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「自分のため」を、書く理由のどこにおくのか


久しぶりにnoteを書いてみて、これまで書いたものは「自分に向けて書いているんだな」と改めて感じた。

感じ、考え、伝えることがどうしてもうまくできない自分を、助け、支え、導くことができたであろう言葉を、提出期限が数年すぎた卒論のように私は綴ってきた。

誰もが書く理由のどこかに「自分のため」を含めて文章を書くのだろう。
しかしその理由は様々で、その認識は正しいとは限らない。
理由を勘違いしていると目的へ道のりは遠くなる。

今回はnoteを書く理由について、今の時点の認識を綴ってみる。

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自分が置かれていた状況について書いた文章をまとめるとこんな感じだ。

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自分が感じていることを整理できずに、より大事な気持ちを選べない自分から出る言葉は、判断を相手に委ねるしかない。

相手の反応はいつも自分の期待とは違った。 


「なんとか私の本心を見つけて欲しい」
そんな期待をしながら私はガラガラ抽選のように出てきた言葉を口に出してきた。


そんなことだから、私は言語や文章や認知や哲学や実体験に助けを求めた。
勘違いをしないための思考や話の聞き方の勉強は、自分自身の声を聞くのにも役に立った。
そして私は助かった。
次の段階に向かうことができるようになった。

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コミュニケーションの前段階、自分の感覚を認識し整理をする能力を獲得しつつあった当時、自分の状態を表現することは悲願だった。

自分で自分のことを表現できないのに、他人が自由に判断されるのはひどく落ち着かなかいものなのだ。

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私が自分のことを書く時にイメージしたのは、テキスタイルデザイナー鈴木マサル氏のブログ「テキスタイル獣道」だ。

読み始めた時には、彼はマリメッコのデザイナーとして活躍していた。ブログを遡って見るとマリメッコへの思い(雪の降り積もるマリメッコ本社の周りをただうろうろしていたりした)やそのオファーが決まった時の瞬間を目撃することができた。

未完成の状態(しかも完成する保証はない)からある地点への到達する道筋を記したそのブログに憧れた。
私はその瞬間を自分で味わいたいと思った。

それも私が書く理由の一つ。

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自分のことや考えを伝えたいという気持ちもあるが、それは自分のためだ。

私のように、自分や他人とのコミュニケーションが苦手な人々の立場が悪くなりにくくなることを願って書いた文章も自分のためだ。

思い違いによる時間や資源や情動の無駄をなくしたいと考えているのも、自分がそんな世界に住みたいからだ。

文章の練習のために書いてもいた。
おかげで書くのが楽になった。

思考回路もスッキリしてきた(文章だけが原因ではないけれど)。


自分のために文章を書くのは良いものだと思う。
それぞれ思い立った時点の理由や後から気づく利益もあるだろう。

私は自分のためだけに書いているような文章を読むのも好きだ。
書くことで何かを求めるような文章だ。
それは役に立つ文章や上手に書かれた文章とは味わいが違う。

私はこれからも自分のために書くし、自分を助けるために書いている文章をもっと読みたい。


心当たりがある人は紹介してほしい。

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