ヨウ

朗らかで、賢くユーモアのあるさまがすきです。

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  • 映画の名言に学ぶ

最近の記事

人生に及び腰

及び腰でいるということ。 腰が引けていている態度というのは、側から見ると非常に頼りない。 大事なことは頼もうという気にならないし、なんならあいつはハナからやる気がないと思われるかもしれない。 しかしながらこの状況、腰が引けている本人が一番キツいということをぜひ多くの方に理解してもらいたい。 及び腰であるということには、もとより本腰が入っている人にはわからないつらさがあると私は思っている。 まず及び腰という体勢について想像してみて欲しい。やや腰を曲げ、力の入り切らない不安定

    • 映画の名言に学ぶ。ep.4「PERFECT DAYS」

      2023年12月24日、クリスマスイブ。 日曜なのに仕事をして、その日最後の上映に向かった。 作品が私を呼んでいる感じがした。わからないけど。 こんな人も世の中にはいるのかもしれないと思った。 東京渋谷の公衆トイレを毎日掃除するのが仕事で、機嫌の良い、無口な主人公が素敵だった。 毎朝、空を見ては、ほほ笑む。 人からの蔑まれるような態度は、あまり気に止めない。 人とのちょっとした、あたたかな交流を大切に、植物と、木漏れ日を愛でる。 毎日同じことの繰り返しだけど、実は、ちょっ

      • 右脳と左脳のバランスがいい人

        右脳と左脳の働きのバランスがいい人って素敵。 こうしたらみんなハッピーだよね、ということを誰にでもわかりやすく説明できる人というか。 だれにでもわかりやすく体系化して順序よく話せる人というか。 私は生まれてこのかた、自分では理屈で説明できない「いい感じ」を追い求めて生きてきたタイプの人間で、多分常時左脳のやる気がない。 働いてないというか、やる気がない。 一生懸命動かそうとしないと動かない。 なんせ瞬発力がないので根気強く付き合っていく必要がある左脳くん。 右脳と左脳の

        • 人それぞれの世界

          当たり前だけど、人それぞれ本当に見えている世界って違う。 驚くほど違う。 ある人にとっては到底無視できない、ゆゆしき事象であっても、 ある人にしたら全く気にも留めていないことっていうこともよくある。 会社の同僚のさいとうさん(仮にそう呼ぶ)を見ていると、とてもそう思う。 会社という一つの小さな世界の中であっても、私とさいとうさんの見ている世界というのは、まるで違うのだ。 さいとうさんは、自分の尺度において仕事ができないと決めた相手には裏で大変にひどいことを言う。 自分以

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        • 映画の名言に学ぶ
          4本

        記事

          生存戦略

          「一個の宇宙と等価であるハムスター。複雑な機能を全て完璧にバランスさせながら毛繕いし、呼吸し、マメにがっつき消化する素敵な存在。我々も同じ。」 私が可愛がっているハムスターをみて、母が言っていた。 変わった母だ。やたら壮大なことを言う。 そして私はそんな母のことを結構気に入っている。 母はとても穏やかになっていて、私は嬉しい。父と一緒にずっとずっと長生きしてほしいなと思う。 最近、幼少期のことを思い出して、どうやって今の自分が形成されたのかを考えていた。 今思うと、物

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          人間失格について

          これまでの人生で2回読んだ。 1回目は学生の時。たぶん大学生時代。 2回目は今週のことだ。 学生時代に読んだとき、主人公の葉ちゃんの心理が自分にもわかる気がして、そうか私も人間失格なんだ、と思って怖くなったのを覚えている。 そしてバアのマダムの最後の一文が衝撃的で、かつ意味不明に感じられて、「あれは一体何だったんだ」と思って、思ったまま、疑問は放っておいていた。 今週はなぜか人間失格のことを思い出して、また読んでみたら今度はわかるかもと思い立って、なぜか読んでみた。 ずい

          人間失格について

          苦しいときに、思い出すこと

          今の職場には、気遣いが上手で、親切な人が多い。 誰にでも、私にも、分け隔てなく、フラットに接してくれる。 私は前職でずっと下っ端扱いをされていたし、それを当たり前と思っていたし、上司や先輩と私では周りから扱いが違うのは、意識せずとも然るべき姿なのだと思っていたが、 この会社にきてこんな風に、人を人らしく扱ってくれる世界があるのだと知った。 知らず知らず、世界とはこんなものだと、世界とは世知辛いものなのだと、思っていたけれど、そうではない世界があるんだと、目が覚める思いがした。

          苦しいときに、思い出すこと

          なにもしない、そのあと

          私は疲れていた。 ここ何ヶ月も、仕事も恋愛も身体も一体どうなってるの?というぐらい問題が生じて、仕事の忙しい合間をぬっては、心の中でどうしてこうなった?と、思い悩んでいた。 平日はとにかく仕事で疲れてしまって、残業後にはすぐにベッドに入って眠ってしまう日が続いた。土日も寝込んで昼下がりに起きることも多かった。 なにも気力が湧かない、疲れているというときに、よく言われるのが、「何もしないで、とにかく休め」である。 そういうことなので、何もしないで、とにかく眠ってみた。 休

