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3月11日の旅-三陸編

東日本大震災から10年経った2021年3月11日。
親友と三陸の被災地を訪れた話をしようと思う。

もしここで初めて私のnoteを開いてくださった方がいたら、「3月11日の旅-プロローグ」も一読していただきたい。


旅の準備

10年経った日の被災地を訪れてみたいと話をしたら、盛岡の親友は快諾してくれた。私たちの時間も限られているので盛岡を起点に1日。三陸を中心に行こうと考えた。

まずは場所を募り、リストアップをした。

Google MyMaps より

すごい数になった。三陸で行きたいところを直線距離で測って200キロ近くもある。でもその日はその日限り、なので行けるところは行くことに。

盛岡から岩泉町・宮古市へ出て南下をはじめた。

2021年3月10日、秋田を出発し盛岡で親友1人と合流。翌11日朝2時にもう1人と合流し、106号線を東へ走らせる。

休憩時に寄ったとあるコンビニ。

岩泉町小本

岩泉小本駅(復旧時は小本駅)で、復興のシンボルである三陸鉄道の一番列車を撮る。

宮古発久慈行の列車。
ここは震災後早く復旧した区間だが、北リアス線と南リアス線復旧まで3年、JR山田線を含めた全線開業まで8年かかった。

宮古市

田老地区三王岩で日の出を見る。

たろう観光ホテルへ。

ホテルがぽつんと遺る。
4階までは浸水し、2階までは柱を残して流されたという。

訓練を行っていたようだった。
「津波防災の町」と宣言していた旧田老町であったが大津波にのまれてしまった。

浄土ヶ浜へ。

穏やかな朝。少し霧がかっていた。

宮古港へ。

高い壁が続いていた。


山田町

海の十和田湖と呼ばれる山田湾。波は穏やかで、牡蠣や帆立といった養殖も盛んだ。


大槌町

ベルガーディア鯨山にある風の電話へ。

電話ボックスを閉め、受話器と取れば
個人と故人が交流できる場所に。

吉里吉里海岸へ。

蓬莱島へ。

城山公園へ。

大槌町中心部を望む。阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸より分灯し、ここでも灯されている。

釜石市

鵜住居のいのちをつなぐ未来館へ。

犠牲になられた方々の名前が刻まれた芳名板と津波の高さがわかる黒板。

花露辺(けろべ)地区

震災後、防潮堤と決別し、海と生きることを決めた集落。


大船渡市

ど根性ポプラへ。

17mもの津波に耐え、今も悠然と立つ。

道の駅さんりくで昼飯を挟む。


陸前高田市

14時46分の黙祷に合わせ、道の駅高田松原へ急ぐ。

はじめて訪れた2017年は工事の最中だった。

再び松が大きくなるのを待っている。

海を眺める人、松を見る人、街を見つめる人、遠くを見つめる人、座って楽しむ子ども、献花を持って献花台へ向かう人…。
黙祷。

海から内陸部に向かって続く道にたつ碑。
「この道を より高い所へ 駆け上がれ!」

黄色いハンカチと大漁旗。

発酵パーク CAMOCY
気になる商品が沢山。集う新たな拠点になりそう。

気仙沼市

気仙沼大島大橋を渡って大島浦の浜へ。

大島と気仙沼市街の移動は、今までは大島汽船によるフェリー輸送しかなかったが、道路でつながった。今は遊覧船事業へとシフトした。

気仙沼の中心部へ。

今ではこうして人が集っている。

2017年の当時は真っ更な状態だった。

変化を見て、こんな喜ばしいことはなかった。
(3月11日の旅-プロローグ②もぜひ見てほしい)


安波山展望台

シンボルとなった気仙沼大島大橋と気仙沼湾横断橋、そして市内が一望する。
震災当時、サンドウィッチマンはここで難を逃れたという。

帰ろうとしたところ、若者がえーっ!と叫ぶ。
しばらく会ってなかった知り合いだったみたい。
話が弾むようすを見て微笑ましかった。

先ほど見た気仙沼湾横断橋を渡る。

三陸道ができてたいそう便利になったんだろうと思う。三陸各地を結ぶ45号線はリアス式海岸を走るためカーブや坂が多い。今回の旅では下道をできるだけ使おうと思ったが想像以上に難しかった。2011年に復興道路として事業化し、2021年に全通することとなるが、今後も三陸の復興発展につながればと願う。

南三陸町

南三陸町に着いたときには日は落ちここで終了とした。

季節料理 志のやさんで晩ごはん。
ここで忘れ物に気づき、岩泉小本駅まで戻る羽目になった。ここで三陸道恩恵を受ける。

23時過ぎに盛岡に戻る。500キロほどの旅になった。そして親友と別れ、秋田に戻れば翌1時過ぎだ。

最後に

今回の旅ではじめて訪れた地域が大半だったが、メディアで少しは見聞きしていた。しかし、10年といえど言葉にならない景色ばかりだった。また、ここまで進んでいたとか、まだまだだとか、行かないと分からないことばかりだった。

震災後の街しか見たことがないが、この先10年後はどうなっていくのか、再び親友と行けたらと思う。


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