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父と私の日記

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かなり変わった父とアル中の母を持つ娘(一人っ子)の忘備録です
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1,父と私の日記

こんにちは、はじめまして。
うましおと申します。
40代でパート勤務、子育ても少し佳境に入りつつある今日この頃。
そろそろ、父の話をまとめたいと思い書き記します。
尚、本作には日本国内における、違法行為が含まれておりますのであらかじめフィクションとして捉えていただけると幸いです。また、暴力、誹謗中傷、読んでいて気持ちが荒むような内容は記しておりませんのでご安心ください。

2、父がいなくなった日

2、父がいなくなった日

私が小学3年生このころ、気づいたら父はいなかった。

うちの父は元々交友関係が広く、週3は友達の家に遊びに行っていたため(多分)すぐには気づかなかったが、ある時ふと、やたら父と会わないな…と思ったのだ。

母にこの事を聞きたかったが、なんとなく聞けない空気のまま父不在で毎日を過ごしていった。
その間母は以前と変わらず毎晩のように酒を飲み、機嫌は毎日乱高下を繰り返していた。

ある時「仕事をもう一つ

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3.屋根裏

3.屋根裏

我が家は木造新築の二階建てだ。

階段を登った所の天井に開き扉があり、鍵棒でレバーを引っ掛けて開き扉を開けると折り畳まれたハシゴが降りてくるパターンの、よくある屋根裏がうちにはあった。

そこには、私のお雛様の道具や家族のスキー道具のほかに、赤ちゃんの頃の洋服やおむつなどの思い出の品やなども置いてあった。
当時、近所にはうちより高い屋根の家はほとんどなかったので、屋根裏の明かり取り用らしき小窓を開

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清水港にて。

清水港にて。

父がインドから帰ってきて次の週の休みだったか。

父に連れ出されて清水港へ釣りをしに出かけた。この時すでに私は「父の舎弟」という位置付けだった。

私がずっと欲しかった流行りのウォークマンを、貯めたお年玉で買おうもんなら「ただカセット聞くだけでもったいないから、ラジオ付きにした方が良い」と言い、ラジオなどほぼ聞かない私に無理やり三万円のウォークマンを買わせほとんど父が所有していたことがあった。

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愛しのミックジャガー

愛しのミックジャガー

父には、仲のいい友達がいた。

それはサーフィン仲間のMくんだ。Mくんには奥さんと娘がいる。娘は私の一つ下で、うちと同じ三人家族だった。

Mくんは身長が高く、ホリの深い顔。ずっと誰かに似ていると思って調べたらミックジャガーだ。彼はいつも父に対して敬語だったので、年齢は多分父より年下だったと思う。

破天荒な父に対し「Kちゃん(私の母)を大事にしてあげなきゃダメですよ!そんなことじゃあ逃げられます

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生死を分けた伊豆旅行⓵

生死を分けた伊豆旅行⓵

毎年夏になると父の友達とうちの家族で、海か山へ1泊2日の旅行に行くのが定番だった。

父の趣味は多岐に渡るが、基本的には自然に親しむタイプの人だった。
親しむと言っても野草を愛でたりバードウオッチングしたりという親しむではなく、キャンプは山奥。野グソは常識。川の水飲むのは当たり前(湧水に限る)。海に行けば素潜り上等。焚き火はその辺の木を拾ってきてかまどを作って…という感じで、サバイバル感満載な遊び

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生死を分けた伊豆旅行②

生死を分けた伊豆旅行②

沖を泳いで父の言うプライベートビーチへ行くことが決定し、各自ビーチボートにコンロや食材、折り畳みのビーチチェアやボールを積み込み始めた。
私はシュノーケルと浮き輪。母はまだ何かわあわあ騒いでいるが、一人置いていかれるのも嫌なので渋々フィンを装着していた。
ボートの前方はO夫妻、後方にはTくん。真ん中左右に私と母というフォーメーションで、肝心の父はすでに海の中で待機しており、まるで「特攻隊長」のよう

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オリオン座映画館にて

オリオン座映画館にて

我が家はアウトドアな父と、インドアな母の両極端な構成の家族なのだが、映画と読書は両親の共通の趣味でもあった。

静岡市内には映画通りなるものがあり、街中から少し離れると紺屋町という町がある。そこには当時いくつもの映画館が軒を連ねていた。

紺屋町は、全館シアタールームの東宝会館と、信号を渡るとミラノ座1.2.3、ピカデリー、有楽座、オリオン座というおしゃれで夢のある名前の映画館が集合している地域で

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