【年齢のうた】村下孝蔵 その2●故郷の母を思う「19の秋」
ここのところは……連休前もあっての多忙さにアタフタしてます。大変。
それでもエルヴィス・コステロを浅草公会堂で観たり、
ザ・コレクターズを日比谷野音で観たりで、
どちらも心に深く残るライヴでした。
コステロがパフォーマンスした浅草公会堂はずいぶんひさしぶりに行ったけど、いつかのタイミングで改装されてますよね。かなりキレイだった。ビルの1階に休み処が造ってあったり、会場内の2階にも大きな休憩スペースがあったり。昔はもっとレトロな雰囲気だったけど、今回は今回で居心地良かったな。
日比谷野音は、公園そのものが工事に入ってましたね。野音も改装されるのかな~。
コステロと言えば、最近気づいたことが。
初期の「オリヴァーズ・アーミー」では、最後のサビ後に「おっおっおっおっお~!」と叫んでいますね(ラストのフェイドアウト寸前のところ)。ファンならご存じでしょうけど。
で、こちらはMVでコステロをオマージュしたことで知られているMr,Childrenの「シーソーゲーム」。衣裳も唄い方もコステロを意識しています。そしてサビ近辺ではひしゃげたような発声が。
そしてそして、その前の80年代、BOΦWYの曲でも、氷室京介の唄い方はコステロを意識していたのではと?思ったのです。「Dreamin’」のサビの「うぉおっおっおっお~」がね(作曲は布袋寅泰だけど)。
80年代半ばはコステロなんてまだパンク/ニューウェイヴの中から飛び出してきた存在だったし、そこまでメジャーではなかったから、むしろBOΦWYのようなバンドには近いところがあったはず。今そう言っても、あまりピンと来ないかもですが。
そしてコステロは終演後に即席サイン会をやってくれました。あれはいつからやってるのかな? 単独公演を観たのがすごくひさしぶりだったので、ビックリでした。
彼はアルバムに曲をたくさん詰め込んだりで、昔からサービス精神旺盛な印象。レコード買って、何なんこの曲数!?とビックリした思い出あるもん。
では村下孝蔵の続きです。今回は「19の秋」という曲。
フォークシンガー・村下孝蔵
前回書いたように、以前の自分は、村下孝蔵にそこまで関心を持っていなかった。その理由のひとつは、当初の彼にはフォークソングのイメージがあったことも関係している。
正直なところ、80年代初頭の頃は、フォークソングは前の時代のものだという印象を持っていた。僕はロック・バンドやYMOのような打ち込みを当たり前のように聴いていたし、落ち着きのない若い時分は歌とアコースティックギターじゃ物足りないような感覚があった。身近にはフォークギターを弾いてる友達もいたが、それよりも自分はサウンド指向のほうが強かったせいもある。
ただ、それも高校時代にブルース・スプリングスティーンの『ネブラスカ』というアルバムに浸って……これが大きかった。ロックンローラーとしての彼を好きになったのに、これがフォークソングのような、それも地味で、渋いアルバムなのに、聴くほどに引き寄せられていった。そして歌が描く物語は、どれも深みのあるものだった。衝撃だった。
こののちにはスザンヌ・ヴェガや、それにトレイシー・チャップマン(去年ルーク・コムズにカバーされて再評価)にハマったりで、自分のフォークへのイメージは変わっていった。
日本だったら泉谷しげるとか。河島英五もちょっと興味あったけど、好きになったのはずいぶん後になってからだった。
話を村下孝蔵に戻す。
ソニーでのデビューアルバムは、基本的にはフォークである。ジャケット写真の村下は、一歩間違えばシティ・ポップのシンガーみたいだが、実際は純朴な人だったはずだ。
サウンドの意匠は新しめにしてあるが、このシンガーの根っこはフォークであると感じさせる楽曲が多い。アレンジャーの水谷公生はアウト・キャストやアダムスといったGSバンドに在籍したギタリストで、日本のロック黎明期からの名匠だ。水谷は村下孝蔵の作品において、初期から多くの歌のアレンジを手がけている。
このアルバムの中には、当時のニューミュージックをもっと過去に向かわせた、どこか歌謡曲っぽい楽曲もある。
そして2枚目のアルバム『何処へ』に収録されているのが「19の秋」という曲である。
リアルな心境を描いたと思われる「19の秋」
「19の秋」もフォークソング的な繊細さを持つ歌である。
この曲のメロディラインはどこか湿っぽく、非常に和な、日本的な雰囲気がある。そこは秋から冬にかけての季節感、それに故郷、母親を唄った歌詞に起因しているのだろう。
これにあわせて、アレンジのほうも和というか、フォークっぽさの上に歌謡曲とか、ところどころ演歌っぽい匂いも混ぜてある。アレンジャーは、やはり先述の水谷だ。
歌詞の中には、19才という表現は出てこない。曲名のみである。
ただ、主人公は、今度の冬で大人の仲間入りをすると唄っている。ということは成人する直前なので、ほんとに19才なのだろう。
そして、いつか愛する人ができたら、そのことを故郷にいる母親に手紙で知らせるつもりである、と。
おそらくこれは村下自身の身の上を書いていると思われる。
1953年2月生まれの彼がもうすぐ20才になる1972年の秋は、父親が働く広島市に移って、音楽活動を続けている時期だった。同じ頃、村下の母親は、熊本県の阿蘇市に住んでいる。
つまり19才の少年が、秋から冬の寒くなる季節、広島の地から故郷の阿蘇にいる母のことを思いながら書いた歌ということになるのではないだろうか。
以上は僕の想像なのだが。それが本当なら、このアルバム『何処へ』は1981年の発売なので、実際には8年前の心境を唄った歌になる。
そしてこの歌では、ふるさとは、遠い遠い……と書かれている。広島市と阿蘇市なら、日本の中ではそう遠くはない距離ではある。ただ、今から50年も前であれば、すぐに行き来できるような土地同士では決してなかったはずだ。
まず、広島から福岡の移動はそこまでではないにしても、村下孝蔵の素朴な性格を思うと、この間は新幹線など使わなかったのではないかと推測する。そして福岡から阿蘇までも在来線での移動だろう。もちろん当時、九州新幹線はまだ開通していない。
今でもこの間の電車移動をネット検索すると、新幹線を使わないと9時間以上かかる。当時であれば、もっと時間が必要だったに違いない。
さらに思う。これは冬支度をする前の秋の歌で、年末年始が迫ってきている頃。もしかしたら主人公は実家への帰省を考えながら……あるいは、もしかしたら諦めながら? 故郷の母親のことを思っているのではないかと。ふるさとは遠くにありて思うもの、なのだ。
あまりに村下孝蔵らしい、親思いで、実直で素朴で、しかも日本的な歌だと思う。
音楽を続けながら、その大志に燃える19才の村下少年が書いた、母を思う「19の秋」。美しい歌である。
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