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人それぞれの世界

当たり前だけど、人それぞれ本当に見えている世界って違う。
驚くほど違う。

ある人にとっては到底無視できない、ゆゆしき事象であっても、
ある人にしたら全く気にも留めていないことっていうこともよくある。

会社の同僚のさいとうさん(仮にそう呼ぶ)を見ていると、とてもそう思う。
会社という一つの小さな世界の中であっても、私とさいとうさんの見ている世界というのは、まるで違うのだ。

さいとうさんは、自分の尺度において仕事ができないと決めた相手には裏で大変にひどいことを言う。
自分以外の人は、コミュ障である、とまで言う。

私にとっては、さいとうさんが言う「仕事ができない人」というのは、この会社の、この特定の仕事が合わなかっただけであって、きっと他にできることがある人だと思っている。
仕事ができない人、と一言で言ってしまうのは、乱暴すぎやしないかと思うのだ。

自分以外の人がお客様と喋っているのを聞いて、もっとこういう表現があるのに、とか、今のは余計な一言では?など気がつくところはいいとは思うのだが、私はそれをコミュ障とまでは言わない。
だいたい、それでいうとさいとうさんだって別の人から見ればコミュ障ということになる。
全員、ある種、それぞれの方向にコミュ障な部分があるってことでいいんじゃないか?
きっとさいとうさんにとっては自分以外コミュ障というのが見えている現実なのだろう。

ある友人は、20代後半で大学で法律の勉強をし始めた友達について、「すごいなあ。自分のやりたいことに気づいて実行に移せるなんて」と私が思っている一方で、友人は「20代の市場価値を棒にふるなんて」というような主旨のことをいっていた。
市場価値。確かにそういう指標があるのだろう。
だけど、まるで世間が決めた価値だと言いたげだけれど、それってあなたが思っていることなんじゃないのかしら、とも思う。
20代の市場価値だって。
そんなのは、たぶん転職業界が勝手に考えた言葉だ。知らんけど。
みんな、幸せになるために、すきなように生きたらいいじゃないのかしら。

みんな頑張り屋さんで、自分こそが一般的な意見を言っているのだと思ったり、人からどう見えているのかがすごく大事に思えたりするのだろう

まあ、私がのんびりした性格だっていうのも、あるんだろうけれど。

私はこの季節の晴れた日、外のひんやりした空気を吸うだけでちょっと幸せだ。東京の空気は少し、冬の匂いがするようになった。

私はまだ、周りの人の気持ちがどうしても気になるし、仕事においても自分の好きとか嫌いとか、まだまだよくわからないから、自分の感覚を取り戻すリハビリ中だけど。

人それぞれ、勝手なことを言ったり思ったりするものだから、
自分はどう思うのかを自分に問いながら、自分に丁寧に寄り添って生きられたらいいなあと、思う。

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