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ワーク・読書・バランス(仕事と読書の調和について)【高校教員応援マガジン】

皆さんの生活にとって、本を読むことにはどういう意味がありますか。
皆さんの人生にとって、読書とは何ですか。

 今回は私の読書遍歴を辿りながら、生活と読書について、考えてみたいと思います。


私、林正憲の読書遍歴

幼少期~高校生時代

私は子どもの頃、人と遊ぶのが苦手でした。何をやっても下手くそで、コンプレックスがありました。
一方、読書は好きでした。現実ではない世界に没入し、頭や心を遊ばせ、独りであることを楽しみました。伝記を読み、世界は広く様々な人生、歴史、場所があることを知りました。

高校までの読書は、推理小説、SF、文学が中心でした。
高校三年の夏は、吉川英治『宮本武蔵』に熱中。学校祭実行委員長を務めていましたが、学校祭の閉会式で、二刀流の話をしたことを覚えています。

受験勉強の気分転換は、ギター&歌、そして読書でした。
ゲーテの『ファウスト』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』を読んでいました。現実から遥か遠い世界が描かれていて、リフレッシュできました。人生のその時々に様々な出会い、体験があり、人は変容していくことも学んだように思います。
なかなかハードな受験勉強も、一時的なものであり一つの修行である、と意味づけて納得しました。

大学生~就職浪人時代

大学に入り、高校時代の「私は読書家」という自己認識は、木っ端微塵になくなりました。
なぜなら、友人たちの読んできた本の量やジャンル、読書の熱量に圧倒されたからです。「カルチャーショック」を受け、自分の読書や学びの在り方、時間の過ごし方に大きな疑問符を突きつけられたようでした。

慌てた私は片っ端から本を手に取り、乱読しました。
友人が薦める本、講義で紹介された本、それらから芋蔓式に手を広げていきました。
当時「ドストエフスキーは必須」という共通認識があり、最初に『地下室の手記』を読みました。ページを捲る手を止めることができず、心身とも極度の緊張状態で読み終えたときの衝撃は今でも思い出せます。「人間とは何か」「人の心理とは何か」を考えざるを得ませんでした。また、花村太郎知的トレーニングの技術』を読み、読書の仕方について考えました。

本に向かう時間・体力に余裕がある学生時代だからこそ、できる読書があると思います。
まず、一人の作家の全てを読むこと。私は夏目漱石ニーチェに狙いを定めました。
そして、超長編を読むこと。『チボー家の人々』『ジャン・クリストフ』『失われた時を求めて』を読みました。
学生、就職浪人時代の8年間、読書が私の生活の中心だったと言えます。

 教員就職後

教員になりました。その日々は就職前に持っていたイメージと仕事の内容も、生活も全く違っていました。
夜遅く帰る。土日がない。気がつくと本を読めなくなっていました。
かろうじて時間を取れるのが、盆休みと正月休み。

そのまま20年——。
もちろん、一冊も読んでいないわけではありません。授業のための本、生徒のキャリア関連の本も手に取りました。しかし、どうしても学生時代の「自分のための読書」の記憶が強く残っており、慢性的にフラストレーションが溜まっていました。
読書中心の8年間で蓄えた何かがどんどん消失していき、気持ち的には、水が出なくなった雑巾がこれでもかと絞られているようでした。
この頃の唯一の救いは好きな作家、村上龍の新作が出たら、全てを放り出して読むことでした。 

 教頭時代~現在

そして、教頭になりました。単身赴任でした。
平日18時過ぎには帰ることができ、土日は休みになりました。
本、だけでなくCDやDVD鑑賞に時間を使えるようになり、それらを砂漠に水を撒くように吸収しました。生き返る心地がしました。

以来、それなりに読む時間を確保できるようになり、現在に至っています。

日毎、読みたい本は増えます。しかし、無類の読書好きである俳優、上白石萌音さんがおっしゃるとおり「読みたい本は無限にある。全ては読めない。そのことにロマンを感じる」、です。

年齢のせいもあり、読書も含め、時間を大切にしたいと思っています。 



読書時間を充実させるには?


