見出し画像

書くことがない

前回の記事から5ヶ月ほど経ったけれど、父の要介護度が5→4に変わったこと以外には特に変わりはない。
要介護度が下がったからといって元気になったというわけではなく、実際新型コロナワクチンの4回目は血液検査の結果、心臓の機能が落ちていることがわかり、接種しないことになったり。
コロナも第7波、特に地方は感染者数の増加率が高かったようで、お世話になっている施設は外部から来るリハビリスタッフすら立ち入り禁止になったそうで、県外から行った人が面会だなんてとんでもない、という状況だった。

その間、両親の年金と貯蓄から淡々と毎月3カ所(施設・訪問診療クリニック・薬局)に振り込み、書類が届いたらサインして送り返し、施設からのLINEや電話に対応する。
ちなみに母は相変わらず自分の名前は書けるので、代筆のサインは父の書類だけで母の分は控えだけが送られてくる。自分のいる場所も子どものことも忘れてしまった人の署名に意味ってあるのかなあとは思うけど。

その間、私は一生懸命仕事をして、ねこを大事に育て、孫と一緒に旅行へ行き、山に登ってみたり鳥を見たり水族館に通ったり会いたかった人に会いに行ったり舞台を観に遠征してみたり仕事で近くに来るという友人を改札で待ち伏せしてみたり。
夫を突然死で亡くしたことに続き、母が数ヶ月の間に重度の認知症になるという体験をすると、人生迷っている暇なんてないとひしひしと実感する。

父はきっと、こんな感じで少しずつ弱っていくんだろう。
胃瘻は作ったけれど、意識がなくなってしまった後、延命の手段としては使わないことに決めている。
母の中にはもう私はいなくなってしまったので、特になんとも思わないけれど、父の顔は見たいな、と時々思う。
会話ができないので私が一方的になんか話すだけで、しかも話題もないので短時間だろう。どうせコロナだから面会できたって短時間だし。

というわけで、仕事が少し落ち着く今月末に行くだけ行ってくることにしたけど、実家にはもう寝泊まりしないことにした。
母が私への恨み言をびっしり書いた紙切れやノートが詰め込まれた押し入れがあるところで、一人で寝たくない。
両親が死んでから片付けようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?