あんず

アラフィフおばちゃん。人生早送り気味。子あり孫あり夫なし。 世の中がリモートリモート言…

あんず

アラフィフおばちゃん。人生早送り気味。子あり孫あり夫なし。 世の中がリモートリモート言い出す20年前からのリモートワーカー。親が倒れてからの記録を書いています。

最近の記事

母が一番言いたかったこと

5月末の四十九日に帰省してから、母の面会には行っていなかった。面会のときには同じことの繰り返しではあるが一応会話らしいことはするものの、普段はひと言も声を発しないらしい。 施設からの連絡はよほど緊急だったりこみ入った話ではなければLINEで入ってくるのだけれど、「ここのところお母さんのお声を聞いていません。」と毎回書かれていた。 反応も薄く意欲も感じられず、食事も介助になってしまったり排泄も「感覚がないようだ」とのことで、認知症がもう一段階進んだのかもしれないな、と思っていた

    • 父の形見を、ひとつだけ

      葬儀屋さんに「何か着せたい服があれば」と言われ、着せないまでも棺の中に入れようかなと思って洋服ダンスを開けた。 長年サラリーマンとして働いていた父はいつもスーツを着ていて、しかもテーラーで仕立てていた。出張には三つ揃いを着てとてもカッコよくて、大好きだった。 まだスーツ量販店もなかった頃ではあるけれど、吊しのスーツは売っていたはずだし、父はごく普通の体型だったのでフルオーダーのスーツはぜいたくだったろうと、今は思う。だけどそういうところは譲らない人だった。 クローゼットから

      • 相続放棄の申述をする

        嫁ぐ日の前に、父から「財産はあてにしないように。」という主旨のことを言われた。そもそもあてにするような財産はないのだが、要は家も土地も田畑も弟に継がせる、という宣言だったのであろう。 だからといって結婚後に助けてくれなかったのかというとそんなことは一切なく、物心両面、特に子どもたちについては実家からいろいろと援助してもらった。 父が亡くなって、あのときの言葉を形にしなければ、と思った。相続人は母と弟と私の3人しかいないので、2人に対して口頭で「何もいらない」と言えば済む話か

        • 父を見送って

          結局、3月末に「障害者特別手当」の手続きで帰省し、面会をしたのが生きている父に会った最後の日になった。前回の記事ではあえて書かなかったけれど、職員さんが両親共コロナ罹患済みを理由にして部屋に入れてくれたのは、きっとわかってたんだと思う。そして私もそんな気がして、たぶん結婚して家を出てから初めて、父の手を握って帰ったのだ。 ちょうど今日で1ヶ月。葬儀は出したし役所やら年金やらの手続きも済ませたけれど、並行して日常は淡々と進む。予約していた旅行やガイドツアー、移動が難しくなるG

        母が一番言いたかったこと

          母が突然私を思い出した

          3月末に帰省。父は脳梗塞の影響で右半身にマヒがあり、高次脳機能障害のため話すことができない。そのため施設長さんが障害者手帳の取得を勧めてくれて、昨年身体障害者手帳の1級を受けた。 メリットとしては医療費の負担がなくなること。後期高齢者なのでもともと1割負担ではあったけれど、薬や訪問診療などで月に数千円はかかるし、半年に1回の胃瘻の交換もある。塵も積もれば…でありがたいことだ。 高齢者である父は障害者手帳を持っても障害年金は支給されないけれど、施設長さんから「特別障害者手当」

          母が突然私を思い出した

          「入院させないで」と頼む意味

          3つの病院を転々とし、2/22に父は退院して施設に戻った。3カ所目のH病院にいたのは約2週間で、2カ所目のE病院の目論見通り肺炎の継続治療で夜間の痰吸引がなくなったというか、主治医と電話で話したところでは「夜はおやすみになっているのでわざわざ起こして吸引する必要がない」とのことだった。 もやもやすることの多かったこの病院ではあるけれど、受け入れてもらえたことと施設に帰れる診断をしてくれたことについては感謝している。 父は結局、食事を口から摂ることは難しくなっていて、胃瘻で栄

          「入院させないで」と頼む意味

          二度の転院〜父のその後

          1月13日に誤嚥性肺炎+コロナ陽性で入院した父の容態はとりあえず安定し、日赤の病床はより重症度の高い人に空けなければならないため、コロナ療養受け入れのE病院に転院になったのが1月18日。 日赤の先生からは、この年齢・状況にしては比較的うまく治療が進んだとの説明があった。 施設はコロナ陽性でも受け入れOKだったけれど、父はまだ痰の吸引が必要で、それは夜間にも行わなければならない。が、お世話になっている施設では夜間の痰吸引は対応しておらず、もう少し回復しなければ帰れないので入院と

          二度の転院〜父のその後

          父、コロナ発症で入院する

          両親が入所している施設がいわゆる「クラスター」になってしまい、父は陽性・発熱、母は抗原検査陰性だったけれど微熱があり、父と一緒にいたことからみなし陽性との連絡があった。 年末から外部から来るリハビリスタッフや施設の職員さんが感染し、その都度お詫びの連絡はあった。だけど、このウイルスの特性から考えて完璧に感染を防ぐ方法なんてない。言うまでもなく施設の職員さんたちは感染対策にものすごく労力を使っている。特に母のような認知症の入所者の対応には苦労しているはずで、頭をさげこそすれ文句