さて、ここからは読書時間に不満足な社会人の皆さんに向け、私なりの提案をしてみたいと思います。

1.理想を手放す

読みたいけど読めない?
いいえ、読めます。ただ、ここの「読みたい」には「理想の時間の長さ」のイメージがあり、「理想」と比べて「読めない」のですよね。
その理想はどこから来ているのでしょうか。
恐らく私同様、学生時代からでしょう。徹夜して食事を忘れて没頭、電車で読んでいて駅を乗り過ごす……読み始めたらページを捲る手が止まらなかった経験です。
しかし、社会人の皆さんは今、働いています。学生時代と同じ生活スタイルは望むべくもありません。
冷静に一日、一週間の時間の使い方を確かめ、最大どれぐらいの時間を捻出できるか、考えてみましょう。
悲しいですが、理想の時間への欲望は一旦手放しましょう。


2.継続は力なり

農家でありハンターでもある、朝日新聞社の記者 近藤康太郎さんは「寝る前の15分間は古典を読め!」と言っています。なぜ古典なのかというと、古典は気持ちを落ち着かせてくれるからだそうです。
元大リーガーのイチローの有名な高校3年間の話。寝る前、必ず10分素振りをしたそうです。たったの10分。しかし、3年間一日も欠かさず。「小さなことの積み重ねが、とんでもなく遠くへ行く唯一の方法」と言っています。
私は、寝る前の15分間は何が何でも本を開きます。たかが15分、されど15分。継続は力なり。


3.罪な読書をする

仕事の締切が迫っている、そろそろ部屋を片付けたい……
1とは矛盾してしまいますが、しかし、時にはすべてを置いて、読み出すと止められない推理小説か何かにハマってしまいましょう。読書の喜びに身を委ねてしまいましょう。たまにはそんな日があってもよいのではないでしょうか。
そして、読み終わったら「しまった!」と慌てながら、全力でやるべきことを何としてでもやる!それもまた良し、です。


4.目次で考える

本は何のために読むのでしょう。知識・情報を得るため、思考するため、純粋に楽しむため――。
もし何かを考えるためなら、目次を凝視し、頭を働かせる楽しみを持ちましょう。章や見出しの語句が冴えないなら、そもそも今のあなたにとって、その本を読む必要はありません。


5.書評&試し読みを味わい尽くす

新聞の書評は全体的に質が高く、タメになると思います。ネットでは文芸誌他雑誌の書評も読めます。図書館でも読めます。
私は書評を読み、興味を持つとAmazonでチェックします。しかし、全部を購入しません。むしろもう、大半を書評で済ましてしまいます。(著者の皆さまには、ごめんなさいと言いながら)読んだ気になってしまうのも、作戦のうち。書評の有効活用です。
昔は本屋で長い時間立ち読みをしました。しかし、本屋は減り、時間もなくなり……。今はAmazonで試し読みもできるんですね。目次だけの本もありますが、それなりの量を読ませてくれるものもあります。次から次へと試し読みする、ネットブックサーファーも乙なものです。


6.本の空間に身を置く(読めないとき)

読めない。
読書に限らず「できないこと」ばかり意識していると、疲れます。イライラします。しかし、本とは私たちに幸福をもたらすもの。
まず、部屋の書棚の配置を工夫してみませんか。素敵な本の「背」を眺められるように。レコードだって「ジャケット買い」があります。背中で語る人がいるなら、「背」で語る本もある。本たちの「背」を眺め、短い時間でも耳を澄ましてみましょう。

 

7.愛読書(読みたい本がないとき)

私は学生時代、乱読によって興味関心が動き、英文科から哲学科へ志望を変えました。手当たり次第に読み、研究の方向性が定まりませんでした。哲学の先生に相談しました。
「刑務所に入るとして(「無人島に行くとして」だったかもしれません)一冊しか本を持っていけないなら”コレ”というものを見つけなさい。その哲学者の研究をすればよい」、そう言われました。
見つかるのか疑心暗鬼でしたが、程なくして出会いました。ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』です。今でも読み始めると、心と頭が動き出し、満ち足りるような、また何かを始められるようなテンションになります。
現在は、他にも「間違いない」ものが数冊あります。読めるなら、新しい本を読みます。そうでなければ、座右の書を開けばよい。読書。それは、量ではなく質の問題です。


8.文体を楽しむ(もっと読書を充実させよう)

