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冒険の理由

「お宅の娘さんがうちの子を校区外へ連れ出したんです。もううちの子と遊ばせないでください!」
受話器をとると、怒りを露わにした母親の声が耳をつんざいた。ガチャンと電話が切れる。
15年前の、春休みの土曜日深夜のことである。

***

団地のある丘を下った校区外の橋で、娘たちは発見された。
子ども三人で夕暮れ時にいるのを心配した通行人が保護してくださったと連絡が入り、慌てて交番へ向かった。
私たち夫婦が最初だったため、子どもたちを送り届け帰宅した。
友人のひとりのご両親からは、迷惑をかけてと丁重に謝られ、むしろうちの娘が誘ったようでと平謝りした。そのご両親とは付き合いも長く、とにかくみんな無事でよかったと安堵し合い、これからもよろしくお願いしますと別れた。
もうひとりのお宅は、ご両親は仕事でいないとのことで、出迎えた祖父母に謝罪すると、やはり無事でよかったと許していただいた。
本当に、何事もなくてよかった…
見つかった場所は、交通量の多い、団地から2kmほど離れたところだった。小学生の足ではずいぶん遠いところになる。何かあってもおかしくなかった。

その日の深夜、お会いできなかった母親から、怒りの電話がかかってきたのである。
早口でまくし立てられるのを聞きながら、とにかく謝り倒した。

***

娘は、ひとりでも友人とも、毎日のようにいろんなところへ遊びに行く。
田舎なので、すっかり野生児に育ってしまった。
公園で木に登ったり、裏手のお墓にこっそり忍び込んだり、セミやトンボ、アメンボ、ホタルを素手で捕まえたり、籠いっぱいに野苺狩りをしたり、秘密基地を作ったり…
今時希有な体験をたくさんしており、話を聞くたび自分の幼少時代を思い出す。
お墓に勝手に行ったら駄目、人がいないところで木に登らないように、校区外へは子どもだけで行ってはいけない。
きちんとそう言い聞かせれば、ちゃんと言うことを守る聞き分けのいい子だ。まして、友人も巻き込んで危険なことをするような子ではない。
何か理由があるはずだ。でも、いったいどうして。

「さっちゃん。どうしてこんなことしたの。」
つとめて柔らかい声音になるようにして問う。
「…」
「さっちゃん。何も言ってくれないと、お父さんもお母さんもわかんないよ。」
「…」
その日も翌日も、夫といくら尋ねても、娘は口をつぐんだままだった。

***

月曜日の朝、学校から呼び出しを受け向かうと、娘と友人ふたりが担任の先生と待っていた。
ほどなくして、友人のひとりの母親が到着する。電話の母親は、仕事で来られないという。
子どもたち三人は俯いていた。

「みんな、お母さんたち、心配したのわかるよね。」
先生の言葉に三人が頷く。
「校区外へ行っちゃ駄目なのも、わかったよね。」
再び頷く。
「ちゃんと反省したのはよくわかりました。次からはしちゃいけないよ。」
「「「はい。ごめんなさい…」」」
「よし。じゃあ、先生、お母さんたちとお話ししたいから、教室に戻っててくれるかな。」

「娘さんたちから、なぜあの場所にいたのか聞かれましたか。」
私たちは首を横に振る。
すると、先生は微笑みながら続ける。
「木田さん、一昨日ご結婚記念日だったそうですね。おめでとうございます。」
突然のことに面食らう。
「どうしてそれを。」
「幸子ちゃん、お母さんたちにプレゼントを買いに、ふたりを誘ったそうです。ふたりも、日頃の感謝をご両親に伝えるために、一緒にプレゼントを買いに行ったんですって。でも、プレゼントが買えるのは一番近くても校区外のショッピングモールまで行かないといけないから行ったものの、思いの外遠くて、帰り着く前に保護されたと。」
しばらく二の句が継げなかった。
「お祝いしたかったご両親にむしろ謝らせてしまった不甲斐なさで、どうしても言い出せなかったみたいです。ちゃんといけないことはいけない、それはみんなの安全のためだからだよって伝えて、きちんと納得してくれました。お母さんたちもきっと叱っていらっしゃいますよね。優しい賢いあの子たちなら大丈夫です。だから、愛情たっぷりに抱き締めてあげてください。」
「「はい。ありがとうございます。」」
熱くなる目頭を押さえて、娘を迎えに教室へと急いだ。

***

「さっちゃん。」
「お母さん…」
「おいで。帰ろう。」
椅子に縫い付けられたかのように、そこから動こうとしない娘のほうへ、歩み寄る。
「さっちゃん。先生から聞いたよ。プレゼント、買いに行ってくれたんだってね。」
娘は目を見開いた。
「プレゼント、見せてくれる?」
「…お母さん…ごめんなさい。ごめんなさいー」
娘が堰を切ったように泣きじゃくるのを、精一杯抱き締め、背中を擦った。

しばらくして泣き止んでから、改めて話しかけた。
「プレゼント、見せてほしいな。」
おずおずと、ランドセルから小さな包みをふたつ取り出した。
洒落た巾着から中身を取り出すと、ハートの連なったストラップだった。
「お父さんと、おそろいの、ストラップ。」
胸が熱くなり、堪えきれなかった涙を隠すように、もう一度ぎゅーっと抱き締め、何度も「ありがとう」と言った。

帰って夫に話し、改めて娘からプレゼントが贈られ、ふたりでいっぱい抱き締めた。

***

あれから15年。
あれ以降も結婚記念日は毎年祝ってくれていたが、社会人になり忙しいようで、最近は結婚記念日の電話もご無沙汰だ。
それでも、もう壊れて付けられなくなったあのストラップを今でも大切に保管しており、記念日には必ず巾着から取り出している。
結婚記念日は、娘の大冒険記念日でもある、大切な特別な日だ。

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