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子守唄に抱かれて

「冒険の理由」の大人になったさっちゃんが主人公のお話です。
※途中音声が出てきますが、聞かなくても読めます。

 もうすぐ始まる一人暮らしに向けて、私は荷物をまとめていた。こうして部屋の整理をしていると、卒業文集や日記、アルバム、何度も読み返してぼろぼろになった本、18年間がんばってきた勉強に使った教科書やノート、幼いときの宝箱……たくさんの懐かしい物たちが次々と見つかって、一向に荷造りが進まない。来週にはここを出る。そんな思い出の詰まった品々や、砂遊びをしたり水やりをしてきた庭、壁のシミ、馴染んだ部屋の様子なんかを目に焼きつけながら、荷造りを進める。

 洋服ダンスから、少し大人っぽい服を選んで取り出し、一枚一枚ダンボールに詰め込んでいく。すると、小ぶりの木箱と、これまた小ぶりのプラスチックケースが出てきた。木箱の中にはへその緒が、ケースの中にはカセットテープが入っていた。
 へその緒は生まれて初めて見る。カラカラでしわしわのへその緒。これが、私とお母さんを繋いでくれていたんだなぁ。カセットテープなんて、久しぶりに見たなぁ。まだ聴けるかな。
 どんな音声が吹き込まれているんだろう。家を出たら、ラジカセなんて買う予定ないし、帰省したときにしかかけられない。聴いてみるか。十年ぶりくらいにラジカセのスイッチを入れ、カセットテープをセットする。ドキドキしながら再生ボタンを押す。カチッ

 ああ、これは……私が幼稚園の年中のとき、母が妹を生むために入院していた間に吹き込んでくれたものだ。お母さんっ子の私は、預けられた祖父母の家でぐずって祖父母をよく困らせたものだった。お見舞いに行っても、かえらないーの一点張り。引きずられるようにして帰った。たまに来てくれる父も帰したくなくて、あの頃今以上に忙しかった父にも迷惑かけたなぁ。そんな私を見かねた母が、この一本のカセットテープを手紙と一緒にくれた。

「さびしくなったらおかあさんとおもってきいてね。そしてこれをよんでね。おじいちゃんとおばあちゃんのいうこと、よーくきくのよ」
 それからというもの、幼稚園から帰ったら手紙を読んで、寝るときはいつもこのテープを聴いた。どんなに寂しくても安心して、いつも全部聴き終える前に眠ってしまう、寝つきのいい子どもだった。
 母の優しい声が心地よくて、耳に染み込んでくる。しばらく流していると、今まで聴いたことのない母の声が入っていた。
「ねえ、さっちゃん。おかあさんね、さっちゃんがきらいだからいじわるしてさびしくさせてるんじゃないんよ。さっちゃんのこと、だーいすき。おかあさんね、いまさっちゃんのいもうとをうむためにがんばってるんよ。さっちゃんはね、もうすぐおねえちゃんになるんよ。うまれたら、このことなかよくしてあげてね。さびしくさせてごめんね。あ、いま、いもうとちゃんがおなかをけったよ~。げんきなこやね~、よかったわ。さっちゃんとまたいっしょにいられるの、おかあさんもたのしみにしてるから、もうすこしまっててね」
 私は、ラジカセに耳を擦りつけるようにして、耳を立てて聴いた。小さな私はこれを聴く前に寝てしまっていたけれど、今、大きくなった私の中に眠る子ども心が、ぽーっとあったまるのを感じた。妹が生まれてから、やっと帰ってきたと思った母は、妹にかかりっきり。今ならしょうがないと割りきれるけれど、五歳児にはそれは難しかった。おかあさんおかあさんと呼び、構ってくれない母が、私より妹が大事で私のことを嫌いになったんだと思って、悲しかった。そうじゃないよ、さっちゃんもおんなじくらいだいすきなんだよ。そんな母の声が聞こえた気がした。手の中でぽん、ぽんと撫でられながら、抱き締められているような心地がした。テープが終わると、また巻き戻して聴いた。

「幸子ー。ごはんよー」
 もう、幸子ったら。何回呼んでも下りてこないから部屋に来てみれば、部屋を散らかしたまま寝ちゃって。本当にこの子は、小さい頃からよく眠る子だったわね。あんなに小さくて、おかあさーんって泣いてた子が、もう一人暮らしかぁ。
 あら、これは。あのときのテープじゃない。これを聴いて眠っていたのね。あのときは、それはもう大変だったわね。退院して、本当はお母さんのところに帰ろうとしたけど、いやだいやだって聞かなくて、きつかったけどアパートに戻ったのよね。赤ちゃん返りして困ったなぁ。そんなさっちゃんが、18歳なんてね。はー。あっという間だったなぁ。

「んぅー。ん……あれ、お母さん?」
「幸子。ごはんできたよ。実幸も待ってるよ」
「え、もうそんな時間? ごめーん」
「ほら。早く下りといで」
「はーい」
 私は寝ぼけ眼を擦りながら、緩慢な動作でカセットテープを取り出す。ケースになおしたそれを胸に当て、ダンボールに入れた。引っ越して落ち着いたら、小さいカセットプレーヤーを買おう。そう決めて、おいしいごはんのにおいのするリビングへと続く階段を駆け下りた。

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