良くも悪くもマイペースな私の"キャリア"観
私の現在のキャリアは一般的には凋落の段階にあるように見えるだろう。
大学を卒業して13年間働いた会社を辞め、19ヶ月。
アルバイトや単発の派遣で生活を立てている。
経験した仕事は、パブ、建築の現場監督、物流仕分け、パン工場の製造業務、パン屋さんのお手伝い。
学歴も能力も活かせてない感じがする。
しかし、私はそこにネガティブさを感じていない。
私が見ているのはそこではないからだ。
ここで、「私には夢がある」と言えば、これは聞いたことがありそうな話になる。
でもそうじゃない。
私が何より大事にしているのは、自分の能力への納得だ。
その能力とは"考える能力"、"操作する能力"、"感じる能力"、"行動する能力"、"表現する能力"だ。
これらの能力が正常に働かないことで、私は"何をしてもどこかがおかしい"人間として生きてきた。
能力を伸ばすことはこんな生き方への雪辱も含まれるだろう。
3年ほど前、知能テストを受けた。
結果は平均を割と大きく超えていたが、一部の値が低かった。
その一部が全体の足を引っ張っているようだった。
先生からは
「この知能なら普通に働ける」
と言われたが、私にはその実感はなかった。
私には自分の能力やあり方のイメージがあって、未だ納得できていない。
納得できる水準まで伸ばすことが私の最大級の目的になっている。
その途中でどんな道を通るかは、気にしない。
ただ、何か納得できる目的が必要だった。
物流仕分けの仕事は、物流を支える仕組みへの関心があった。
パン工場での製造作業はパンへの興味があり、また単純作業に没頭しながら思考を巡らしたかった。
その目的が満たされている間は気分良く働けた。
しかしその期間は長くない。
そしてそれらの仕事には私の気分を下げる内容を含んでいて、やりたい気持ちは消えていった。
これらの仕事は「これが私のキャリアです」と胸を張れるものではない。
単純労働だからではない。
気持ちが入ってないからだ。
パン工場の仕事は派遣会社を通していて、初めの一ヶ月は試用期間が設けられた。
辞める場合は2週間前に申告することになっていた。
その2週間前に達する3日ほど前に、今働いているパン屋から声がかかった。
そのパン屋は自宅の近所にあり、よく話を聞かせてもらっていた。
店主の生き方には尊敬していたし、奥さんの人柄もすばらしいと感じていた。
「この店をおもしろく発展する手伝いができたら本当に嬉しい」
お誘いの話を聞いた時、本気でそう思えた。
私は入ったばかりのパン工場に退職を伝え、パン屋で働くことにした。
パン屋で働き始めて、3週間ほど経っている。
生活できる収入には足りないし、課題は多いが充実している。
5ヶ月続いた太ももの緊張が消えた。
心からの気持ちを叶えることと仕事が重なるような生き方は目指していたことだが、こんなに効果が大きいとは思わなかった。
そしてそれを始めて達成したことに大きな満足を感じている。
私はパン職人になる決心はしていない。
他に関わりたい分野がたくさんある。
気持ちと納得を優先して本気で生きている間に、その思いは叶うと信じている。
私のキャリアは見た目は良くないが、私の人生として誇れるものだ。
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