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当面の30%ハードルクリアで周回遅れの大学はキャッチアップできるのか。キャンパスは多様性の海になれるのか。
「30%」という数字はどこから出てきたのか?
前回、東大の藤井輝夫総長は "女子学生比率の達成目標を 30 % " としたことをご紹介しましたが、では、 30 %という数字はどこから出てきたのでしょうか?どのような裏付けがあるのでしょうか?
≪前回の記事📓≫
令和 6 年 4 月 12 日に行われた東京大学の学部入学式で、藤井総長は、30 %の妥当性を次のように説明しています。
今年度の学部新入生 3,126 人のうち、女性は 646 人、比率は 20.7 %だった現状を踏まえ、このように述べました。
「なぜ 30 %という数値目標なのかということですが、ハーバードビジネススクールのロザベス・モス・カンター教授は、ビジネスの場に関する研究において、女性が 15 %に満たない組織では、女性一人ひとりの能力や技能が、女性という集団的な属性に関係づけられる傾向があること、そして女性の比率が 30 %を超えるとそうした傾向が変わりうることを指摘しました。すなわち、女性個人としての能力や技能に応じた貢献が可能になり、意思決定プロセスに影響をあたえ、組織のさまざまな変革を推進できるようになるということです」
「組織のなかで少数派が 3 割となると、組織全体の文化が傾く」というカンター教授の理論は、ダイバーシティ改革の世界ではかなり知られているのですね。
もう少し詳しくいうと、「マイノリティグループとマジョリティグループの割合が 35 : 65 となったときに、マイノリティグループが連帯を組み、組織文化に変化をもたらす」というものです。
<JOC 女性リーダーの育成・支援「黄金の3割」より>
東大だけではない!国会議員、企業の役員etc.も
さらに、藤井総長は式辞の中で、日本の女性国会議員の割合( 16.0 %、世界139 位)や、上場企業の役員における女性比率( 10.6 %)を紹介し、「政治も経済も、いまだに意思決定にかかわる女性の数が圧倒的に不足しています」と述べ、大学・学術以外の世界でも男女の不均衡が存在する『構造的差別』の状態にあることを指摘。それゆえ、東大も経団連がたちあげた 30 % Club Japan のメンバーになったことを披露しています。
つまり、女性が少ないのは東大だけではない、社会全体が共有する問題なんだということを提起したとも取れます。
東大の学生における女性比率はまだ 20 %そこそこですから、いきなり一足飛びに 50 %ではなく、当面、まずカンター教授の言うところの 30 %超えをめざすべきだ、という考えは納得できます。
段階を踏まなければいけない、ということですね。
でも、30 %が最終目標である、と錯覚してもいけないでしょう。
あくまで 30 %は通過点にしかすぎない、フィフティ・フィフティが本来の姿である、ということはわれわれも肝に銘じておかなければいけません。
さらなる、行動に踏み込むのか
藤井総長は、大学が果たすべき責務についてこのように述べています。
「構造的差別の再生産と拡大とを断ち切り、あらゆる構成員が等しく権利を持つ社会を実現する責任があります」
これほど強い決意をお持ちの藤井総長。
さらに一歩踏み込んだアクションを起こすのか・・・
仮に、カンター教授の言うように、30 %を超えることで、ドラスチックに変化が起きるのが本当であれば、そして、ジェンダーバランス改善が喫緊の課題であるのであれば、トップダウン方式で、いろいろな領域―入試はもちろん大学教員、企業役員、国会議員etc.—の選抜に、アファーマティブ・アクションをすべからく適用して、とりあえず 30 %まで強引に引き上げてしまうことは、ここまでくると、しかるべき対策のような気もしてくるのです・・・。ほかに解決策がみあたらなければ!
