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父を見送って

結局、3月末に「障害者特別手当」の手続きで帰省し、面会をしたのが生きている父に会った最後の日になった。前回の記事ではあえて書かなかったけれど、職員さんが両親共コロナ罹患済みを理由にして部屋に入れてくれたのは、きっとわかってたんだと思う。そして私もそんな気がして、たぶん結婚して家を出てから初めて、父の手を握って帰ったのだ。

ちょうど今日で1ヶ月。葬儀は出したし役所やら年金やらの手続きも済ませたけれど、並行して日常は淡々と進む。予約していた旅行やガイドツアー、移動が難しくなるGWを見事に避けてくれた父。なので私も予定通りに出かけて楽しんだ。
このnoteにも書かなければと思いながらも書くまでに至らず、でも仕事で縁のあるお坊さんに父の最後の様子を話したところ、「そう。それは本当によかったね。」と心をこめて言ってくださったので、私も素直に「はい、よかったです。」と言えた。それでなんとなく気持ちの整理がついた気がした。

そう、このコロナ禍にあって父の最期は「よかった」と言っていいんだと思う。この記事で書いたように、施設から病院に搬送されることなく、何十年もそうしてきたように母と同じ布団で並んで眠っているその間に、静かに旅立っていったのだから。

もちろんあれもこれも、後悔を拾い集めたらキリがない。父がどう思っていたのかもわからない。でも、そのときそのときで最善だと思う選択をしてきたし、もう過去に戻ってやり直すこともできない。
なにより父はもういないのだから。

たくさん否定もされたけど、その人たちが何かやってくれたわけでもないんだし、だとしたら自分くらいは自分を認めてやろうと思うのだ。

荷物を引き取りに施設の部屋に行くと、翌日に行くデイサービスの用意がしてあったし、訪問看護師さんは毎日来てくれていたけれど医師の診察が必要な状態ではなかったようで、本当に急にというか、すっと呼吸が止まったんだろう。肺炎が悪化して苦しんだ末に亡くなるようなことにならなくて、それもよかったな、と思う。
亡くなったときの医師の説明では「24時間以内に診察をしていないので検死対象になる」とのことだった。もちろん検死は不要と伝えた。
※このへんのルールは素人が説明しようとすると誤解を生みそうなので、興味があるかたはご自身で検索してください。

事務手続きやら葬儀やらお寺・お墓やら相続やら、まだ書くことはあると思うけれど、父のことは一区切り。

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