【年齢のうた】斉藤和義 ●21歳、22歳、26歳、そして32歳…「アゲハ」の彼女は今日も歌を唄う
阪神タイガースがアレしました! ファンとしては感無量です。
僕は子供の頃から阪神ファンで、しかしその間だいたいダメ虎だったわけです。たまに強い時期もあったわけですが、そのタイミングに限って野球を熱心に見てなくて(気持ち的なものとか子供の誕生で大忙しとか)。その分、今回は初めてシーズンの戦いぶりをちゃんと追いかけられた優勝で、14日はしみじみとその感慨に浸りましたわ。
今出てる雑誌『昭和40年男』で僕は、ザ・コレクターズのインタビュー記事のほかに、1985年の阪神日本一のページも書いています。
この取材の一環で、同じく虎ファンの作家・島村洋子さんに話を聞きに行ったのが7月中旬。それは元選手の横田慎太郎さんが病気で亡くなった直後で、その取材の席は彼がこの世をいなくなった悲しみを語るところから始まりました。
この時の阪神は首位から陥落しそうで、実際にその後ちょっとだけ2位に落ちるんですが。それでも僕はこの時に「阪神は優勝すると思います」と断言しました。というのは、その時期はセ・リーグの他チームは戦力が不安定なのに対し、阪神は、決定的な強さはないものの、どの試合も僅差、接戦に持ち込みながらなんとか勝利をつかむパターンを続けていたからです。これは決して勢いではない、むしろ戦いぶりの印象以上に強いな、と感じていました。
気がつけば今は親族含め周りに阪神ファンが多いので、とにかく良かったです。ただ最近ほとんどそういう話をできる相手に会っていないので、語ることはほとんどしていないのですが。
念のため言っておきますが、僕はおとなしいほうのファンだと思います。阪神ファンだと言うと、東京の方には「もしかして過激な性格ですか?」と言われたものでした……!
さて、今回は斉藤和義です。前回書いた吉井和哉とも交流があるアーティストですね。
デビュー30周年を迎えているとのことで、おめでとうございます。
うちのカミさんがもうすぐそのツアーを観に行きます。それに(多少)合わせた今回のエントリーになります。
僕も、初期の「君の顔が好きだ」「歩いて帰ろう」の頃から好きなアーティストです。
今回取り上げる曲は、「アゲハ」です。この2000年頃は彼のライヴによく行ってたな。僕は彼にインタビューを何度もしたし、フライヤーの原稿の執筆もしました。
それにタワーレコード渋谷店でのイベントの司会をしたこともありましたね。斉藤くんはその時カミさんが連れてきた幼かったうちの子のほっぺたを「ちょっとすいません~」と言いながら、人差し指でぷにぷにしました。娘は今でも「せっちゃんにぷにぷにされたよ」と自慢します(まったく覚えてないくせに)。
2000年当時に驚いた、32歳の女性という具体的な描写
斉藤和義の「アゲハ」は、2000年2月にリリースされたシングル曲。オリジナルアルバムでは、その翌月発売の『COLD TUBE』に収録されている。
今回のアイキャッチ画像は、この歌を収めているベストアルバム『歌うたい15 SINGLES BEST 1993~2007』のジャケットである。というのは、「アゲハ」のシングルもアルバム『COLD TUBE』もアートワークがちょっと抽象的なので、画像としてはベスト盤のほうが伝わりやすいかなと考えたためだ。
当時、この前の段階の彼はSEVENというバンドでも活動して、ちょっとサイケデリックな方向性も見せていたので、自分の可能性をあれこれと試していた時期なのだろう。「アゲハ」のMVも、ポップでカラフルではあるものの、若干シュールな部分が感じられる。それはそれとして、非常にいい曲だ。
楽曲自体はフォーク的で、アコースティック・ギターの響きがとても映えるナンバーである。バンド的な演奏だと、そこにフォークロックの味わいがにじみ出る。斉藤の柔らかく優しい歌声も最高。僕はリリース当時から好きな歌で、雑誌のレビューで、たしか「心のスキ間にしみ込んでくる叙情性が素晴らしい」といったことを書いた記憶がある。
ところで僕はこの曲を最初に聴いた時に、ちょっと驚いた記憶がある。
歌詞に出てくる年齢のことだ。
この歌では、唄われる女性の年齢がだんだん上がっていく。主人公はおそらくひとりで、その「彼女」は、歌の1番では、21歳、22歳。続く2番では、26歳、32歳となっていく。
僕がビックリしたのは、この最後の描写だ。
さ、32歳の彼女!?
