教育現場でどう向き合う?【読書離れ】1ヶ月に本を読まない人が初めて6割超
教育現場でどう向き合う?【読書離れ】1ヶ月に本を読まない人が初めて6割超
文化庁が令和5年度「国語に関する世論調査」の結果を公表しました。同調査は5年ごとに実施されています。
内容は、大きく「国語とコミュニケーションに関する意識」「ローマ字・外来語表記に関する意識」「読書と文字・活字による情報」「言葉遣いに対する印象や慣用句等の理解」に分かれています。
▼令和5年度「国語に関する世論調査」の結果について(文化庁)
新聞各紙では「まったり」「もふもふ」の使用度、「間髪を入れず」の言い方、「悲喜こもごも」の意味も取り上げられていましたが、「読書離れ」が注目を集めました。
▼1か月に本「読まない」6割、5年前より15ポイント増…「読書量減った」過去最多7割(読売・9/17)
▼国語世論調査 読書習慣の喪失は危機的だ(読売・9/18)
2008年度から読書の調査が行われていますが、1ヶ月に本を「読まない」人の割合が初めて6割を超えました。「本以外の文字・活字を読む機会がほぼ毎日ある人」は約7割、「書店で実際に手に取って本を選ぶ人」が減少して約6割、「読書量が減っている人」人が約7割です。
減っている主な理由は「情報機器に時間を取られる」「勉強や仕事で忙しい」です。
💡研究員はこう考える
皆さんは、この結果をどう思いますか。
私は「高校教員応援マガジン」で書いたとおり、子どもの頃から読書が好きでしたが、大学に入り、さらに本が中心の生活を送っていました。
▼ワーク・読書・バランス(仕事と読書の調和について)
📖本を通しての学び、本以外からの学び
「読書が全て」ではない 「読書だけ」ではない
卒業論文で扱ったニーチェは、元々古典文献学者であり、本を通して、広く多様な哲学者・思想家に精通していたにもかかわらず「本を読まなければ思考できない怠け者」を批判していました。
彼にとって、読書よりも批判的・創造的な思考にこそ価値があったからです。とは言え、学問研究は本なしには成立しません。読まなければ論文を書くこともできません。
私の専攻は西洋哲学でしたが、特に恐れたのは「自分がオリジナリティの高い思考をしている」と自惚れることでした。
まずは自分の興味関心があるテーマについて、本をとおして「学ぶ」ことが大切でした。先人の努力を知る、先行研究を参照することなしに思考することは傲慢に思えました。
私は読書に大きな価値を与え、「本を読まない」ことに対して批判的なスタンスをとっていました。
しかし、教職に就き、同僚や生徒、保護者や地域の人たちと関わる中で「それ程本を読んではいないが、人間として、また知識の活用力、さらに、教育する力において、私を遥かに凌駕する人たち」に出会いました。
「読書が全て」ではない。「読書だけ」ではない。私は、そう思うに至りました。
📖進学校でも一定数存在する読書をほぼしない生徒
教員として二校目が進学校でした。数年経って気になったことは、読書をほぼしない生徒が一定数存在していたことです。「大学進学を目指しているのに、読書をしない。その気もない」ことを訝しく思いました。
実は、教科書も本です。教科書しか本を読まないことに疑問を感じることなく、大学での学びに向かえるのだろうか。教科書の記述を確かめようと、他の本を参照する姿勢が必要ではないだろうか。そう思い、様々な本を紹介しました。
大学では、高校以上に主体的に学びます。それは本に書いてあることを先生から説明されて満足するのではなく、自分自身で読んで考え、知識を掴み取ることです。
したがって、読まない、あるいは読みたい本がないのに、大学進学するというのはおかしいと思い、読書の重要性を訴えていました。
📖「読書離れ」は学校教育の頑張りどころ
学校現場でも授業観が転換し、生徒が考え表現することが重視されるようになりました。その際大切なことは、自分を相対化すること、批判的に吟味することです。
自分が考えていることが単なる思い込みではないだろうか。先入観に囚われていて根拠や論理に間違いがあるのではないだろうか。それは、すでに誰かが考え、別の誰かに批判されたことではないだろうか。
HR、授業、集会、お便りなど、読書へ誘惑する機会はふんだんにあります。学校には図書館もあります。朝読書もできます。
▼朝読書って効果あるの?メリットや習慣化する方法もご紹介(日本速読解力協会)
それでも生徒が本を読まないのなら、改善すべき何かがあるように思います。
📖「読書だけ」ではない されど「読書にしかできない」こと
もちろん、学校だけではありません。歩きスマホではなく、二宮金次郎よろしく歩き読書をしている人ばかりなら、電車の中で皆が本を読んでいたら、メディアでもっと本のことを取り上げていたら、そして周りの大人たちが読書に精を出していたら、子どもたちは変わります。
しかし、私たちに他人をコントロールしたり、多数派になったりする権利などありません。
何かが大事だと思う人自身が自分にできる手を打つしかありませんし、それは幼稚園から大学まで、全ての教育機関でできることです。
では、私は、佐藤優と伊藤賢一による『教養としての西洋哲学・思想』の読書に戻ることにします。
▼佐藤優・伊藤賢一『いっきに学び直す 教養としての西洋哲学・思想』(2024)
★関連記事★
ぜひマガジンもフォローしてください👇