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つぶやき。

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140文字で綴る、日々のよしなしごと。(仮)
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単語だけの意思表示ではなく文章で伝えて欲しいのだが、細切れの単語が📱に届く。メッセージアプリの普及後は特にそう考える機会が増えた。省かれるのは「通じる」と思い込まれた表現、それが共通の認識とは限らないのだが。それとなく「それでは通じない」と相手に知らせる方法を考えなくてはならない

片付け、意外と不得手な人が多いのでは?と考える。棚や容れ物を買って来て、詰め込んで、並べて、それで片付けた気分になる。その気分は長くは続かない。
用意して詰め込む間に取捨選択する作業が抜けている。選別して、保管方法を考えて継続する必要がある。
今日も他人のソレの後始末をしている。

時々出くわす"高学歴だけど語彙の少ない人"。初対面でも暫く会話をしてすぐ気づける程度の語彙の少なさ。その限られた時間で相手が学歴を小出しにすること自体が印象操作の意図を感じて余計な気もするが。語彙の少なさで進まない会話の整理、共感、進展。結果、次に繋がらない。それでも取れる学歴。

テレビが面白くないと不満を訴える母の要望に応え、Fire Stick TVを設置。映画やドラマを見放題にする。大変好評だった。暫くして『就寝前に韓国ドラマは眠れなくなるのでアニメを見始めた』と母。最近のお気に入りは『デキる猫は今日も憂鬱』『組長娘と世話係』と。楽しそうで何よりだ。

誰かに自分を『幸せにしてもらう』より、誰かを『幸せにする』方が、より幸せを感じるのではないかなと思う。簡単に実現できることではないし、想うに留まることがあったとしても誰かの幸せへの願いは一歩も二歩もより良い明日へ続く道であり、その灯火になる様に感じる。『幸せ』を考え続けることだ。

『お前は外面がいい』と皮肉混じりに窘められても。実際には、その言葉を言い放った相手の中にある考え方に基づいているだけで、現実に則している訳ではない。
自分の気分とは関係なくどんな時もどんな相手にも、礼節として同じ応対をしようと言う考え方を、皮肉を言う相手が持っていないだけ。僻み。

昨夜フレンドさんとFPSの真っ最中にマタイによる福音書の話題が出て『誰かが貴方の右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい』にフレ氏『右の頬を打つなら、左の頬を黙って殴らせろっつーの』と言い出しツボった。
そのイメージでBingに画像作って貰ってまた笑う。
目には目を…旧約聖書かな🤔

船の保険の件で漁協に数分いた時。そこで働く地元の先輩がベテラン職員さんに教えを請うシーンに出会した。他の職員さんが『今日は(教え方が)優しいのね?』と微笑むと『今日はお客さんがいるもの』と和やか。厳しい顔の先輩。皆、頑張ってる。海の仕事は頑張っても結果出ない事あるけど、頑張ろう。

「自分のしたことを忘れて、その後始末をして貰っても気づかない」人たちが周囲に沢山いる。その人たちの後始末に膨大な時間を費やしている。私の貴重な時間を。『忘れる』『気づかない』それらに腹を立てても虚しかろう。自らの因果を他人事に眺められる人に伝える有効な手段はないだろうか。考える。

貸したモノの返却催促や、預かり物の扱いについての連絡、何の為に割いている時間なのかといつも思う。親しい間柄だから引き受け腹立ちは無いが、相手に対する信頼が変化するのは寂しい。誠意ある行動を取ろうと考えているなら、相手の迷惑にならない期限を予め想定することは、お互いに大切なことだ。

健康で病院に殆ど行かない事が自慢の人が、具合が悪くなり、診察を勧めても行こうとしない。ただ不機嫌な様子が何故なのか理解できず、考えていたら。経験がないので利用の仕方がわからないとのこと。特に大きな病院は。同伴するにしても、弱って気持ちが落ち込んでいる相手を刺激せず付添いに徹する。