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行き過ぎた「正しさ」に中指を立てる | Red Bull 【くたばれ、正論】

2021年1月11日(成人の日)にRed Bull Japanが読売新聞朝刊に掲載した広告が波紋を生んでいる。

くたばれ、正論」

これから二十歳として大人の世界に正式に挑むことになる新成人に向けてRed Bull Japanからの送る言葉である。


くたばれ、正論。
この世の行き過ぎた正しさが、
君の美しいカドを 丸く削ろうとする。
正しすぎることからは、何も生まれない。
常識を積み重ねても、所詮それは
常識以外の何物でもないから。
自分の感受性を守れ。
自分の衝動を守れ。
自分の中のバカを守れ。
本能が面白いと感じる方へ動くんだ。
まっすぐ、愚直に、大きくいこう。


正論」という正しさに対して中指を立てることを是とした「強い言葉」によるキャッチコピーは人の心を強く揺さぶり、様々な議論を生み出すきっかけとなり、成人の日以降も様々な意見がSNS上で飛び交っています。

この広告を受けてRed Bullはどの様な意図で「くたばれ、正論」とメッセージを発信したのか考察していきます。

※Red Bull側の主張ではなく、私自身がどう受け取ったかという考察になります。

なぜRed Bullは正論に対して中指を立てたのか

なぜRed Bullは新成人に対して「くたばれ、正論」とメッセージを送ったのか?

その疑問に対して仮説を立て、Red Bull側の意図を汲み取るためにコンテキストを紐解きたいと思います。

Red Bull 翼をさずける

Red Bullは当時ヨーロッパやアメリカでは馴染みがなく存在していなかったエナジードリンクにビジネスチャンスを見出し開発した飲料です。

「疲労回復」を謳う栄養ドリンクとは異なりRed Bullは「翼をさずける」、つまり「できる」状態へとプラスの転換を起こす「エナジードリンク」という新しいジャンルを創出したことで爆発的ヒットを遂げました。

Red Bullは「できる」という高揚感を与えて「エキサイティングな体験」を与える「挑戦者のためのドリンク」という位置付けを確立しました。

創業者が作った最初の資料には「レッドブルのための市場は存在しない。我々がこれから創造するのだ」と書かれています。

これは「オルタナティブ(既存・主流のものに代わる何か)」な新しい世界を創り出すこと、「既成概念を超えていく事」がRed Bullの根本にある本質です。

Red Bullがエクストリームスポーツに取り組む背景には、エクストリームスポーツのオリンピック競技のような「正式なものではないオルタナティブな存在」という特性と合致するからと言われています。

Red Bullが取り組んできたのはスポーツだけでなく音楽アートダンスゲームといった様々なオルタナティブを創造する領域においてサポートを行なっています。

また「君の想像力が、世界を変える」をキャッチコピーに起業家を支援するイベントの開催もしており、若い起業家や学生との交流を積極的に行っています。

オルタナティブを創出することは常識に囚われず、正論による否定に中指を立て、新しい価値を生み出す事に他なりません。

Red Bullは「できる」という高揚感を与え、自分を鼓舞する体験を提供し続けています。

「翼をさずける」の「翼」とは「君がここから飛び立つための翼」を与えるという勇気や覚悟、気合いや衝動を表したものです。

Red Bullは活動の中で若いエクストリームスポーツの選手や若いアーティスト、夢を抱く学生の支援を行っています。

各分野におけるコンテストを開催したり、各分野における知名度や社会的地位向上のために様々な方法でアプローチも行っており、「挑戦」に対して様々な支援を行っていることが見受けられます。

以上のコンテキストからRed Bullは「正論」という正しく道理の通っている「〇〇〇〇であるべきだ」という論に対して、「君の中にある衝動を、感受性を、アイデアを信じて自分の面白いと思うがままに突き進め!」という想いを込めてくたばれ、正論」と行き過ぎた正論に対して中指を立てたのだと仮説できます。


行き過ぎた正論とはなにか

「行き過ぎた」には「通り過ぎる」「度を超して物事をする」という意味があります。

この世の行き過ぎた正しさが、君の美しいカドを丸く削ろうとする。

この場合「度を越した正しさ」という意味が当てはまると思われます。

度を越した=「過剰な・過度な」という「程度が限界を超えている状態」を指すことから「何でもかんでも正しさで否定をする」ことで「感受性豊かな君の個性を丸くして周りと同じ没個性」な存在にするという意味になると読み取れます。

正しすぎることからは、何も生まれない

そして、その正しさは「間違っていない

間違っていないからこそ「衝動」は鎮火され、挑戦する前に際立った考えを矯正されてしまいます。

しかし、いつの時代も世界を変える衝撃は「〇〇だろう」という正論常識という概念から飛び出して生まれてきました。

身の回りにあるもの全ては「非常識」から生まれている。地球の公転を主張した天動説は愚直さによって導き出された異端の理論だった。異教徒として罰せられた時代があるほど。

それでも世界を変えれたのは「正しい」と認識されている常識から外れた愚直な情熱と衝動があったから。

Red Bullは「できる」という高揚感を与えてきました。

オルタナティブの創造とは「正しすぎること」から外れたところにある。

何でもかんでも否定する行き過ぎた正論からは、常識の範囲内のことしか生まれません。

Red Bullは「正しすぎる主張が多い世界に対して、「君自身のやりたいことをやるんだ!」というメッセージを伝えるために「度を越した正しさ」という言葉を使った可能性があります。

あらゆるカルチャーにおいて「行き過ぎた正論」を振りかざす正義の味方が多く見られる中、Red Bullが出したメッセージは新成人に問わず、何かを生み出す人にとって共感できる言葉なのではないでしょうか?


