたいことは以下の3つです。

少人数でじっくり1冊のテーマについて語り合う場をつくろう

本からの学びを、日々の実践につなげるための仕組みをつくろう

ゆるくしなやかな、種が芽吹いて育っていくような関係性を築いていこう

主催する私個人としては、読書会用に選書している(そしておそらくこれから選書するであろう別の)書籍は、一度サッと目を通して理解できたり、その叡智を実践することが難しいと感じられるものばかりです。

読書会の場は、次の世代に伝えたい大切な叡智を扱う場として、一冊一冊の知見が自分の子どもや孫世代まで伝わっていくような、そんな気の長い関わり方をできればと考えています。

語り継いでいきたい大切な知恵を、共感しあえる多くの人と分かち合う』そのための場としてこの読書会を設定し、参加者それぞれのタイミングで入れ替わりながらも豊かな関係性を紡ぎ、継続していきたい。

このような思いから、月に一度のこの指とまれ方式の読書会は始まりました。

さらに詳しくは以下の記事もご覧ください。

アーノルド・ミンデルとは?

本書の著者アーノルド・ミンデル(Arnold Mindell)は、プロセス指向心理学(Process-Oriented Psychology)、また、それらを対人支援・対集団支援へ活かしたプロセスワーク(Process Work)の創始者として知られる人物です。

1940年1月1日にアメリカ・ニューヨーク州生まれのアーノルド・ミンデルは、アーニー(Arny)の愛称で呼ばれ、現在はパートナーのエイミー・ミンデル(Amy Mindell)と活動を共にしています。

幼少期の経験について、ミンデルは以下のように述べています。

第二次世界大戦が勃発したちょうどその頃、私はニューヨーク州北部の小さな町で生まれた。小学1年生になる頃には、自分を取り巻く世界全体が反ユダヤ主義であるように見えた。他の子どもたちが私のことを醜い反ユダヤ的な名前で呼び、寄ってたかって攻撃してきたとき、自分の家族がユダヤ系であることを初めて自覚した。

アーノルド・ミンデル『対立の炎にとどまる』p245

その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)で工学と言語学、大学院では理論物理学を学んでいたミンデルは、留学先のスイス・チューリヒでユング心理学と出逢います。
1969年にユング派分析家の資格を取得したミンデルは、ユング派が得意とする個人が見る夢の解釈のあり方を広げ、それを身体、グループ、世界へと展開していきます。
その考えはユング心理学の枠組みを大きく超えたものであり、1991年にアメリカ・オレゴン州に拠点を移したミンデルは、プロセスワークセンターを設立します。(下記リンクは、現在の組織体であるProcess Work Insutitute)

これ以降、ミンデルはタオイズムや禅といった東洋思想、シャーマニズムの概念を援用しながら自身の考えを語るようになりました。

アーノルド・ミンデルの思想との出会い

私とアーノルド・ミンデル氏の初めての出会いは、 廣水 乃生 さんが講師としてやってきた『場づくりカレッジ』という場づくり・ファシリテーションを学び、実践するプログラムでした。
その際に初めて私は、人の集団では表面的なやりとり以上に非言語の、明確化されていないメッセージのやりとりが行われていること、そのような場をファシリテーションするとき、ファシリテーターはそのダイナミクスの構造を捉え、違和感やメッセージに対する自覚を高める必要がある、といったことを体系的に学んだと記憶しています。

その学びに何か確信的なものを感じたのか、以降私は『紛争の心理学』『ディープ・デモクラシーと、どんどん日本語訳されたミンデルの書籍を手に取り、それらの原著も取り寄せるまでに至ります。
ところで、どうして原題は『Sitting in the Fire(炎の中に座る)』なのでしょうか?

