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人生に及び腰

及び腰でいるということ。
腰が引けていている態度というのは、側から見ると非常に頼りない。
大事なことは頼もうという気にならないし、なんならあいつはハナからやる気がないと思われるかもしれない。

しかしながらこの状況、腰が引けている本人が一番キツいということをぜひ多くの方に理解してもらいたい。
及び腰であるということには、もとより本腰が入っている人にはわからないつらさがあると私は思っている。

まず及び腰という体勢について想像してみて欲しい。やや腰を曲げ、力の入り切らない不安定な体勢である。
これは絶対にキツい。
そんな姿勢を続けていると腰をやられる。腰は要なのに。
本当はもっと上手くやりたいのに、腰が使えていないから変なところに力が入ってしまっている。
しかも自分が今その状況であることがよくわかっていない。
このままでいいのかも、これからどうしたらいいのかもわからなくて、迷いがある体勢というか。

腰がきちんと入っている人は体勢が安定している。
座り姿も立ち姿も屈むときにも、腰がきちんと使えていれば、その姿勢を続けても背中や腰を痛めにくいし、適切に力を使える。

そう、腰は要だから。
及び腰でいるよりも、本腰いれているほうがむしろ楽なのである。

仕事や人生においても、大事だと思うことに対しても及び腰でいるより、本腰を入れて向き合った方が、大変なように見えて実は楽なのではないかと思う。

問題も不安も、及び腰の間は怖いけど、
一つひとつに向き合って要素を分解して解決しようと夢中になっている最中には、実は怖さはあんまり感じていないのではないだろうか。
本腰が入っているというのは、頑張りどころがわかっているということのような気がする。

及び腰でいるときは、頑張りどころがわからなくて、頑張れる人と自分が何が違うのか、自分はこのままでいいのか、自分の本腰を入れるフィールドはここではないのでは?など余計なことを散々迷っているときなのではなかろうか。
頑張りたくても頑張り方も、頑張りどころもわからないのだ。

本腰が入っている人の方が心も身体も強いし、偉い感じがする世の中なので、
頑張りどころがわからないでいるのは、本来やるべきこと(そんなものがあるのかもよくわからない)に向き合ってない、時間を無駄に過ごしているような気がする。
及び腰の人だってできるものならぼんやりしてないで本腰入れたいに決まっている。

及び腰、どう考えてもきつい。
と、仕事に人生に及び腰になりがちな私は思っている。
目の前のことを粛々とやるっきゃないと、ちょっと倒れた腰を正しながら、今日も仕事をする。

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