そう、30代の女性の年齢が、歌のストーリーの中で唄われていることに驚いたのである。
というのは、それまで、つまり2000年頃ぐらいまでのポップスやロックで唄われる曲において、32歳……30代の女性について具体的に振れた曲は、聴いた記憶がなかったからだ。
この【年齢のうた】で取り上げてきたように、唄われるのに多い年齢は、だいたいは15歳とか17歳など、ハイティーンが中心である。
斉藤の「アゲハ」が出る4年前の1996年には、奥田民生が「イージュー★ライダー」で30代の青春を唄っている。また、この世には20代を唄った曲も多数存在する。
もっとも、ロックやポップスのみならず、それまでの歌謡曲や演歌の歌詞にまで広げれば、設定が30代の女性の歌も、きっとたくさん存在したことだろう。歌の中の女性が、たとえば別れ(離婚)や過去のツラい出来事を背負っているような描写はあまたあるわけだし、そうであるなら30代、40代……いや、さらに上の年齢であってもおかしくない。
ただ、30代の女性、それも32歳という具体的な年齢(の設定)を唄った曲は、少なくとも2000年当時の自分は、ほかに知らなかった。とくにロックやポップスというジャンルにおいては、ほぼ聞いた記憶がなかった。
しかもこれを作り、唄っている斉藤和義は、男性である。
この歌を彼がどんな思いで作ったのかを聞いたことはない。しかし物語的な歌詞であることから、おそらくそういう設定で書いたのではないかと思う。ある程度はフィクションであると考えていいはずである。
ちなみにこの2000年は、斉藤自身は33歳から34歳になった年である。
「アゲハ」の向こうにちょっと感じた、音楽ファンのアダルト化
それからもうひとつ、当時この歌に関連して思ったことがある。
「アゲハ」で32歳の女性のことが唄われているのは、世の中の音楽ファンの年齢層が上がっている状況も少し関係しているのでは?ということだ。
昔から歌謡曲や演歌、それにポップスは、主に若者の歌を唄ってきた。多くのシンガーやアーティストは若くしてデビューし、その年齢に近い、青春を舞台にした曲を売り出し、ヒットチャートをにぎわせてきたものだ。昭和中期に出てきたロックなんて、それこそ若者向けの最たる音楽だった。そしてそれらを売る側であるレコード会社や音楽事務所は、もちろん若い世代を中心に、レコード(やカセット、CD)という商品を発売してきた。
その後、この若年向けというスタンスは、徐々に上の年齢層へと移行していく。当の歌手たち、それにファンやリスナーはだんだんと年齢を重ね、20代から30代、40代になっていったのだ。また、これと別に、大人世代でも楽しめる歌も多く出されるようになった。
こうした動きは、歌謡曲や演歌はもちろん、ポップスやロックの世界でも起こった。たとえば70年代から80年代に定着したAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)のように、大人の歳になっても親しめる音楽が普及していったのである。
さらにこの傾向は、90年代から2000年代、さらに2010年代から現在の2020年代へと進む過程で、いよいよ一般的になった感がある。
2000年頃、レコード会社は中高年世代を「エルダー層」と呼んで、CDやDVDなどのマーケティング施策を打つようになっていった。たとえばそうした層にアピールできるベテランのアーティストの作品(新作、カタログ作ともに)のほかに、ヒーリングミュージックだとか、あるいはアンプラグドの作品も積極的に作られたのだ。それより少しあとのカバー作品のブームも、そうした大人向けの音楽を売り出した流れに組み込めると思う(もちろんそうした音楽を好む若者もいたとは思うが)。
その結果、今では音楽ファンは、接し方はさまざまでありながら、若い世代から老人層までを網羅して捉えられるようになっている。昔のように若者一辺倒ではなくなったのだ(逆に言えば、70年代頃までは若者に特化していたきらいがある)。
去年、老人ホームでレッド・ツェッペリンを聴いているというニュースを聞いた時は、それはそうなるだろうなと感じたものだ。
このように音楽ファンのアダルト化が進行した90年代から2000年代。僕はさまざまなフェスやコンサート会場、ライヴハウスに足を運びながら、音楽ファンの大人化を実感していた。大人になっても音楽を聴き続ける、それも新しいものにも関心を持つようなファンは、昔に比べてすごく多くなったなと、しょっちゅう感じたものだった。
まさにその2000年頃、誰だったかは忘れたが、デビューして数年ぐらいの男性ソロアーティスト(斉藤和義ではない)のスタッフが「うちのファンって30代が多いんですよね」と、ちょっと照れくさそうにこぼしていたことがある。その言葉を聞いて、僕は「そんなの、今では当たり前ですよ。大人の音楽ファンが増えてるんです」と返したものだ。
ここで話を再び、斉藤和義に。
このファンのアダルト化は当時の斉藤のライヴ会場でも見られていた。もちろん10代や20代のファンは普通にいたが、2000年頃にはすでに30代から、もしかしたら40代くらいのお客さんを見かけることもあった。それは、女性はもちろん、男性でもだ。
だから「アゲハ」で32歳の女性を唄っているのを最初に聴いた時、驚いたと同時に、たぶん斉藤のファンの中でも、大人の人たちはうれしいんじゃないかな、と感じたものだ。彼の歌を聴いている自分も、そのストーリーで唄われている年齢に近い、という点で。
21歳、22歳と来て、26歳、そしてそのあとに32歳。その女性、「彼女」は「今日も」……歌を歌ってる、夢を見ている、月に尋ねる、そして再び、歌を歌ってる。こう続くのだ。その中で、あんな奴、あの街、作り笑い、タバコ、月、そしてアゲハ。さまざまなものがよぎっていく(なお、月は、斉藤の歌に頻出するモチーフである)。
過ぎていく時間、歳を重ねていった彼女。そんな中で変わらないこと、でも変わっていること、変わっていくこと……。その最後に、32歳という、もう大人と言える年齢になっていることが妙に刺さる。
だからこの歌は大人世代の心に響く歌だと思う。それでいて、その下の世代でも、それから上の世代でも、感じるものは大きいはず。こうあえて書いたが、聴く側に年齢制限などない。ただ、年齢がいっそうリアルさを感じさせる。自分自身の21歳とか、32歳に思いをやる人だっているだろう。
そうして「彼女」のことを、どこか応援しているような気配の、斉藤の歌声。本当に、素敵な曲だと思う。
斉藤和義は、実は、大人になることについて言及した作品が多い。その点から見ても、年齢に関する歌の含みも多いアーティストである。
そんな彼の歌については、いつかまた、書くかもしれない。