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10年という年月を越えて

今年4月に都内某所で開催されたTWICEの非公式イベントにて 左から:私、知らない人

私柿沼優一は、今年4月で勤続10年を迎えた。うちの会社では勤続10年・20年・30年の勤続表彰制度があり、表彰と食事会を開いてくれる。
私は1991年生まれで現在32歳なので、人生の3分の1を中野製薬の社員として過ごしている。私の社会人としての変遷は以下の通り。

2013年4月~2019年3月   営業
2019年4月~2020年12月 商品企画・プロモーション
2021年1月~2021年12月 商品プロモーション・広報
2022年1月~       広報

10年と聞くとものすごく長い期間に聞こえるけど、実際に過ぎてみると入社したのがつい最近のことのように感じる。10年という時間を置き去りにしてきたかのように、めちゃくちゃ走ってパッと振り返ったら「あれ、もう10年経ってる」という感覚。
明日はそんな10年表彰の食事会を開いてくれることもあり、社会人として過ごした10年を振り返ってみたい。

チャプター1:「人」の暖かさ

私は小さい頃からありがたいことに、良好な家族や身内の関係性や、父親の仕事の都合で転勤族であり全国各地を転々としたことから、人と初対面だとしてもあまり壁を感じないタイプである。「知っている人と知らない人」という分け方をしないかもしれない。
このことに気がついたのは高校2年生の時に半年間アメリカ留学をしていた時だ。この半年間が今の自分を形成するうえでめちゃくちゃ大きな経験になってる。
ちなみにMBTI診断ではENFJ-Aである。

そんな背景から、いろんな人と出会って、いろんな経験をして、新しいことにチャレンジすることが好きであったため営業職を希望していた。
実際に入社してから東京支店で営業として過ごした6年間では、東京都内はもちろん、北海道、東北、神奈川の得意先を担当して、本当に多くの人にお世話になったし、かわいがってもらった。
担当のお客様に喜んでもらえた時も、うまくいかなかった時も、怒られた時もめちゃくちゃあったけど、一貫してブレなかったのは、”お客様(その人)が好き”ということだ。
どんな人でもバリアを張らずに好きから入るタイプであり、その人が困っているんだから何とかしたいという気持であった(数名からは何もしてもらってねーよと怒られそうだけど)。
そんな姿勢を見てくれてか、ありがたいことに本当に多くの方々にかわいがってもらったと思う。感謝してもしきれない。

チャプター2:心機一転

2019年4月1日、辞令を受けて営業からマーケティングの部署へ異動になり、本社がある京都市へ移ることになった。これが社会人としての大きな転機である。
私の母親は京都出身であり、小さいころから京都に住みたいと思っていたため、私にとっては好機到来だった。

京都が好きすぎて京都のことを紹介しているnoteも書いているので興味がある方はぜひご覧ください。

希望したわけではないが、もともと何かを創ったり、発信したりするのが好きで興味がある仕事であったため、何のためらいもなく受けた。
はじめに就いた仕事は商品企画・プロモーションだった。これまで営業で経験してきたことと全く異なる仕事であったため、違う会社に転職したような感覚だった。
実際にある美容師さんに協力してもらいながらヘアカラーブランドの企画からプロモーションまでを行ったのがすごくいい経験だった。
この時協力してくれた美容師さんと約4,000人の視聴者の前でLIVE配信対談をしたことはものすごく貴重な経験だったし、自信になっている。
商品を生み出すことのしんどさから、使ってくれた人に喜んでもらえることの喜び、あとは自分が企画したものだから全力で売ると言ってくれた元営業チームのみんなからの愛など経験できたことは一生の財産だと思う。

異動の直前はいろんな人が送別会を開いてくれて、9日連続で飲んでいた。上司の前でも担当のお客様の前でも泣いた。
最後の送別会の日も飲みすぎて、次の日は引越し業者のピンポンで起きた。しかも友達が手伝いに来てくれてたのにトイレで吐いて数時間寝ていた。
その節は失礼しました。

