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なんでもコンテンツにするために思考する。

ゆぴさんとnoteの中の人をしていたみずのけいすけさんの対談を拝聴させていただいた。

二人とも言ってたこと。

書けないときは、書けないことをネタにする。

聞いたことあるぜ


この言葉聞いたことある。
ヤスさんイトーダーキさんもスタエフ内で全く同じこと言うてた。


書けないとき、書けないことをネタにする。

これがなぜいいのか。

「思考」をさらけ出した文章が書けるからだと思う。


つか、書くネタがねぇ。。。

なんてことをいう人がいる。
それはほんまそれ。
その通りやと思う。
日常、どんだけ解像度を上げても限界はある。


下手くそな文章を書き続けて400日以上。
私も例外ではない。

書くネタねぇよ。。。w
もうやめようかなw。。。

全然思う。
すげー思う。
超思う。

けど、その考え方ってさ。
ネタの力だけに頼ってる証拠な気もする。


書けないことを自分ではなく、外側のせいにしてる。

ネタがないから書けない!

ってのは、スーパーウルトラスペシャルマックスハイパー拡大解釈すると「自分の人生が楽しくないのは、周りの人のせいだー!なにもおもろいことが起こらないからだー!」って言うてるようなもん。

、、、なのかもしれない。(出典:ぬーべー)


書くネタは、見つけるもんであると同時に自分から作り出すもの。

noteを書き出してから、アホみたいにメモとるようになった。そのメモをコンテンツにしてく。コンテンツにできるかどうかは、自分の頭で思考する。その思考の過程をおもしろくしていく。

みたいなw。

だからこそ、書けないは書けないことをネタにする。


なんで書けないのか。
言い訳しまくったらいい。
さらけ出したらいい。

かっこ悪いと思ってるならカッコ悪いところ出したらいいし、沢尻エリカばりの「別に何も気にしてませんけどッ!」スタンスで書くのもこれまたいい。

書くことの本質は、思考すること。

って、どこかのライターさんか作家さんがいうてた。


なんでもコンテンツになったらさ。

その力を磨いたらさ。

多分、人生が少し楽しくなる。
思考することが面白くなっていく。
知らんけどw。

刺激は外側から受けるものかもしれないけど、それをどう思うか、どう感じるか、考えたか。

あくまで内側の問題。

自分のメンタル。
つまり頭、思考の中にある。

自分のnote読み返してもそうやし、フォローしてる皆さんの読んでてもそう。

人の思考は人それぞれ。
これ、まじ無限。
同じネタでも感じ方は人それぞれ。

やから、読書の感想しかり、何かエンタメを見たり、経験したことをアウトプットした記事も面白い。

「ネタx思考・感じ方」が面白い。


noteは他人のメンタルを垣間見れるから面白い。

書けないのはなぜだろう?的なnoteって面白い。

性格悪いかもですが、人が悩んでるのを見るのって、オモシロ。ニヤニヤしながら読んじゃう。

だから、書けないときはさ。
noteに書いてこ。
悩みさらけ出してこ。

その悩みをアテに酒を飲んでる輩がここにいます。


・こぼれ話

とどのつまり、ネタがなくなってきたのです。偉そうなことを言ってますが、書くネタが少しずつなくなってきているのです。下書きが少しずつ減ってきているのです。かといって、勢いよく書けるときと書けないときがあります。けど、ひねり出すのです。人生ちぢれてナンボなんです。というわけで、このnoteは自戒も自戒。書けない書けない書けないよ〜!という懺悔的なnoteなのです。

なんで書けないんだろう。

《ちぢれてナンボって何のこと?っと思った方はこちら》

《勝手にリレーエッセイ23 夏 応援してます》


・最後に一曲


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