          なにもしない、そのあと

          泣きながらでも生きられる

          十分に子どもができる年齢だけど、いまだに自分の面倒もろくに見られない。 いまだに、自分のことで精一杯。 体調のこととか仕事のこととか。 仕事終わりの22時から、彼が目論んでいる部屋模様替えの話を持ち込まれても、考えるなんて無理。 一刻もはやく早く寝たい。 もっとキャパシティの大きい人間に生まれられたらよかった。 キャパシティって、もちろんこれまでの経験や育ち方にも大きく左右されるんだろうけど、私はなんとなく、生まれた時からDNAに練りこまれているんじゃないかと思っている。

          泣きながらでも生きられる

          大丈夫、私には私がついている

          日曜日、朝起きた瞬間からなぜか胸がざわざわする。 こういうとき、不安から目を背けるために、とりあえず朝お風呂に入ったり、散歩に出かけたりしてみるんだけど、不安は緩和されない。 困った。 今回は気分転換をいくらしようとも、不安が大きくなってしまう。 ちょっと考えてみたら、 あー、私、明日になるのが怖いんだな、と気がついた。 仕事だ。 繁忙期に入ってきて、毎日ありとあらゆる問い合わせがくる。 必然的にトラブルも増える。 金曜もそうだった。そして来週なにをしないといけないか

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          「あなたがいい」と言われたいみたい

          世の中に特別な人と凡庸な人とがいるとしたら、私は間違いなく凡庸な人間の一人である。そんなことはもう10代〜20代前半にかけて嫌という程思い知らされている。 誰かが認めてくれるようなすごい才能はない。 なにごともそれほど突き詰めて追求したり探求したりしない。 だいたいのことはほどほどの努力で「まあこんなもんかな」と思ってしまえる。 大満足しているわけじゃない、こうだったらいいのにな、わかっているのにやれないな、そんなことを抱えながら生きる、なんの変哲も無い現代人。 わかって

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          勝手に幸せになってくれ

          仕事では、もちろん常に相手がいるから、 自分も相手も気持ちよく仕事をするにはどうしたらいいか、幸せな形は何かを模索する。 だけどそれ以外の時間で、私ほど自己中心的人物もいないのではないかと思うほど、私は自分のことしか考えていない。器の小さいやつである。 自分の幸せとは何か、なにをしていたら、どこにいたら居心地がいいのかの探求に余念が無い。 家族のいないことの特権かもしれない。大変贅沢な人生の使い方である。 だいたい、私の力で誰かを幸せにするなんてことは基本的に無理であると

          勝手に幸せになってくれ

          おいしいサラダを食べよう

          自分を大切にするってどういうことなのかわからない。 自分は怠惰な人間だから、頭が悪いのだから、人より考えて、下準備をしておかないことには人並みに生きていけないような気がして、 休日もずっと頭の隅で仕事のことを考えたり、生産的でいなければならないと焦ったりする。 今を思いっきり楽しんでなんかいたら、きっと後から痛い目にあうんじゃないかという不安にかられたりする。 なるべく楽しいことに心と身体を支配されないように、なにか不安なことに頭をもたげているほうが安心だと言わんばかりに。

          おいしいサラダを食べよう

          私たちはここよ

          この間、誘われて生まれて初めて朗読劇というものを見に行った。 題目は「世界から猫が消えたなら」だった。 内容はなんとなく知っていて、私は物語自体への感動はそれほどなかったのだけど(客席は鼻をすする音でいっぱいになっていたが)、確かにプロの方々のお芝居は立派であった。 しかし私が、なによりも感動したのは暗い舞台で一度だけ、星空を模した、たくさんの裸電球がパッと輝いたときだった。 物語において重要な場面なわけではなかったが、舞台の天井からばらばらの高さで吊り下げられ、きらきらと

          私たちはここよ

          比べられるものはなんにもない

          働く場所や関わる人たちを変えれば、自分も変わるかなーなんて思ったが、 別に私自身はなにも変わらなかった。 相変わらず、自分のペースでしか仕事はできないし、したくない。 それでいいのだと、日々自分に言い聞かせている。 永遠に自己効力感を得られなかった職場から脱して、新しい環境で働いてみたら、ちょっとばかり面白がってもらえたり、よいところをよい、と言ってもらえることもある。 そうしてちょっと調子に乗ったりして、私結構調子いいんじゃない?と嬉しくなったりなどする。 しかし次の瞬間

          比べられるものはなんにもない

          強くて優しい

          優しいだけじゃ、だめ。 社会人になってすぐにそう思った。 社会で生きていくには、図太く、鈍感で、鋭く、強くならないといけない。 優しいだけじゃ、自分で自分を追い詰めて、潰れてしまう。 そう思うと、これまでの自分を否定するような思いがした。 やわらかく、穏やかで、細やかに、もっと自分の感覚に頼って生きられたらよかったのに。 仕事をしていると、なぜか自分の良さみたいなものが失われていくような気がしたのだ。 仕事で求められる強さと、自分が大事にしたい優しさが、相反するものに感

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