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テイクミー、バインミー

1人ではもう二度と辿り着けない旅先の場所というものに、生きてると時々巡り会う。

山道に慣れてる人に連れてってもらった険しい道の先にあるレストランとか、母の仕事相手のご友人がお住まいでいらした海外のおうちとか。貴重な機会を供してくれた感謝と珍しい経験の喜ばしさと同時に、もう一回というものは難しいんだろうなと思う切なさのようなものもある。

私にとってのそんな、もう1人では辿り着けないと思う場所のうちひとつが、ニューヨークのとあるベトナム料理屋さんだ。

きっかけは2018年のメットガラのテーマが発表された時に遡る。その時のテーマは、同年メトロポリタン美術館で開催された『Heavenly Bodies: Fashion and the Catholic Imagination (天国のボディー:ファッションとカトリックのイマジネーション)』にちなんだ「カトリック」だった。私自身は特定の信仰を持っていないが、キリスト教にまつわる美術に幼い頃から何度も心動かされてきたこともあり、ファッションの分野で展開されるそのうつくしさをどうしても見たくてその展示を観に夏休みを使ってニューヨークに行くことにしたのだ。

しかしどうせ行くなら誰かと分かち合う方が好きなこともあり、当時一番仲の良かった友人のサクちゃん(仮名)を軽い気持ちで誘ったのだ。ねえサクちゃん、私このタイミングで夏休み取るんだけど良かったら一緒にニューヨーク行かない?と。
すると、サクちゃんはお手本のような快諾をくれた。「ちょうどSATCが大好きになって何周も見てたから、行きたい!」とのことだった。私は当時見たことがなかったのでなんとなくしか知らなかったものの、それならばお互い楽しくなれそうだと思って嬉しかった。

そして、いざニューヨーク。
目当てにしていた展示は素晴らしかった。一着の中に大胆さと精緻さが混在する、美、美、美。ひとくちに「テーマはカトリック」といっても、バックグラウンドや精神性の根底に信仰があるとクリエイティブの解像度がこんなにも多様で深化されるものなのかという驚きに満ちていた。
誤解を恐れず正直な語彙で書くと、私は宗教美術が好きだ。人が何かを信じて捧げようとするとこんなに素晴らしいものを作れるのか、という生命体としての可能性に圧倒される感覚があるから。その不思議さを視覚を中心に全身に浴びた素晴らしい機会だった。

サクちゃんも展示を楽しんでいたが、彼女がいちばん喜んでいたのはメトロポリタン美術館の中庭と、そこに降り注ぐ大きな天窓からの陽光だった。言われて見つめたその景色は瑞々しくて本当に素敵だったけど、もしあのとき彼女と一緒にいなければ見過ごしてしまっていたといまでも思う。

サクちゃんは高校時代の友人で、私とは何もかもが真逆だった。お洒落な美人で、あまり人前に出ていくタイプではない。物質的なものを好み、髪型がコロコロかわってどれも似合っていた。明るい照明の飲食店が苦手で、古今東西のセンスの佳い音楽を知る。
お互いにインターネットばかり見ていたことや、志望校のジャンルが近かったので語彙が似ていて、何かを面白がるポイントも近かったので話していると本当に楽しかった。お互いに知っていることは一緒におもしろがり、お互いが知らないことは相手から吸収するようなやり取りをしていた気がする。
高校を卒業してからも定期的に会っては楽しく遊んでいたが、会わない間にそれぞれの時間が進んでいることを会うたびに実感していた。それでも、ずっと度々会ってはゲラゲラ笑い合える友達がいることを本当に嬉しいといつだって思っていた。

サクちゃんと行く真夏のニューヨークは刺激的だった。私にとってニューヨークという場所はタイムズスクエアとブロードウェイが主だったけど、ブルックリンに行って水辺にあるメリーゴーランドに乗ることも、大きな赤い橋を歩いて渡ることも、小さな入り口から地下に入ったところにあるWo hopという中華料理屋さんのTシャツがお洒落な人に人気なことも、リキュール入りの大人な風味のジェラートを食べることも、1日のうちに2〜3回ロケーションに合わせた可愛い服を着替えて出かけ直すことも、彼女と一緒じゃなきゃ知らなかったと思う。
お洒落で色彩に溢れていて、チル。今でもあの旅行を感謝している。

一方のサクちゃんはちょっと疲れていそうだった。私は旅行のとき、朝から晩まで予定を綿密に詰め、かつ街を知りたいのでたくさん歩く行程を好む。この手の旅を好む人とだと本当に楽しくていろんな場所に行ける喜びに震えるのだが、例えばカフェで往来する人をのんびり見つめるのが好きな人とだとお互いにもどかしかったりする。
普段からあまりたくさん歩くことがなかったサクちゃんも同じく、体力的に今日はもういっかな、となるタイミングがときどきあった。そのころの私は全然元気で、けど一人歩きはちょっと怖くて、きっと勿体なさそうな顔をしていたと思う。