“公正さ”の視点で、「女子枠導入」に警鐘を鳴らす声も
社会全体においても、“男女の不均衡解消が何より大事”を旗印に、一気呵成に解消しようとする機運が盛り上がり、やっちゃえ、やっちゃえ、と強引なアクションを世の中全体が許容してしまう流れも想像できるのです。
しかし、これに対して、東京大学大学院教育学研究所・中村高康教授は、月刊誌『世界』(岩波書店、2 月号)のなかで、これまで日本の大学入試が守ってきた“公正”さに注目し、
「女子学生特別枠は導入に当たって各大学の慎重な検討がもとめられる」
と述べ、議論を尽くさない安易な女子枠導入には警鐘を鳴らしているのです。
特に、「女子」という性別二分法的なカテゴリーを扱った入学枠は入試の公正さの観点からみて果たしてどうなのか。
さらに、「性の多様性が認識されてきている現代社会においてどこまで許容しうるのか」、という問題を指摘しています。
『世界』(2024.02)「不正入試事件が示す社会的空気」p141-149
📓中村高康教授の論説はこちらの記事でもご紹介しております👇
考えてみれば、男女のバランス云々の時代はとっくに終わっていなくてはいけないわけで、中村先生のおっしゃるとおり、「性の多様性が認識されてきている現代社会」(p147)であることはみなさんもよくご存知のとおりです。
日本が“周回遅れ”と揶揄される所以はここにあるわけです。
かといって、残されてしまった男女不均衡をすっ飛ばすわけにもいきません。
日本の社会、こと大学は、藤井総長もおっしゃるとおり重大な責務を負うわけですから、この積み残してきてしまった重い宿題を、“公正さ”もしっかり担保しながら、どう解決していくのか、注意深く見守ってまいりたいと思います。
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ダイバーシティマネジメントの対象は多様化している
最後に、視野をもっと広くして、そもそもダイバーシティとは何か、なぜダイバーシティが大切なのか、について触れておきましょう。
実はキャンパスの「多様性」実現のための課題=対象は女性だけではなくなっているのです。
リクルート総研が発信する【ダイバーシティの今】①大学のダイバーシティマネジメントの「現在地」には、東北大学・国際戦略室副室長の米澤彰純(あきよし)教授への興味深いインタビュー記事が出ていますのでご紹介します。
海外を含めた大学のダイバーシティマネジメントのあり方を見てきたご経験から、米澤氏は記事の中で次のように語っています。
「現在、大学のダイバーシティの対象は、男女だけでなくLGBTを含めたジェンダー、人種・民族・国籍、障がい、家庭環境、年齢等多様で、施策や議論のテーマもマイノリティーの学生に対する日常のケアから合理的配慮のあり方、入学や卒業後のキャリア、教職員の採用、さらには属性による様々な理由により進学を諦めている潜在的な志望者へのアプローチまで多岐にわたります」
“パフォーマンス向上”と“インクルージョン”
そして、米澤教授は、ダイバーシティ関連の課題は大きく分けて 2 つの観点、つまり“パフォーマンス向上”という観点と、“インクルージョン(包摂性)”の観点から議論をされていると指摘しています。
前者は、「研究教育機関としての卓越性や、事務運営組織としての学生や教員の獲得等ダイバーシティによってパフォーマンスをいかに上げるか」が主眼となり、後者は、平たく言えば、マイノリティや人種に関する人権問題の視点となります。
米澤先生は、海外の大学と日本の大学のダイバーシティについての認識の違いについて、さらに詳しく解説しています。
「北米等、人種等社会の分断が深刻な問題として日常的に意識されている国々の大学、特にトップクラスの大学では、大学の経営者がキャンパス内で属性故に不利な立場に置かれている人達の問題に真摯に取り組むのは当然のこととされており、“パフォーマンス向上”の観点からの議論も、“コミュニティーを公正なものにしていく”という視点を前提に行われます」
「日本ではそれらの国々と比べて社会全般においてダイバーシティの諸課題が人権問題として意識されたり、当事者が声をあげることは少ないのではないでしょうか。その結果、ダイバーシティマネジメントにおいて “パフォーマンス向上”が優先される傾向があります。女性教員比率の問題を例に挙げれば、活発に行われているのは『女性の教員を採用することによって集合知の高い組織を形成することが、研究水準が上がることになるのでは』といった議論です」
米澤先生がおっしゃるとおり、いまだ留学生や海外出身の学生が少ない日本の大学にとって、人権問題としてのダイバーシティには実感が伴わず、あまり想定されていない、と言ってもいいでしょう。
さらに、続々導入される「女子枠」については、女性比率向上=パフォーマンス向上を前面に出して導入の正当性を訴えている例も多く目にします。
米澤先生の御指摘は耳の痛い話ですね。
★ちなみに米国において、昨今のパレスチナにおける紛争以降、大統領選挙も相まって、国内のキャンパスにおけるダイバーシティやインクルージョンの状況はかなり混乱しているようですが、この点については、東京大学の林香里教授がDEI問題の視点から取り上げていますので、ご覧ください。
『世界』(2024.04)「大学不信と多様性へのバックラッシュ」
📓林香里教授の論説はこちらの記事でもご紹介しております👇
ダイバーシティ・マネジメントは“死活問題”
米澤先生は、このようにもおっしゃっています。
「特定の属性を持つ集団が排除されるような環境は魅力的ではありません。受験生の獲得や職員の採用といった場面で外部から人が集まらなくなり、最終的には経営パフォーマンスが低下してしまいます」
そして、組織における“死活問題”、とまで言い切っています。
考えてみれば、男女不均衡だけでなく、マイノリティや人種、あるいは障がい者にまで視野を広げ、真のダイバーシティやインクルージョンを実現することは、大学に対する負荷やハードル、とネガティブにとらえるのではなく、本当に開かれたキャンパスへの道なのかもしれません。
そこで生まれた多様性が、新たな活気やイノベーション、そして、多様な人たちの連帯を生み出すことにつながれば、決してマイナスの話ではないです。
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キャンパスが、ダイバーシティの豊かな海になることを
譬えるならば、30 %云々というような数値が先行する話は、風邪で高くなった体温を下げるために体温計の数字自体を下げれば事足りる、とするような本末転倒の話になりがちです。
そうではなく、まず多様性や包摂性の本質とその大切さを理解し、とにかく、ダイバーシティの海に漕ぎ出してみること。
もちろん、そこには予期せぬ嵐も荒波も待ち構えていることでしょう。
しかし、それこそが世界であり社会なのです。
そして、あらゆる可能性はそこに秘められていることを、
再認識することが大事なのでしょう。
それぞれのキャンパスが、
ダイバーシティの豊饒な大海原になることを
願うばかりです!
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