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母が一番言いたかったこと

5月末の四十九日に帰省してから、母の面会には行っていなかった。面会のときには同じことの繰り返しではあるが一応会話らしいことはするものの、普段はひと言も声を発しないらしい。
施設からの連絡はよほど緊急だったりこみ入った話ではなければLINEで入ってくるのだけれど、「ここのところお母さんのお声を聞いていません。」と毎回書かれていた。
反応も薄く意欲も感じられず、食事も介助になってしまったり排泄も「感覚がないようだ」とのことで、認知症がもう一段階進んだのかもしれないな、と思っていた。
コロナとインフルエンザの流行でまたドア越し面会に戻ったと言われ、無言の母とガラス越しに15分向き合うのもな、と思い、一泊二日の帰省だけれど初日しか面会の予約はしなかった。

次女と2人で出向いたところ、しっかりとした足取りで歩いて来た。外に出ていないせいか、すっかり色白になっている。長年ショートヘアで、ひどいときは3週間に一度神経質にカットしていたというのに、施設に来てからは拒否して切らないと聞いていた。が、面会の1週間ほど前に出張カットが施設に来てくれたときには、すんなり切らせてくれたとのことで、こざっぱりした様子だ。

次女が「ばあば、〇〇だよー!」と声をかけると「〇〇ちゃん」と名前は言える。私の名前も言える。そしてすぐに「✕✕は?」と弟のことを聞いてきた。弟一家の名前も全員言えた。
前回一緒に面会に来た息子を思い出したのか、「□□は?」と言い出したので、次女がビデオ通話をつなぐ。たまたま休憩時間だった息子の顔を見て、ニコニコしながら手を振っている。
この時点で職員さんたちは驚愕。本当に普段は何も話さないし表情もない、という。

これだけ話すんだったらもう1回来よう、と、翌朝にも面会予約を入れた。
母は片方が難聴なので、ガラス越しだと職員さんに言い直してもらわないとこちらの言うことが伝わらない。なので2日目は電話をつないでもらったところ、よく聞こえるようになったせいか1日目より言葉数が増えた。
とはいえ、結局は「言いたいことはたくさんあるけど、どう言えばいいかわからない」と、これまでと同じことを言う。

「じゃあ、一番言いたいことはなに?」と聞いてみたところ、少し間を置いて「元気でおってね。」と帰ってきた。
帰り際には「ありがとう」を繰り返し、私たちが車に乗ってから職員さんに連れられて外まで出てきて、手を振って別れた。

母の頭の中には何が残っているんだろう。どんな世界にいるんだろう。
日々話しかけて毎日お世話してくれる職員さんとは会話しないのに、3〜4ヶ月に一度しか顔を見せない家族には元気でいてほしいと願う。
そしてやはり今回も父のことは言い出さなかった。部屋から父のベッドを運び出した日から、一度も父のことには触れないと聞いた。
あれだけ執着していた父は、今、母の記憶に残っているんだろうか。

面会を終えて空港に向かう道すがら、「どうしてばあばは職員さんと話さないんだろうね。」と次女に聞いてみた。
「職員さんはまだばあばにとったら知らない人だから、知らない人に話してもどうせわかってもらえない、と思ってるんじゃない?」という意見で、確かにそうかもしれないと思う。1年半お世話になっているけれど、時間の流れも違うところに母はいるのかもしれない。

職員さんにもケアマネさんにも「ご家族が来ると表情が全然違いますね!」と言われるけれど、じゃあ一緒に暮らすのか、もっと頻繁に会いに来ればいいのか、というと現実的には無理な話だ。
弟に言っても「仕事が忙しいから」と面会に行くことはないし、父が亡くなった後のもろもろの処理にも手をつけていないのだろう。銀行の口座の相続一つにしても私の印鑑が必要なはずなのに何も言ってこないのだから。
「もう長くないと思うから、生きてるうちにお父さんに会っておいたほうがいい。」と何度も言っても行かず、亡くなってから葬儀場と実家に1週間近く滞在したのは堪えてないんだろうか。

2日目の面会に同席してくれたケアマネさんから、「今回の面会を受けてお母さまのケアに何かご希望はありますか?」と聞かれたものの何も思いつかず、「『ありがとう』と言えるようですので、毎日お世話になる職員さんに『ありがとう』と言えるようになるとよいのですが。」と、役にも立たないコメントを返してしまった。

もっと母に合った施設があるんだろうか。父と一緒にいるために入居した施設なので、母の状態に合わせて選んだ場所ではない。だけどちょっと今は変える勇気も気力もないな。

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