ようへい

「聞くこと」「感じること」「考えること」「面白がること」を深めたい。その深い場所で見え…

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「聞くこと」「感じること」「考えること」「面白がること」を深めたい。その深い場所で見えるもの、できることを楽しみに生きています。

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「本当の自分」って、 もう死語だろうか

「本当の自分」という言葉があるが、実際には本当の自分も、本当の望みもない。 状況と経験が自分をどんどん変えていくからだ。 経験すればするほど、過去考えていた「本当」からずれていく。 どんどん変わっていくものを「本当」とは言えない。 「本当の自分」に近いものは「歪みが少ない自分」だと思う。 感じ方や考え方に歪みがあって、そんな自分が「本当じゃない」と感じることがある。 他人に影響されず、素直に感じたり考えたりすることができたらさぞかし爽快だろう。 追い求めても損はないだろう

    • 何か書きたくなったから、書き始めた文章

      久しくnoteに文章を書いていなかった。前回の投稿記事の日付は10ヶ月ほど前だ。書くことで得ていたのは満足感や期待感、不満、諦めない意志の再確認だった。 この文章は確実に、誰かに向けたものではなく、自分が自分のために書きたくて書く文章だ。誰かが読んでためになるものではなく、気分が晴れるものでもないだろう。誰かが読むためではなく、書くこと自体の意味を表す(表現ではない)ような、そんな文章になるだろうという予想をしている。 食べること自体に癒されるし、お風呂に浸かる事にも癒さ

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      • 自分が立っている場所を発掘してみると

        人は生まれた瞬間、いや母親のお腹の中にいるうちから自分の前提の一部が決まっている。 時代、国、地域、場所、遺伝子、関わる人。 そんな前提の上で人は生きる。 それが最初の足場。 降り立つ場所。 踏みしめる場所。 何の気なしに歩いたり、歯を食いしばりながら走ったり、ただ立ち尽くしたり、 先のことも考えずに、今をより心地よく、より不快ない選択をしていき、 経験し、成長し、過去を振り返ったりしながら、 生まれた時の足場に人生が蓄積する。 そのどの部分に自分があるんだろう。 どれ

        • 尊敬する人に雇われるということ

          私は今37歳で、パン屋でアルバイトとして働いている。 ここで働くことが今までになく気分がいいので、文章にしてみたくなった。 生き方を変えたくて仕事を辞めた 13年間家族だけの潤滑油メーカーで働いてきたが、個人的な転機を感じ、2019年末に辞めた。 仕事の当てはなく、自然で納得して生きられる状態を目指すことを優先することだけ決めていた。 会社を辞めて、このパン屋で働くまでの一年半。 全く仕事をしなかった期間があり、心を殺しながら、心を鍛えながら、しっくりっこない仕事をして

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          大手物流企業で働いた話③

          ここでは計35日ほど働いた。 そこで体験して感じたことは、 -ベルトコンベアに流される荷物は、その先で待つ人間のことを考えられていない。 -その状態を文句を言いながらも受け入れている人が多い。 -荷物やその外装が破損するのを見るはつらい。 -自分では捌き切れない量の荷物を担当させられた時、荷物を大切に扱う心が薄まる。 このようなことだ。 この中で一番こたえたのが、荷物を大切に扱う気持ちが薄まることだった。 ある日、一人で一つのテーブルを担当し、捌ききれずに荷物

          大手物流企業で働いた話③

          大手物流企業で働いた話②

          積み込みの仕事はパズルゲームとチームスポーツが合わさったようなものだ。 形、重さ、箱の耐久力を勘で計算して、潰れも崩れもしないように台車に積んでいく。 時には持ち上がらないほど重く、時には何も上に乗せられないほど柔らかい。 どのような荷物がどのように流れてくるかは分からない。 どう積むかを素早く直感で判断し、どんどんと積み上げる。 コンベアの分岐の先はローラー付きのテーブルになっていて、それを囲むように台車が並べられる。 1〜3人でそれぞれの送り先を担当し、分岐に引き込

          大手物流企業で働いた話②

          良くも悪くもマイペースな私の"キャリア"観

          私の現在のキャリアは一般的には凋落の段階にあるように見えるだろう。 大学を卒業して13年間働いた会社を辞め、19ヶ月。 アルバイトや単発の派遣で生活を立てている。 経験した仕事は、パブ、建築の現場監督、物流仕分け、パン工場の製造業務、パン屋さんのお手伝い。 学歴も能力も活かせてない感じがする。 しかし、私はそこにネガティブさを感じていない。 私が見ているのはそこではないからだ。 ここで、「私には夢がある」と言えば、これは聞いたことがありそうな話になる。 でもそう

          良くも悪くもマイペースな私の"キャリア"観

          大手物流企業で働いた話①

          私はここ数ヶ月間、大手物流企業の仕分け作業の仕事をしていた。会社員を辞めるまで自分がやるとは思ってもみなかった仕事だ。 社会を支える物流の裏側や、そこで働く人にも関心はあったが、お金があればやろうと思わなかっただろう。 SNSのようなシステムで企業と求職者をつなげるマッチングサイトを利用した就活が不調に終わったとき、生活資金が足りないことに気がついた。いや、やっとそこに目を向けた。 時間の融通がきき、給料の支払いが早い仕事を探すと、大手物流企業の仕分け作業の仕事がHIT