その日の夜、眠るにはまだクリアだった頭で、私たちはどうして仲良くなれたんだろうと考えた。全然違うところがたくさんあって、でも大好きで。学校というのは不思議な場所だと今でも思う。きっと大人になってから出会っていたらあんなに打ち解けなかったかもしれない。同じ場所で毎日顔を合わせて、同じ時期に進路に匹敵する大きな問題に共に立ち向かっていたら大好きになっていたかもしれないひとって、きっと世の中にはいっぱいいるんだろうな。

最終日も近くなった日。
その日の晩御飯はサクちゃんが行ってみたかったと教えてくれたベトナム料理のお店だった。人種のサラダボウルのニューヨークには中華街のように街ごと異国の特色が流れる場所がたくさんあるのだが、それぞれがとても本格的な料理が楽しめると人気なのだった。その中でもサクちゃんが連れて行ってくれたお店はベトナム人街の中にある場所だった。朧げな記憶だが、電飾がうつくしくてターコイズブルーやピンクが印象的な店内だった。私はベトナム料理はフォーしか聞いたことがなかったが、ふとピアノの先生がベトナムに行った時に一番美味しかったといっていたことを思い出し、「バインミー」を注文してみた。サクちゃんはハーブがたくさん入ったフォーを頼んでいた。

バインミーとは、フランスパンのサンドイッチのようなものだった。
初めて食べるバインミーは目が覚めるほど美味しかった。野菜が元気というか新鮮で、パンは小麦の香りが一口ごとに炸裂する。パクチーの他にミントが入っていた気がするが、これらの香りが鼻から抜けるのが本当に美味しいのだ。食べ進めるとこっくりとまろやかながら主張の激しいレバーペーストはスパイスが効いていて、濃厚なのに全然くどくない。そこにこちらでいうなますのような漬物(ピクルスのほうが近いかも)が爽やかさをもたらして、柑橘の風味と共にレバーの思い出を美味しさに変えていく。
あっという間に食べ切ってしまったが、サクちゃんはおしゃべりしながらゆっくりフォーを楽しんでいた。そういえば、食べる速度も選ぶメニューもここに限らず全然違った。唯一思い出せる食事中の共通点は、黙って食べることだった。
本当に美味しかったそのレストランは場所も名前も夢の中の景色みたいに朧げで、きっともう1人では辿り着けない。

大人になったいま、サクちゃんとは会わなくなった。会う間隔が少しずつ開くたび、不思議なもので、久々に会える喜びは毎回あるけれどそれ以上に何を話そうかという迷いと沈黙と焦りが出てきてしまう。それなのに遠慮のいらない関係であると思うが故に遠慮のない話をしてしまったりして、そのたびに失礼なことをしたわけじゃないけれど価値観の違いというものの大きさを意識することが少なくなかった。
そうこうしてお互いの暮らしをもはやSNS越しでもわからなくなった頃、あ、彼女の中では私との友情はきっともう終わったんだなと思う出来事があってからというもの、連絡を取っていない。

サクちゃんとはいろんな場所に行ったし、いろんな話をした。記憶の中の学校、お互いの家、コンビニ、駅といった日常の風景にはいつもサクちゃんがいる。
旅先も思い返せばここだけでなく、台湾もハワイも一緒に行ってどこも本当に楽しかった。センスのいいサクちゃんといると必然的にいく場所や見聞きするものがお洒落で、その全てを私は知らなかったからとても感謝している。そういえばどの旅行も夏の気候だったから、きっと災害級の猛暑のいま、この話を書きたくなったんだろう。

実は今でも、どこかの旅でおそろいで買ったアクセサリーをつけたりするのだ。細いゴールドのブレスレットで、「Soul Sisters」と刻印が入っている。いろんな種類の刻印がある中で、「ねえやばいソウルシスターズだって!すごいじゃんwww」と見つけたそれを、いつもだったら笑うであろうサクちゃんが真面目な顔で「え、いいじゃん、お揃いならそれがいい。それにしようよ」と言ってくれたの、なんだか嬉しかったな。着けていくから袋はいらないと伝えて、そのあとしばらくお互いにずっとそのブレスレットをつけていた。買った時は笑ってしまったけど、あのときの私とサクちゃんは間違いなくSoul Sistersだと今でも思っている。サクちゃんにとって私がどういう存在かは今も昔もわからない。けれど、少なくとも私にとってはかけがえのない日々をくれたとても大切な友人だし、ありがとうという想いでいっぱいである。

最近になって母が、20年来疎遠になっていた友人とひょんなことからまた会うようになった話をしてくれた。20年後なんてまだ私にとっては途方もない未来の話だが、サクちゃんとまた会える日というものはどこかのタイミングであるのだろうか。
サクちゃん、もしそんな日が来たら、またあのベトナム料理屋さんに連れてってほしいな。バインミーはあの旅以来大好きになったけど、あの時一緒に食べたやつほど美味しいものにまだ巡り会えていない。そして、その時までもその時からも、それぞれの日々が元気で幸せで、ずっと楽しいものでありますように。

バインミー、大好き。

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