なぜ新成人に向けた力強いメッセージは炎上してしまったのか?

「くたばれ、正論」はかなり強い言葉で構成されたキャッチコピーです。

正論とは「正しいこと

それに対して「くたばれ」と直訳するなら「死ね」と言っているようなもの。

更に現在は世界的に未曾有の危機に襲われている中、私たちには余裕がありません。

国内外問わず政治や経済、あらゆる社会問題において大きく動いている昨今の中、「くたばれ、正論」という「正しさなんてクソ喰らえだ」というメッセージは「ふざけるな!」と心動かされることも安易に想像つきます。

これから世に出る新成人に対して正しさによる否定から「挑戦」を投げかけるメッセージですが、必ずしも新成人が見るわけじゃないのです。

おそらくRed Bullはオルタナティブな領域(スポーツ、アート、新たな価値を創造する新規事業の立ち上げまたは新しい価値を与える会社の起業)に対してサポートを行ってきているコンテキストから「クリエイティブな挑戦に対して「愚直に突き進め!」とメッセージを出していると思われます。

そこに政治的背景や社会問題が含まれていない…とは言い切れないけど、その様な問題に対するRed Bull側の直接的な表明ではないと思います。

あくまで予想の範囲ですし、絶対にそうだとは言い切れませんが、成人の日という背景にRed Bullが行ってきた今までの活動というコンテキストを考えると、政治や社会問題に対する言葉とは考えにくいです。

何しろRed Bullは「マーケティング」の会社です。

キャッチコピーが与える影響を視野に入れていないわけないでしょう。

レッドブル成人祭」のPRも兼ねている広告ですし、ターゲットは「正論に対してクソ喰らえ!」と思っている(または思う可能性がある)クリエイティブな新成人だと想定されます。

なので、ある程度炎上することは想定していたのかもしれません。

また、この広告に対するSNSの意見を含めて「くたばれ、正論」というメッセージが完成するという意図の作品なのかもしれません。

現に多くの人が「くたばれ、正論」に対して反感を抱き、様々な主張をしていることからも「キャッチコピー」としての力強さと人に影響を与える広告としての役割は達成されてます。

それがRed Bull側の意図した結末なのかは分かりませんが、少なくとも波乱は生まれることは想定していたと思うので、策略通りなのかもしれません。

紙面広告として出した以上、ターゲット以外の人に広告が届くことを想定していないわけないので、メッセージに対して議論が生まれることは見通していたことでしょう。


「くたばれ、正論」に対してどのように受け止め、そして自分に活かすか

インターネットの発展により情報が溢れるようになり、SNSの発展により個人の考えが表に出るようになった昨今において「正しさ」や「常識」とは個人の天秤によって簡単に傾く存在となりました。

正義の反対はまた別の正義」という言葉があるように、この世界には様々な正義で溢れています。

現代では「正しい情報」を得ることが難しくなってきているかもしれません。

高度なフェイクニュースや、切り取られた写真によって語られる正論、事実を捻じ曲げるエンターテイメントとしてのマスコミニケーション、正しさを軸とした様々な思想…本当と嘘の境目が曖昧となり、目の前に与えられたインパクトのある言葉を鵜呑みにすることで「嘘」も事実となる時代です。

更に、SNSの発展により今まで以上に人の言葉が見えるようになりました

心無い言葉がダイレクトに届く時代。

SNS時代以前にも存在していたであろう「心無い言葉の刃物で切りつけてくる人」達が実際に見えるようになり、通り魔の様に否定してくる世の中です。

その人なりの正論で武装をし「若者」や「挑戦者」を目の敵にして否定する人たち。

または、感情的になり自身の主観的事実だけで「否定」する人たち。

その内容は「正しいこと」なのかもしれない。

そんな「正論」に対して「中指を突き立てる」のは「否定と戦う意思証明のようなもの。

自分の中にある「面白い」「美しい」「凄い」「カッコいい」「可愛い」を持ち続け、衝動に従うこと。


日本を代表するアイドルである乃木坂46に「きっかけ」という歌があります。

決心のきっかけは理屈ではなくて
いつだってこの胸の衝動から始まる
流されてしまうこと 抵抗しながら
生きるとは選択肢たった一つを選ぶこと

by:乃木坂46「きっかけ」より引用

何かを決心する「きっかけ」は理屈ではなくて、胸の中にある「衝動」から始まるものである。「自分」に正直になって、一歩踏み出そうというメッセージの込められた曲ですが、「くたばれ、正論」と向いている方向は近しいものがあると思います。

自分の感受性を守れ。
自分の衝動を守れ。
自分の中のバカを守れ。
本能が面白いと感じる方へ動くんだ。
まっすぐ、愚直に、大きくいこう。

挑戦者よ!正論に負けるな!

行き過ぎた正義に負けるな!

もし、君が君の衝動に対して否定的な正論をぶつけられた時は「くたばれ、正論」と中指を立ててやれ!

という、力強く背中を押す言葉という受け取り方をしても良いのではないでしょうか。



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