そのような問いを持ってみると、同じようなタイトルの本も見つかるではありませんか。ラリー・ドレスラー著『Standing in the Fire(邦題:『プロフェッショナル・ファシリテーター』)』です。

2017年以降、私は組織・集団のプロジェクトや、ワークショップを運営するファシリテーターを生業としてきました。
その中で、グループ内の葛藤や対立が深まる中で一触即発の場面や、暴力性が噴出するような場面にも遭遇してきました。

そのような時、ファシリテーターとしての私は文字通り炎に焼かれるような緊張感、緊迫感、存在を揺さぶられるような危機感に身を置かれます。

この場はどうなるのか…
不用意な一言が暴発を招いてしまうのではないか…
次に口火を切るのは誰か…
ここの場の人間関係も決定的な破局になってしまうのか…
ミーティングの残り時間で何かの形で決着させられるのか…
自分にできることは何か…

それでも、そんな中でも、対立を超えたその先に、より良い未来を描きたい…と願い、自分の存在を投げ出すような覚悟と決心を持って場に臨み、真摯にファシリテーターとしての役割を全うする。

そのような体験で感じていたものが、『』ではなかろうか、というのが私の仮説です。

初めての邂逅以来、アーノルド・ミンデル氏が創始したプロセス指向心理学、プロセスワークを実践するプロセスワーカーの方々とも出会い、対話を重ねてくる中で今ここに至りますが、『紛争の心理学』は2022年12月に『対立の炎にとどまる』として復刊され、再び本書と縁が結ばれました。

そして、今回の読書会を思い立つ前に、本書の出版直後、アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎(ABD)という読書会が連続企画として開催され、私もその場にも参加しておりました。
※全3回シリーズの『対立の炎にとどまる』ABD読書会の第1回第2回第3回の参加記録はリンクを、アクティブ・ブック・ダイアローグ®︎(ABD)については以下も参考までにご覧ください。

読書会を通じての気づき・学び

読書会の運営方法

読書会の運営方法は、今回の読書会の呼びかけにいち早く反応してくれた友人のアドバイスを参考にしながら進めることにしました。

極力、プログラム的な要素は削ぎ落としつつ、シンプルに対話を重視した構成を行おう、という方針を意識しつつ運営方法を考えることとなりました。

まず、以下のようなオンライン上のシートをJamboardで準備しました。

入力前のJamboard

読書会を始める前の準備として、初めの一言を1人ずつ話した後、上記のオレンジ、黄緑のテーマについて再び1人ずつ話してもらいます。

その後、水色の付箋の書き出しの時間を設けた後は、その水色の付箋について対話・探求を進めていくことにしました。

読書会の最後は、沈黙の時間を設けた後、1人ずつ今回の感想を話して終了となりました。

この間の開催時間は約120分。

個人的な感覚としては、オンラインとは思えないほど生々しいプロセスが生起し、チェックアウトでも参加者の皆さんがそのように話されていたのが印象的な時間でした。

パワーとランクについての探求

今回の読書会の最初に扱われることとなったテーマは、パワーとランクについてでした。

アーノルド・ミンデルの思想において、ランクという言葉は重要な概念です。

ランクとは、どのような人にも自然に備わる属性およびその属性による集団内での影響力の差をもたらす要素を指します。

これらの要素には人種、言語、年齢、性別、社会的地位、宗教、経験などが含まれますが、これらはある集団内で無自覚に扱われることで時に被害者、犠牲者を生み出してしまうことになります。

かつての日本の家父長制的な家族であれば、性別のランクにおいて女性よりも男性が優位とされ、アパルトヘイトが存在していた当時の南アフリカであれば、白人が黒人よりも社会的地位が高く、制度上の優遇も受けられ、心理的にも優位に立てる、といった例が挙げられます。

ランクは、より劣位に置かれる人ほど自覚しやすく、優位にある人ほど無自覚になりがちなものです。

このようなランク差の問題については、アーノルド・ミンデルの名前やランクという用語は直接出ないものの、NHKやビジネス文脈でも扱われています。

対話の中では、以下のような論点が出てきました。

ランクが発生するのは、ある集団内に区切られた時。それは、会社組織であったり、家族であったり、趣味のつながりのサークルであったりする。

このような認識に立ってみると、ランクのよるパワーの不均衡を解消し、一人ひとりがポテンシャルや持てる能力を伸び伸び発揮していくには、その集団内にある共通の、価値やビジョンを持つことが重要ではないか?

