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政治と宗教、分離した方がよくねえか?

大河ドラマ『平清盛』を見ていたら、延暦寺の坊さん達が強訴を起こすシーンが出てきて、なかなか凄かったんだよね。

祇園社で僧兵ともめたことをきっかけに、比叡山は平氏の横暴だと強訴を起こす。院の命令で止めに入った源氏兵を横目に、清盛(松山ケンイチ)が放った一本の矢は神聖として誰も手が出なかった神輿(しんよ)に突き刺さる。この一本の矢が京の都中を揺るがす大事件に。若き日の清盛といえば、このエピソード。比叡山の僧兵・鬼若(青木崇高)も登場。この鬼若、後々、源平合戦の重要なキャラクターになっていくので、そこにも注目!

戦国時代の石山本願寺の信徒らによる一向一揆は有名で、大河ドラマでも何度も出てきているし、同じく大河ドラマの『どうする家康』の中でも三河一向一揆が出てきた。

特に長島一向一揆の中でも、1574年(天正2年)6月23日から開始された長島攻めでは、殲滅戦が行われて2万人もの人が殺されたので、信長の残虐性を示す出来事の一つとして、歴史物ではよく描かれている。

信長と言えば延暦寺焼き討ちだが、実は延暦寺が焼き討ちされるのは初めてではない。これは厳密には焼き討ちではないが、約150年前の1435年(永享7年)室町幕府第六代将軍・足利義教が延暦寺を攻めた際、延暦寺山徒が根本中堂に火をかけて焼身自殺する出来事が起きているし、1499年(明応8年)には細川政元が正真正銘の焼き討ちを掛けている。そもそも信長による延暦寺の焼き討ち自体、足利義教を意識したもので、義教を超えようとしたやったのではないか等という話もあるらしい。

しかも面白い話があって、焼き討ちの被害に遭った憐れな被害者のように描かれる事の多い延暦寺ですが、その延暦寺自体が、園城寺という寺を何回も焼き討ちしていて、先程の足利義教が延暦寺を攻めた件も、延暦寺が園城寺を焼き討ちした事が発端になっていたり、実際には加害者であり、攻めた相手をとやかく言えた立場じゃない(笑)。

要するに信長を権威の破壊者だと強調する意図だとか、残虐な人間だと印象付ける為の演出でしかないって事だ。

先程の一向一揆の話に戻すが、戦国時代の本願寺勢力は日本全国に信徒がいて、その信徒数も非常に多いという国内有数の宗教勢力だったという。ただし一向一揆を起こしたのは例外的な動きで、多くの地域では土地の有力者に従い、反抗する事はなかったと言われている。

言い換えれば多くの地域でその気になれば武装して土地の有力者を打ち破れる程度の力を持っていたという事だ。

本願寺について調べていたらこんな話も出てきた。

天文年間、京都では六条本圀寺などの日蓮宗(法華宗)寺院を中心に、日蓮宗の信仰が多くの町衆に浸透し、強い勢力を誇るようになっていた。天文元年(1532年)、浄土真宗本願寺教団の門徒(一向一揆)の入京の噂が広がった。天文元年から2年、日蓮宗都(法華宗)は将軍義晴の命によって、細川晴元と六角定頼と木澤長政と共に一向一揆と戦った[4]。

当時の京都市街から東山を隔てた山科盆地に土塁に囲まれた伽藍と寺内町を構えていた山科本願寺は、この焼き討ちで全焼した(山科本願寺の戦い)。このように、日蓮宗徒の町衆(法華衆)は細川晴元・茨木長隆らの軍勢と手を結んで本願寺教団の寺院を焼き討ちした。

法華一揆 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

こっちは日蓮宗の町衆の話だが……。
あなた達、本当に、寺なんですか?(笑)

日蓮に関しては、他宗派の僧侶達と激しい死闘(口喧嘩したとかじゃなくて、武装してガチでやり合ったとかという話だ)を何回も繰り返した話は立正安国論について調べていた際に知っていたが、昔の坊さんって本当に物騒なんだよな(立正安国論の中で弟子達に武器を取れとか敵を徹底的に倒せといった記述が出てくるのは、実際に日蓮が武装した他宗派の連中から何度も攻撃されているからで、当時は僧兵が敵対関係にある宗派を武力攻撃するのが当たり前だったかららしい(笑))。