          父、コロナ発症で入院する

          昭和のままのコミュニティ

          今だってどこにでも自治会組織はあるけれど、実家周辺ではそれを「組」と呼ぶ。毎月公民館に集まって何かしらの話し合いをし、集金をしたりお祭りの準備をしたり、お寺や神社の世話を決めたりする。 私が子どものころと何も変わっていない。 なぜそれがわかったかというと、両親が揃って施設に入所して実家が空っぽになり、どうやらこの先戻れそうにないという話は組じゅうに知れ渡っているというのに、今年の組長さんから「このまま組に残るか退会するかを本人に確認するので面会したい」との連絡が施設に入った

          昭和のままのコミュニティ

          8ヶ月ぶりの面会

          前の記事の予告通り、一泊二日で帰省した。 目的は3つ。 父名義の口座のキャッシュカードを探して見つからなければ金融機関に相談、ご近所に挨拶とお礼、両親との面会。どれも気が重い。 成田発のLCCが1日1便しかなくなって、松山に15時着→翌日15時25分発の17時成田着というなんとも中途半端なスケジュール。 まあ「24時間タイムアタック」と考えれば楽しめなくもない。 1日目はレンタカーを借りたその足で実家へ。 半年以上閉めきったまま夏を越したので、いくら古い家ですきま風が通ると

          8ヶ月ぶりの面会

          書くことがない

          前回の記事から5ヶ月ほど経ったけれど、父の要介護度が5→4に変わったこと以外には特に変わりはない。 要介護度が下がったからといって元気になったというわけではなく、実際新型コロナワクチンの4回目は血液検査の結果、心臓の機能が落ちていることがわかり、接種しないことになったり。 コロナも第7波、特に地方は感染者数の増加率が高かったようで、お世話になっている施設は外部から来るリハビリスタッフすら立ち入り禁止になったそうで、県外から行った人が面会だなんてとんでもない、という状況だった。

          書くことがない

          両親揃って要介護5

          こう書くといかにも悲惨な状況を想像されそうだが、2人とも施設に入っている状況ではこれといって大変なことはない。 毎月お金を払い込み、季節が変わる前には着る物一式を送り、室内履きが破れそうなので新しいものを買っていいかと言われれば「はいお願いします」と答え、施設に届く介護関連の郵便の画像がLINEで送られてきて「開封してもいいでしょうか」と聞かれれば「はいお願いします」と答える。それだけ。 義母をみていたときも思ったけど、中途半端に動けたり話せたりする時期が介護する側にとっては

          両親揃って要介護5

          老親の携帯を名義変更するには(完結編)

          これまでの経緯はこちら→(1)(2) 99%うまくいったと思ったのに身分証明書の住所でSIMカードを受け取れないとアウトという事実を突きつけられ、選択肢は名義変更しかないことがわかった。 4月頭の帰省時に、施設に預かってもらっていた両親の身分証明書を持ち帰ったので、装備的には無敵である。 また、片付けをしていたときに契約書類一式が出てきて、そこにアカウント情報やらパスワードやら書いたものも出てきたし、母が使っていたらくらくホンの契約者は父だったこともわかった。 なので、父

          老親の携帯を名義変更するには(完結編)

          空っぽの実家をどうするか

          この先両親が自宅に帰ることはないので、世に言う「実家の片付け」をしなくてはならない。まあ大がかりな話はさておき、母は1月中旬に急遽小規模多機能施設に入所することになったので、冷蔵庫の中も保存食もそのままだ。 物理的なタイムリミットが迫っているものをどうにかする必要がある。 前回の日帰り帰省で手をつけないまま戻ってしまったので、今回こそは始末をつけなければ。 1人ではやる気が出なくても、今回は片付けが得意な次女が一緒だ。 孫たちが広い家の中を走り回っている間に、冷蔵庫と食品ス

          空っぽの実家をどうするか

          娘の顔を忘れる

          3ヶ月半ぶりに見る母は、予想通り表情を全くなくしていた。 朝9時に空港に着いたその足で施設に向かう。 面会は再開されたものの、玄関を入ってすぐの靴を履き替えるスペースと、さらにその先のロビーを仕切っているガラスの自動ドアをはさんだ「ドア越し面会」だ。 玄関を占有してしまうので、あまり長い時間を取ることもできない。 会話は電話。直接声をかけても聞こえなくはないだろうが、特に母は耳が遠いので難しいだろう。 しかし、聞こえる聞こえないの問題でもない。 私の顔を見ても、一緒に行った

          娘の顔を忘れる

          思惑通りにはいかない

          父と母が同じ施設に暮らすことで、関わる誰もが期待したことは、母の安定だ。 入所直後に混乱したり落ち着かなくなったりすることは誰にでもあることで、それに加えて母は発熱したり便秘がひどくなったりで、看護師さんからも何度か電話があった。 「お母さん、なかなか落ち着かれないようで、徘徊っていうほどじゃないんですけど…。」 ああ、これは施設内を徘徊してるんだな、とわかった。 前の小規模多機能施設でも職員さんのあとをついて歩いたり、「靴が違う」と言って探し回ったり、例えば空調が効きすぎ

          思惑通りにはいかない