          大手物流企業で働いた話①

          「自分のため」を、書く理由のどこにおくのか

          久しぶりにnoteを書いてみて、これまで書いたものは「自分に向けて書いているんだな」と改めて感じた。 感じ、考え、伝えることがどうしてもうまくできない自分を、助け、支え、導くことができたであろう言葉を、提出期限が数年すぎた卒論のように私は綴ってきた。 誰もが書く理由のどこかに「自分のため」を含めて文章を書くのだろう。 しかしその理由は様々で、その認識は正しいとは限らない。 理由を勘違いしていると目的へ道のりは遠くなる。 今回はnoteを書く理由について、今の時点の認識を

          「自分のため」を、書く理由のどこにおくのか

          「◯◯のせい」と「自責・他責」を考え直す

          「あいつのせい」「家庭環境のせい」「コロナのせい」 そんなふうに「せい(所為)」という言葉は使われる。 辞書には『上の言葉を受け、それが原因・理由であることを表す』とあり、「ああ、そのように使われているな」と納得できる。 しかし私はこの言葉を使うこと、使われることに大きな違和感や不信感を感じている。 なぜならこの言葉を使うことには害が多いからだ。 そんな「せい」という言葉の下に埋まっているものを掘り起こしてみる。 「〇〇のせい」という言葉の害 「せい」という言葉はと

          「◯◯のせい」と「自責・他責」を考え直す

          何と言われても、 どう思われても

          人の話を聞くとき、「なぜそう言ったのか」の重要性は「何を言ったか」と同等だと思っている。 当たり前のことと思われるかもしれないが、それに即した聞き方をするのは簡単ではない。 「今のところはそう解釈している」という態度を常に取れるだろうか。 また、すでに解釈しているものを再評価するのも大変だ。 でも、このように聞くことができると、いろいろと楽になると私は考えている。 どういうことか、簡単に解説してみたい。 言葉の意味は状況によって変わる 「なぜそう言ったのか」が大

          何と言われても、 どう思われても

          問うて、 聞いて、 感じて、 考えて、 書く。 それだけの半年間。

          ここ6ヶ月、最近は人と会うことができてはいるが、ほとんどずっと家にこもっていた。 仕事はしていない。 やることを全て自分で決めてきた。制約は外出と金銭的なことだけ。 いい時間を過ごせた。 数ヶ月間働かなくてもいいという余裕を持つことで、私のからだから余計な力みが、心から理不尽な不安がなくなっていった。 9ヶ月くらい毎日のように続いた蕁麻疹が出なくなったのもこの間だ。 そろそろ振り返ってみたくなった。 やることを全て自分で決めたとはいえ、悩んで決めたということはな

          問うて、 聞いて、 感じて、 考えて、 書く。 それだけの半年間。

          その問いを、 どのように聞くのか

          問いは分からないことを知るための道具だ。 そして分からないことを知っているから問える。 分かったつもりになったものは問えない。 分かったつもりになるかどうかには、聞く姿勢が関わっている。 人を理解しようとする問いは、事実を確認するための問いより聞くのが難しい。 本人も気づいていないことがたくさん絡んでくるからだ。 「相手のことを理解したい」という気持ちの中には二つの焦点がある。 「相手」と「理解」。 「相手のこと」にフォーカスできれば決めつけたりしない。 「

          その問いを、 どのように聞くのか

          わたしの中のわたしは、 わたしじゃない

          わたしの中では、自分は圧倒的に近しい他人のように考えている。 わたしは他人。 だから自分で自分を無視したり、無理やり仕事させたりするとストレスがたまる。 「自分のことを知らずに他人を知れない」理由もそういうことだろう。 昨年末からの働かない生活の中でわたしは、たくさんのことをわたしと共にやってきた。 わたしが感じていること、考えていることをよく聞いた。 この半年のわたしとの静かな生活は、わたしとわたしとの距離を縮めた。 ランニングの途中、わたしがどの坂を登ればも

          わたしの中のわたしは、 わたしじゃない

          選択して生きていく、 僕らのための自問

            生きることは選択に溢れている。 昼ごはんや服装、果ては結婚相手選びまで。難易度も多様だ。 選択には失敗や後悔がつきもの。 どうすればより良い選択ができるだろう。 今回は選択に関わる「問う」「考える」「聞く」作業について考える。 選択作業の分解 「今日の昼ごはんはどうしようか」と問うた時、「手間」「価格」「好み」「気分」「同席する人」など、様々な要素を検討することが考えられる。 この検討の質は「昼ごはん」への思い入れや状況などによって変わる。 もし思い入れが強

          選択して生きていく、 僕らのための自問

          自分のための読書

          今日、「自分に語りかけているような文章」に出会った。 藤原新也の『幻世』だ。 「カンボジアで養子を選ぶ白人夫婦の話」 「神や命を踏み台にして生きてきた、チベット難民の青年が得た平穏」 「韓国と日本で。怒りの表現の行き着く先について」 世界を放浪していた著者の話題は豊富で、しかも出会う人との繋がりが深い。 何よりも文章の表現が好きだ。 「雨中に七彩の虹を見たものが、片時の間、世塵のことなどを忘れ去るように、あの時刻のヒマラヤの姿というものは、それに見入るいかなる人

          自分のための読書