ゲイにとっての「ホゲ」とは何だろう
「ホゲる」という言葉がある。
ゲイのための総合情報サイト「g-lad xx(グラァド)」の解説には、次のように説明されている。
また、ウィキペディアでは、次のように説明されている。
初めてこの言葉を聞いたときには、今一つどのような言動を指すのかわからなかった。
しかし、実際に「ホゲ」の場面を重ねる中で、何となくこれはホゲだな、というのがわかるようになった。
ただ、実際ゲイの中でも、この感覚には差がある。
同じ人に対しても、「この人はホゲている」と感じる人もいれば、「この人はホゲていない」と感じる人もいる。
飯塚モスオさんの漫画の中に、印象的なものがある。
マッチングアプリでマッチングした相手の紹介文には、「おねえっぽい人はムリです」の記述が。
その記述の「っぽい」の程度に悩む主人公。
つまり、「おねえっぽい」にはグラデーションがあり、当事者でも感覚に差があるのだ。
そして、「ホゲ」が「オネエ」と密接に関係していることを考えると、「ホゲ」にもグラデーションがあると考えられる。
当初、僕は「ホゲ」=「女性的な言動」だと思っていた。これは、「オネエ」=「女性的」だと思っていたとも言える。
しかし、多様なゲイの在り方に触れる中で、どうも違うということがわかってきた。
ゲイ文化に縁遠い人にとって、「オネエ」のイメージはドラァグクイーンのようなものかもしれない。化粧をし、ドレスを着る姿は、確かに女性的に感じられると思う。
しかし、ドラァグクイーンは、出発点としては女性らしさがあるとは思うが、実際には女性らしさとは似て非なる、独自の表現をしている。
化粧は女性が日常的に行うものとは大きく違う。ドレスも、女性の着る服とは全く違う。どちらも、他に二つとない独自性を持った色や装飾、模様や形で彩られている。
その多くが過度にも思えるほどのコントラストや装飾に満たされ、それらが一つの身体に集合している様子は、この世のものとは思えない神々しさを感じさせる。
そこで求められている姿は、「女性らしさ」とはずいぶんと違うようなのだ。
ゲイ文化の中で、「女性らしさ」をある方向に振り切ったようなドラァグクイーンでさえ、「女性らしさ」とは似て非なるものだとすると、「男らしさ」とのグラデーションの中にある「オネエ」は単純に語れないことが伺える。
教育学者の尾木直樹さんは、「尾木ママ」として親しまれている。
尾木さんは、教師時代に生徒と交流する中で、女性のような物腰や柔らかい口調をするようになっていったのだという。
その言動が「オネエ」と表現されることもあるが、これは「オネエ」のほんの一部であるような気がする。
僕の感覚だと、「ホゲている」と表現する場合に、「女性のような物腰や柔らかい口調」をしているように感じることは少ないような気がしている。
そもそも、尾木さんの話し方にしても、「女性のよう」だろうか。尾木さんのような物腰や柔らかい口調をする女性が多いかと言えば、そうではないようにも思える。
少なくとも現代においては、「女性らしさ」も多様であり、一口には言えない。その中であえてディフォルメした「女性らしさ」を考えてみても、尾木さんのような言動にはならないんじゃないかと思う。
そしてまた、僕の周りのゲイたちも、その多くは「女性らしさ」とはまた違うように感じられるのだ。
もちろん、「女性的でありたい」ゲイはいる。それは、トランスジェンダーとはちょっと違う。その境目もグラデーションだけれど、あくまでゲイとして女性的でありたい人はいる。
そのような人は、確かに「ホゲ」ていると見られることは多い。しかし、僕自身は、それはあくまで「女性的」であって、「ホゲ」とは違うように感じられるのだ。
この感覚は僕だけかもしれないけれど、なんとなく、「女性的でありたい!」と「ホゲたい!」はちょっと違うと感じている。
十人十色の好みではあるけれど、ゲイにとってのスタンダードなモテ要素は男らしさだろう。だから、外見にしても、態度にしても、男らしさを心がけている人は多い。
ところが、そんな人達にも「ホゲたい!」というときはあるのだ。
この感覚を語るには、僕にはまだまだ経験が足りないけれど、それは「女性的でありたい!」というのとはちょっと違うと思う。
「女性のように騒ぎたい!」と似ているけれど、それともちょっと違う感じがする。
これは、「女性と騒ぐゲイ」と、「ゲイ同士で騒ぐゲイ」との違いに表れているんじゃないかと思う。
この二つが変わらない人もいるだろうけれど、その間にちょっとした違いを、僕は感じることがある。
例えば、女性が「ホゲ」たら、違和感があると思う。ただ、この「ホゲ」を明確に説明しろと言われると、自信がない。
たまに、「オネエみたいな女性」という言い方をする場合がある。この言い方が成り立つのは、「オネエ」と「女性」が異なるからだ。
このように考えてくると、改めて「オネエ」とは、グラデーションがありながらも、「女性的」とは異なるような気がしてくる。
僕は、「ホゲ」ているときのゲイが好きだ。社会が求める「男らしさ」とか、ゲイが求める「男らしさ」とかから解き放たれて、実にのびのびしていると思う。
また、ある意味では女性らしさの一面なのかもしれないけれど、「ホゲ」とは強さでもある。ホゲているときは、物言いは強気で、自分の感覚に正直でいるような気がする。それでいて、ちょっぴりやさしさがにじみ出る。
たぶん、「ホゲ」は、ある時代の「女性らしさ」から少しずついろんな要素を抽出して作り上げられた、ゲイ独自の文化なんじゃないかというのが、現段階での僕の結論だ。そしてそれ自体が限られたコミュニティの中で独自に進化し、多様化していった。
そしてさらに、「ホゲ」の感覚やあり方は変わっていくのだと思う。「女らしさ」が変わっていくように、「ゲイらしさ」も変わっていくのだろう。
僕ももっともっといろんな「ホゲ」の在り方に出会い、目から鱗を出し続けたいと思う。
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