私たちはここよ
この間、誘われて生まれて初めて朗読劇というものを見に行った。
題目は「世界から猫が消えたなら」だった。
内容はなんとなく知っていて、私は物語自体への感動はそれほどなかったのだけど(客席は鼻をすする音でいっぱいになっていたが)、確かにプロの方々のお芝居は立派であった。
しかし私が、なによりも感動したのは暗い舞台で一度だけ、星空を模した、たくさんの裸電球がパッと輝いたときだった。
物語において重要な場面なわけではなかったが、舞台の天井からばらばらの高さで吊り下げられ、きらきらと輝いている暖色の電球が美しく、それに感動して泣いた。
このシーンのために心を込めた人がいる、と思った。
わたしは心の中で「あなたのその心、私がしかと受け取った」と、舞台を愛を込めて作った人へメッセージを送った。
「小さな美しさが世界に訴えている。私たちはここよって」
映画イン・ザ・ハイツでも、おばあちゃんがそういっていた。
私は、自分は重要で一目置かれるべき存在なのだ!と周りの人にアピールをしないと生きていけないような気持ちになることがある。
いつもそんなことを考えているわけではないけど、他の人に埋もれ、自分なんかいてもいなくてもよいという状態が恐ろしく、
私は誰かの役に立っているという実感が得られなかったり、
社会や友人との繋がりが希薄に感じたり、
仕事の成果が思うように出ないと、
無力感に襲われて不安になってくるのだ。
日々の大半の時間を費やすビジネスの世界では、みんなの数値や成果や影響力が如実に現れて、否応なしに同僚と自分は比べられ、評価が下される。
ビジネスは取引の世界だけど、私は取引が苦手だ。
だいたい私は、相手が尊く偉いのにたいして、自分は劣っていてつまらないと根っこで考えているので、相手と同等の立場でしなければならない取引というのを公平にしようにもできないのである。
自分に値段をつけるのも、自分をアピールするのも、自分の意見を通すのも苦手だ。
ここまでくると、もう営利企業で仕事をするのがもうだめなんじゃ。。。という気になってくる。
しかし最近、「同じ役割でも、価値の出し方は人それぞれあってよいのだ」と、どこかの本で読んで心が救われた。
ナンバーワンでなくても、オンリーワンでよいのだ。
仕事で必要とされている能力のうち、だいたいはそこそこでも、自分のこれを私はやりたいのだ!頑張りたいのだ!というところで個性を発揮できたらよいのだ、と思えるようになってきた。
私も、心を込めて仕事をしよう。私はここよって。
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