本を読むときに、正確に言って、頭はどう働いているのでしょう。
脳の中で物理的に何が起こっているのでしょう。

読書が楽しいとき、それはどうしてなのでしょうか。
新しい知識の喜び。ストーリー展開の面白さ。登場人物への感情移入の興奮。自分が漠然と感じ考えていたことが言語化されていることのスッキリ感。

ドゥルーズは、言葉の流れは生の他の流れと絡み合う一つの流れだと言います。そして、読書は理解ではなく、強度の問題であると。

——本は小型の機械。読み手にとってどう機能するか。もし機能しないなら、何も伝わってこないなら、別の本に取りかかればいい。そう、強度の読み方だ。説明すべきことは何もないし、理解することも、解釈することもありはしない。電源に接続するような読み方だ——

ジル・ドゥルーズ『記号と事件』(河出書房新社)

 説明が難しいのですが、「確かに意味の理解だけではないな」と思います。

例えば「文体が好き」というとき、それは文章のリズムやメロディーと言った音楽的な要素のことを言っているのであり、単なる意味や物語ではないでしょう。
私の場合は、中上健次。小説とエッセーの違いはありますが、どちらも好き。あるいは、川上未映子。ユーモラスで、危険で、繰り返しがリズムをつくり、予測がつかない面白さ。さらに、道元『正法眼蔵』。内容は煙に巻かれるようで他者に説明するのは難しいのですが、リズムが好きで、気がつくと音読しています。
一冊の本を読み切るのもよいですが、文体を楽しむ15分、文章の流れに身を委ねる30分もよいかと思います。


9.アインシュタイン的に!

再び、時間の話をします。
なぜ本を読む時間を確保できないほど、私たちの仕事や日常生活は忙しいのかを綴った本も売れています。 

私も仕事も時間も全て忘れ、読書に没頭したいです。食事も風呂も無視し、徹夜を恐れずに、本に身を委ねたいです。
しかし、現実的にはなかなかできません。時間の管理、時間のマネジメントを行い、読書の時間を捻出するしかありません。職場での立場がどうであれ、「働き方改革」に貢献するしかありません。極論としては、それで全く不十分で精神的な限界を感じるなら職を変える以外ないのです。

しかし、今すぐにできることとして、アインシュタインの相対性理論の考えはいかがでしょうか。
そう、時間は不変ではなく、相対的に変化するものです。時間の感覚は変わるのです。(「時間は存在しない」という物理学者さえいます。)

好きな人といるとき、時間は早く流れます。ということは、愛読家にとって、15分の読書は2時間ぐらいの価値があると言えるかもしれません。
数ページしか読めない。流れを中断しなければならない。その嫌悪感を手放しましょう。読書からつまらない思いを引き剥がし、吹き飛ばしてしまいましょう!

 

10.文庫携帯あるいは電子書籍

皆さんは一週間で、どれくらいスマホを触っていますか。
私自身、すっかりスマホが手放せなくなりました。ニュースをチェックし、メールを送り、SNSを楽しみ、情報を得て、世界が広がります。
人は近くにあるものの影響を受けやすい弱い生き物です。
であれば、文庫を持ち歩く。必ず手元に置く。家のトイレに行くときは文庫本を持参、あるいはトイレに置いておいてもよいですね。お風呂でも読めます。いつでも読書の臨戦態勢です。
どうしてもスマホが手放せないなら、待ち受け画面は電子書籍用のアイコン一つにしてしまいましょう。本を読んでからでなければ、ネットやSNSは見ない!まずは1週間、それでどれだけ本が読めるのかチャレンジしてみてください。その分量に驚くこと間違いなしです。




いかがでしたか。
読書好きの皆さんも、友人から、あるいは子どもたちから「本が読めなくて困っている」と相談されたときに、どんなアドバイスをするか考えてみませんか。良いアイディアがありましたら、ぜひ私にも教えてください。

そして、もっと本について人と語りましょう。仲間を増やしましょう。その環境がまた、あなたを読書へ誘います。人に会ったら、「こんにちは」の次は「最近、何を読みましたか」「私は、『ドライブ・マイ・カー』の監督である濱口竜介氏の『他なる映画と』です」と話せる日々。
日常に読書を浸透させるのです。

ああそれにしても、本のことを考えるのは、なんて幸せなのでしょうか。 

〈参考書籍〉

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