見出し画像

青年海外協力隊になる前、2ヵ月間1人旅した話①「派遣中に死んでしまったら何を後悔するか考えた結果、旅をすることにした」

大学4年の2月、バイトから家に帰ると、ポストに1通の封筒が入っていた。

JICAからだった。

当時、私はJICAの事業の1つである青年海外協力隊に応募していて、2次試験の結果を待っているところだった。だから、この封筒の中身は合否結果の通知だとすぐに分かった。

2次試験に受かれば、晴れて青年海外協力隊に合格となる。

私は急いで家の中に入り、ハサミを探し回り、封を切った。


合格だった。

「合格」という文字を何度も何度も見返した。「本当に合格したんだ・・・!」と思ったら、ほっとして、顔が自然と笑顔になった。


次に、派遣隊次を見てみる。

「2019年2次隊」。

派遣時期は2019年12月ごろ、派遣前訓練(青年海外協力隊は派遣される前に2か月間の訓練がある)が始まるのは2019年9月。つまり、私は大学卒業から2019年9月ごろまで自由の身だ。

それまで何をして過ごそうか?バイト?


しばらく考えた後、私は思った。

青年海外協力隊が派遣される場所って、大抵日本よりも治安や交通事情が悪いし、活動中に亡くなってしまった人もいると聞く。

死ぬ確率がどれくらいかは分からないけれど、少なくとも日本で生活するよりかは死が身近なのだろう。

(注:JICAや現地調整員の方々は協力隊の安全を1番に考え、サポートしてくださっている。実際に活動してみても、そこまで危ないと感じることは私の場合なかった。当時の私は、今よりも協力隊=危険 みたいなイメージを持っていた)

じゃあもし、私がこの協力隊の期間中に死んでしまうとしたら、私は1番何を後悔するのだろう?


そして、私の頭に思い浮かんだのが「世界中を旅すること」。

多分、私はこのまま死んだら「世界中にある、行くべき場所に行かず、見るべきものを見なかったこと」を後悔して死ぬと思う。

少なくとも「バイトしなかったこと」を後悔して死ぬことはない。


よし、派遣前訓練が始まるまで、バックパッカー1人旅をすることにしよう!


そうと決めてからは、空いている時間をほぼバイトに充てた。当時バイトしていた不動産屋で、正社員並みにシフトに入って、残業があれば残業もした。

卒業研究のまとめに追い込まれつつ、旅の情報収集もした。


そして、旅行時期が決定した。

旅行は4月中旬~6月中旬にかけてやることにした。

7月以降は青年海外協力隊に必要な書類提出や、e-ラーニングを利用した語学事前学習があるからだ。


大学を無事卒業してからは1人暮らししていた家を離れ、宮崎の実家に戻った。

実家に帰ってからも、旅に必要な物や薬を買ったり、予防接種を受けたり、急ピッチで旅の準備をしていた。

でも、まだ1つ、大事なことを決めていなかった。


「どこから旅をスタートさせようか?」

なんとなくアジア~ヨーロッパを旅しようと思っていたけれど、まだスタート地点を決めていない。


ある日、コタツに入ってなんとなくテレビを観ていた。

その時見ていたテレビ番組が、たまたま中国の西安の特集をしていた。

歴史の教科書で見た「兵馬俑」や、城壁に囲まれた古い町並みに惹きつけられた。

そして、この西安がかつてシルクロードの東の起点だったことを知る。

直感で「ここから旅を始めよう」と思った。


その日の夜にインターネットで西安・咸陽国際空港行きの一番安いチケットをとった。

航空券を買ったことで、一気にこの旅が実現されることを実感した。

「本当に行けるんだ!」とすごくワクワクした。


そんなこんなで2019年4月16日、バックパックと期待と不安を持ち、12時45分発の飛行機に乗るために宮崎空港にやってきた。

まずは乗り換え地の仁川国際空港(韓国)に向かうために、アシアナ航空のチェックインカウンターに向かう。

パスポートとeチケットを見せると、チェックインカウンターのお姉さんがこう言った。

「こちらのチケット、預入手荷物の料金が入っていません。お荷物をお預け入れになる場合、追加料金が発生しますがよろしいでしょうか?」


・・・え?よろしくない・・・。

このときの航空券がまた安くて、その理由が預入手荷物の料金がチケットに含まれていなかったからだった。

この事実に気づいていなかった私は、バックパックを手荷物として飛行機に乗ることにした(手荷物にできる大きさだった。荷物を少なくして良かった)。

バックパックに入れていたシャンプーや化粧水などの液体物を取り出し、見送りに来ていた親に持って帰ってもらうことになった。

最初からやらかしてしまったけれど、なんとか飛行機に乗り込むことができた。シャンプーや化粧水は中国で買えばいいや。


中国の西安はどんなところなのだろう。これから先どんなことが起こるのだろう・・・。


飛行機は仁川国際空港に向けて飛び立った。



ドミニカ共和国から緊急一時帰国して7日目。

相変わらずホテル待機生活が続いていて、noteに書くこともなくなってきたので、青年海外協力隊になる前にバックパッカー旅したとき(2019年4月16日~6月20日)のことを書くことにした。

旅の話を書いていると脳内が旅している気分になるので、リフレッシュできる・・・気がする!


サポート代は、本代や経験代に使わせていただきます。そして、もっとおもしろい記事が書けるようにします!