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母が突然私を思い出した

3月末に帰省。父は脳梗塞の影響で右半身にマヒがあり、高次脳機能障害のため話すことができない。そのため施設長さんが障害者手帳の取得を勧めてくれて、昨年身体障害者手帳の1級を受けた。
メリットとしては医療費の負担がなくなること。後期高齢者なのでもともと1割負担ではあったけれど、薬や訪問診療などで月に数千円はかかるし、半年に1回の胃瘻の交換もある。塵も積もれば…でありがたいことだ。

高齢者である父は障害者手帳を持っても障害年金は支給されないけれど、施設長さんから「特別障害者手当」というものがあるから申請してはどうか? と言われる。
詳しくは厚生労働省のサイトへ。
月額27,980円支給されるとのことで、貯金を切り崩して施設への支払をしている両親にとってはかなり大きい。
さっそく主治医に診断書をお願いし、書類を揃えてもらったけれど、この申請については家族が出向く必要があるそうだ。
これまで諸々の手続きはすべて施設側が代行してくれたので、家族じゃないとダメというのは初めてかもしれない。

空港から施設に直行し、書類を受け取りがてらまずは母に面会をする。
玄関ロビーでガラス越し面会の1年だったけれど、その制限も解けたし、両親ともにすでに罹患してしまったので、父の部屋に入ることもできた。

母の状態は相変わらずで、ほとんど会話することもなく表情も乏しいと聞いていた。ただ介護度の見直しで調査員の方が来たときには、生年月日、住所、名前をすらすらと書いたとのことで、ケアマネさんが驚いてその画像をわざわざ送ってくれたほどだった。といってもその後、ぷいっと席を立ってしまったということで、結果は要介護4だった。前回の5より1段階下がったとはいえ、認知症だけで4というのは結構なレベルだと考えざるを得ない。

そのつもりでいたので、春休みだけど娘も孫たちも連れてこなかった。2日間の滞在予定だったけれど、面会はこの日だけしか予約していない。
私の顔も忘れてしまった無表情の母、何かを伝えようとしているのに理解してあげられない父と会っても何を話していいのかわからないから。

「おかあさん、ひさしぶり!」と声をかけると、母はこう言ったのだ。

「今日、〇〇さん(私)のこと考えよったんよ。そしたら来てくれたけんびっくりした。」

その場にいた職員さん全員がこちらを向き、ほとんどの方がポカーンとした顔をしている。もちろん私も。
しかもちょっと笑ったりして、私の名前を呼ぶ。

施設長さんが走ってきて、「●●さん(母の名前)! ええお顔して。この調子で私らにもお話ししてー!」と涙を流しかねない勢いで母の背中をさすっている。
この1年毎日接していて、反応のない母をどうすればいいか工夫を重ねてきてくれた職員さんたちのほうが私よりもずっと感慨深いに違いない。

私を思い出したからといって認知症が治ったとかそういう話ではなく、

  • うまく話せない、話してええんやろか?

  • 私はおかしいと思う

  • お父さんだけデイサービスに行って私は行かせてもらえない

の3点をぐるぐると繰り返していた。

その後いっしょに父の部屋に行くと、以前は杖で歩けていた父もベッドに寝たきりになっていた。それでも車イスには乗れてデイサービスの部屋に移動したりはしているらしい。
「お母さんが私のこと思い出したよ!」と言ったら泣いていた。まあ何を言っても泣くんだけど。

しばらく部屋で過ごして市役所で申請を済ませ、せっかく思い出したなら、と翌日も面会に行った。が、やはり日によって波があるようで、父のベッドに入り込んでぼんやりしていた母は、この日はひと言も話さなかった。
それでも私のことはわかっていたようで、手をつないで歩いた。

人の記憶って、本当にどうなっているんだろう。
こういう現象がレアケースなのかよくあることなのかもわからないけれど。
父が倒れてからここまで、認知症が原因だとはわかっていても山のようにひどい言葉を投げつけられ、いかに私がひどい人間かということを書いた手紙が実家の押し入れに入っている。
1年前、私を見ても無反応だったときは、正直どこかホッとした。
だから思い出したからといってこれといった感慨もないのだけれど、毎日お世話をしてくれる職員さんのことを考えると本当によかった、とは思う。

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