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勝手に幸せになってくれ

仕事では、もちろん常に相手がいるから、
自分も相手も気持ちよく仕事をするにはどうしたらいいか、幸せな形は何かを模索する。

だけどそれ以外の時間で、私ほど自己中心的人物もいないのではないかと思うほど、私は自分のことしか考えていない。器の小さいやつである。
自分の幸せとは何か、なにをしていたら、どこにいたら居心地がいいのかの探求に余念が無い。
家族のいないことの特権かもしれない。大変贅沢な人生の使い方である。

だいたい、私の力で誰かを幸せにするなんてことは基本的に無理であると考えているのだ。
そのとき自分と一緒にいる人が、心地よいといいな、優しい気持ちになってくれたらいいな、喜んでくれたら嬉しいな、ということは考える(むしろ誰かと一緒にいるときにはそれしか考えていないかも)。
しかしながらそれは一時的なことであって、
恒久的には幸せな人は勝手に幸せでいるし、私がどんな手を使っても不幸な人は不幸である。
みんなの幸せは人それぞれで、きっと自分の幸せとは何かを知っていて、実践している人が幸せになれるのだと思うから。

私の基本スタンスは「みんな勝手に幸せになってくれ」と願う、というものである。
一緒に遊んで、飲んだ後の友だちにも「よーし、みんな、あとは勝手に幸せになるのだぞ。解散っ!」と思っている。
そして、自分にもいつもそう言い聞かせている。

こんな考え方は、広がりもないし、孤独であることは確かだ。
やめればいいのに、私は自分の幸せに人を介入させないという頑固さがあって、
そのため人から甘えられたり私の時間を求められたりすると「甘えるでない」と思うことがある。めっちゃ厳しい。

素直に、甘えたり、甘えられたりすればいいのに。
自分と向き合っているだけじゃ、どうしても塞ぎこんでいってしまうでしょうに。

他人を巻き込んで自分も幸せになることを考えられたら、今よりスケールの大きい人間になれるのでしょうに。

しかしながら、自分を蔑ろにして、頑張り続けた結果疲れ切ってしまった経験があるからか、いまはなるべく、小さく、頑張らないように生きている、そんな感じ。

頑張らないように頑張ることで、私は今精一杯、ということで、
あなたのことはあなたに任せるから、みんな勝手に幸せになってくれ。

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