ランク差を超えて大事にしたい価値観やビジョンを掲げて、集団内の成員一人ひとりがそれに合意していければ、ディープデモクラシー(深層民主主義)に近づいていけるのではないか?

もし仮に、ある集団内でランク差を超えて大事にしたい価値観やビジョンを掲げ、それに同意していくとなった時に大事になるのは、アウェアネス(気づき)ではないか?

少なくとも、そのような価値観やビジョンを掲げるためにはその集団内で「このようなランクが存在する」という気づきや理解がないかぎり、それは起こらない。

だとしたら、どのような形で集団内での気づきを促していけるか?

私たちはこの知見をどのように有意義に活用できるか?

その後、対話を経て辿り着いた次のテーマは、プロセスワークをはじめとするアーノルド・ミンデルの生み出した知見を、私たちはいかに有意義に活用していけるか?についてでした。

このテーマに移る前、『たとえある集団内やあるプロジェクトを立ち上げる際にランクを意識し、それによる理不尽な抑圧が起こらないように配慮しても、それでも被害者・犠牲者は出てくるのではないか?』という懸念がテーマとして扱われました。

これに対して出てきたアイデアは、『プロセスワークをはじめとするアーノルド・ミンデルの知見に触れている、私たち一人ひとりの場に対するあり方・人間観の重要性』でした。

その場に起こりうるあらゆるランク差を完全に認識することは難しく、アーノルド・ミンデルすらもこれまでの経験の中で無自覚な振る舞いによって場の参加者から攻撃的な振る舞いを受けていることもあります。

しかし、

いざ対立が起こったときにどのように対処したいか?
(ex.黙殺する、対立の炎の中に座る、押さえつける、寄り添う)

そもそも私たちはどのような人間観を持っているか?
(ex.みんなと仲良くしたい、誰もが私を利用しようとしてくる信頼できない存在、感情的で不合理だ、合理性だけではなく感情や価値観を大事にしたい、私たちは既に人間を超えた大きな存在に包まれながら繋がっている)

これに自覚的になることで、ランク、パワー、それらを包含するプロセスワークやアーノルド・ミンデルの知見をどのように扱うか?が変わってくるように感じました。

仮に場を運営するファシリテーターの人間観が『人は、感情的で不合理だ。大切なのは合理性であり、具体的な解決だ』という認識が強ければ、いざ感情的な対立が起こった際は『感情的な問題は切り捨て、合理的な解決策を導き出す』ことを優先するかもしれません。

これは、たとえアーノルド・ミンデルの知見を学んでいたとしても、いざ土壇場で下される判断は、このような経路を辿る可能性があると考えられるためです。

また、私たちが日々接することができる人には限界があります。

日常的に国の総理大臣とコミュニケーションを取る人もいれば、学校の教員として子どもたちと接することが多い人もいます。

そのようにさまざまな人がさまざまなシチュエーションで人と接するわけですが、どのような人間観を持っているかで、その接し方も変わってくることが考えられます。

では、

私たち自身はどのような人間観を持っているでしょうか?

その人間観を持ちつつ、私たちは日々どのような人々と接しているでしょうか?

私たちが本当に望む人間関係のあり方はどのようなものでしょうか?

このような問いについて探求を深めてみることも面白いかもしれません。
こういったテーマを話している中で、今回は時間となりました。

会を重ねるごとに徐々に対話は深みを増し、オンラインとは思えないほど互いの息遣いや気配といったものが場を動かしているという感覚をより鋭敏に感じるようになってきたように思います。

今後も、継続的に会を開催していく中で同じ知見をわかちあっていける仲間を少しずつ増やしていければと思います。

参考リンク

最後に、今回の読書会中に出てきたキーワードの関連リンクを改めてまとめておきたいと思います。

組織と関係性のためのシステムコーチング®︎(ORSC®︎)

システムコーチング(ORSC)関連書籍と読書会

ディープデモクラシー(深層民主主義)

廣水乃生さん

https://ochi.me/norio-hiromizu-sdgs-sustainability-no1.html


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