チャプター3:虚無からの脱却

商品企画に携わってから2年弱経った2020年のある日にまた事例が。今度は広報として東京に戻ることになった。
広報はそれまで前任者が京都本社から出張ベースで東京まで足を運んで活動していたが、今後はより迅速に動けるように東京に拠点を置くということで現職に就くことになった。
そこまでは良かったが、その年私は多大なタスクに追われてネガティブになり、文句ばかり言っていた。何もかもどうでもよかった。
特にやることが多いわりに、評価されないことに対して報われない感情からネガティブになり、仕事が面白くもなくなりいろいろと悩んでいた。
文句という形ではあったものの、今思えば自分の想いをぶつけたのが良かったし、それを見捨てずに聞き続けてくれた上司に感謝しかない。
その後チームの体制も変わったことで自分の中でも整理がつき、広報としての役割を見つめなおして、やるべきことに集中するようになった。
もともと何かを発信することが好きだった私は、結果的に集中できるようになったことでポジティブにいろいろとアイディアが出てくるようになり、気づけばいい意味で無意識に仕事のことを考えるようになった。
普段生活している中で、もちろん今も意識的に見たり考えたりすることもあるが、ある種の職業病みたいなもので、意識が無意識に変わった。

チャプター4:人生と仕事

2022年12月に自部署のボスの紹介で「ライジングアジェンダ」なるものに参加した。詳細は下記のnoteを見てもらいたいが、多種多様な企業から35歳以下のマーケター275名が参加するマーケティングの勉強会と人脈形成を目的とした交流会のようなもの。

ここで気づいたのは、世界はめちゃくちゃ広いなということだった。バカの感想みたいに聞こえるかもしれないけど本心で、まさにフーシャ村のことしか知らないルフィが海に出ていろんな世界を知っていろんな人と出会うのと同じような感覚だと思う。それくらい狭い視野で動いていた自分の目の前の景色がパーッと開けた感じだった。
もともと自分は仕事を「仕事」として分けて考えるのではなく、人生の一部として考えていて、出会う人も「会社の人」とか「仕事関係の人」という分け方はしていなかったけど、ここの参加者の多くは人生として仕事を楽しんでいるような印象があった。そこでいろんな人たちと話しているうちに、「仕事」は人生の一部であり楽しむものという向き合い方の大事さを改めて感じた。
ワークライフバランスと聞くと天秤をイメージする人も多いと思うけど、私は「人生」という円の中に「仕事」という円があるイメージで、その円の大きさのバランスのことだと思う。

私のワークライフバランスのイメージ(https://www.ctcsp.co.jp/itspice/entry/101.html)

最近ある友達と飲むと仕事の話になるけど、彼も彼の人生の中で仕事を楽しんでやっている。その状態になれるのは、「自分の好きなこと・得意なこと」という点と、「仕事」という点が線で繋がっているからだと思う。
30代というフェーズでこの状態になれているかどうかは、今後の人生を大きく左右するような気がする。知らんけど。

チャプター5:役目の変化

そうこうしているうちに、2023年1月からチーフ(主任クラス)に昇進することができた。私は遅咲きで、周囲の同世代や後輩までどんどん昇進する中で焦りを感じていた。文句ばかり言っていた時期はそんな焦りもあった。
役職に就いた今思うことは、「自分の役割を全うすることの大切さ」と、「焦ってなることよりも、なるべき時に、なるべき状態になっているかどうかが大事」ということ。
振り返れば虚無から脱却した時点で、自分の役割をしっかり把握して、それを全うすることができたから今の自分があると思う。
これに気づかせてくれた周りの人のサポートには本当に感謝している。
これからは自分が後輩たちに気づかさせてあげる役目だ。

そんなことを思いながらK-POPのオーディション番組を観てると、人を見る目とか育てることの勉強になるし、マジで泣ける。
柿沼優一32歳、どこへ向かうのか。

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