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何と言われても、 どう思われても


人の話を聞くとき、「なぜそう言ったのか」の重要性は「何を言ったか」と同等だと思っている。

当たり前のことと思われるかもしれないが、それに即した聞き方をするのは簡単ではない。

「今のところはそう解釈している」という態度を常に取れるだろうか。

また、すでに解釈しているものを再評価するのも大変だ。

でも、このように聞くことができると、いろいろと楽になると私は考えている。

どういうことか、簡単に解説してみたい。


言葉の意味は状況によって変わる


「なぜそう言ったのか」が大事なのは、発言とは発言者の「言いたいこと」だからだ。

それは「思ったことを自由に」というわけではなく、状況を考慮した判断や無意識に出る言葉も含まれる。

「言いたいけど言えなかったこと」でも、口に出すと望まない結果になると思ったから「言いたくなかった」のだ。本人にとって最善の選択をしているという意味でそれは「言いたかったこと」だ。

だから、同じ言葉でもその意味は事情によってどのようにでも変わる。

その意味で、発言内容と発言理由は同じように大事なのだ。



しかしまた、発言理由は内容と同等にある意味大事ではない。

なぜなら、発言者ですらその言葉を選んだ理由を完璧には把握できないし、内容をコントロールできるのは一部だけだからだ。

気分が悪かったり、不安だったり、自信が過剰だったり、穏やかだったり。
気分や状況は自分で選べない。

誰にも分からないことを重視しても空回りするだけだ。



内容も理由もどちらも大事で、どちらも絶対じゃない

言葉通りに受け取るのも、理由を想像して解釈するのも勘違いを生む。

確実な事実は「状況」「相手の態度」「発言内容」「どう感じたか」だけで、その解釈は事実にはなり得ない。

解釈と事実は混同しやすい。

特に「自分がどう感じたか」はたくさんの解釈を生む。

不快な思いをさせた相手は「不快な人」で、印象が良ければ「いい人」。

「第一印象が大事」と言われるけれど、それは人が不当な解釈をしやすいということを意味する。

印象とはその人のほんの一部分を主観的に評価したものだ。
その印象は相手への態度を決め、それは相手の態度にも影響する。

つまり、印象の持ち方が相手の態度を変える。それを望む人はいるのだろうか。
印象をもとに判断することは「楽」だという他に良いことはない。

この点で「自分がどう感じたか」と「解釈」は分ける必要がある。



解釈を保留できると、とても自由だ   

私は思い込みと決めつけを大幅に減らすことほど、簡単に世界をよくできる方法はないと考えている。

世界がよくなる理由は、意思疎通の齟齬が減り、負の感情や人間関係の摩擦が減ることで気分良く生きていける人が増えるということ。
簡単とは分かりやすくて誰でも試せるということ。

話を歪めないで聞くことはその実践として優れていると思う。


私の場合、解釈や決めつけから(ある程度)自由になってとても楽になった気がする。

それは「どう感じたか」と「事実」に集中できるからだ。

他人の考えや感想を推測してヤキモキしなくてもよいのは楽だ。

他人は他人だし、自分のことですら多くを知らない。 

それでいいのだ。

知って欲しいという期待をコントロールできていない人には、「無理矢理じゃなくて、ちゃんと頼むなら聞くよ」と伝えてあげよう。


人がどんなことを言っても、それはその人が「言いたかった」というだけだ。

見えない理由がそれを言わせたのだ。

開き直るような感じがするが、誠実な態度だと思う。

決めつけは相手を蔑ろにすることだ。

相手がどんなことを言っても、理性は少し引いたところに置いておきたい。

それがお互いに少しでも気持ちよく過ごせる方法だろう。


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