この種の話を続けてもきりがないので、ここで打ち止めにするが、要するに日本でも海外と同じくいつの時代でも宗教勢が強力な力を持っていて、政治に対して強烈な影響力を行使してきたごく普通の、ありふれた国としての姿と経緯があるという事だ。また、専門家曰く、日本では権力は宗教の存在を容認すると同時に、統治に利用してきた、という。実際、『どうする家康』の中でも、下記の話が出てくる。

一方、家康が領国統治をはじめると、本證寺をはじめとした真宗寺院に与えていた不入権(ふにゅうけん)という治外法権と租税免除の特権が障害になってきます。本證寺では、不入権が及ぶ範囲が堀で囲まれた寺内町(じないちょう)となり、東西320m、南北310mの広さでした。しかし、家康が青年期を過ごした駿河では、今川義元が既にこの不入権を廃止していたのです。

コラム「家康と安城」 家康公特設サイト 安城市観光協会

さっきの延暦寺の話じゃないが、昔の坊さんは武装した僧兵だし、寺と言っているだけで、実態は宗教の名を冠した武装勢力だ。信徒らは、科学の未発達な時代である事に加えて、理不尽な仕打ちや不条理の横行する生きづらい社会だった事もあって、信仰に縋っていて、非常に信心深い。

宗教勢力は一旦戦になれば信徒らが捨て身で戦うので甚大な犠牲が出る。宗教が相手なので話が通じないし、トップとの話し合いで手打ちをする以外の方法が基本的にはない。しかし手打ちが済めばトップの指示に従って決して歯向かってこないので、ある程度の特権を認めて、あとは大人しく従わせた方が得だという話になる。

明治維新以降に築かれた戦前の国家体制では、宗教政策は飴と鞭だったといわれて、弾圧を行う一方で、飴としての懐柔策も行い、国家体制側に取り込む事で態勢の安定化に繋げるという手法が取られていたという。

この観点から日本の今の政治を見てみると、大小様々な新興宗教、ミニ宗教的なもの、カルトと同じだと批判されている様な一部の自己啓発セミナー、露骨にカルトだと看做されている様な危険度の高い宗教団体などが、こぞって国会議員に接近して関係を持ち、党レベルだったり、議員個人レベルだったりの支持団体、支援団体となり、選挙の度に信者を貸し出して必死の支援をさせたり、献金をする等して議員活動や議員の地位の維持に甚大な貢献をするという現状は、昔から続いてきた日本の政治体質そのものだと言える。

そして政治家と政党は、それらの貢献に対する見返りとして、彼らが問題を起こしても、警察に働きかけて揉み消す、あるいは警察が動かないようにする、党として動かないように党本体に働きかける、脱会者が金銭トラブルで団体を訴えようが、団体から嫌がらせを受けたと主張しようが、関知しなかった事にして見て見ぬふりを決め込む、と。

それでええんかい!


という話だ。

俺は創価学会の話を中心に取り上げているが、問題を起こしているのは、騒ぎになっている統一教会をはじめ、他に幾らでもあるだろう。

信者達を組織的に動員して悪さをした新興宗教の話は結構あるみたいで、既成政党に相談に行っても動かないという事で、以前は一部の政治活動家のところに被害相談が多数寄せられていたようだが、その中に大教団として名の通っている新興宗教の名が含まれていて驚いたものだ。

政府には国民を守る義務がある。

新興宗教やらカルトやらが暴れていて、国民に危害を加えているのであれば、政府が取り締まるのは当たり前であって、そんなものを「宗教弾圧だ!」「信教の自由を無視した憲法違反だ!」と言われたからと言って、取り締まらずに放置する事は、国の義務の放棄でしかない。

俺は何かおかしな事でも言っているだろうか?

宗教が政治と結びつく事によって、その宗教団体に対して警察が動かなくなる、政府や議会でその宗教団体の問題が取り上げられなくなる、必要な法律が制定されなかったり、規制や対策が講じられない等の深刻な問題が生じている以上、宗教団体による献金(信徒からの献金も含む)と選挙支援は禁止とし、宗教と政治との距離感を適正なものに変えるべきだ。

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