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旅の遺伝子

「千マイルブルース」収録作品

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さて、この作品の舞台は、寂れたコインスナック。
この静かにたゆたう空気がわかる方と、私は仲間になりたい。


旅の遺伝子

「兄さん、バイク? 降ってきたよ」
 深い眠りから目を覚ました俺に、どこかの男がそう言った。しかし寝起きで頭がぼんやりとし、ここがどこだかわからない。俺は長イスから上体を起こし、首を巡らした。レトロな自販機が壁に並び、粗末なテーブルと、壊れたゲーム機がある。天井の蛍光灯は一本切れ、片隅にあるクモの巣では枯葉が揺れていた。声をかけてきた初老の男は、テーブルの端にいた。発泡スチロールの容器から蕎麦をたぐっている。他には誰もいない。
 そうだった。ここは寂れた県道沿いの、うらぶれたコインスナックだ。
 俺は昨日、この近くのキャンプ場に泊まった。だがうるさい団体客のためにまったく寝られず、今朝出発し、ここを見かけて寄ったのだ。そして仮眠しようと、タンクバッグを枕に長イスに寝そべり……。
 頭の中はようやく晴れてきたが、窓の外は霧雨で煙っていた。ひさしの下の俺のバイクはまだ濡れていないが、視界を横切る県道はすでに雨で黒ずんでいる。敷地に停まるロングのバンはこの男のものか。俺は腕時計に目をやり驚いた。数十分のつもりが、五時間も寝てしまった。まあ、急ぐ旅ではない。カッパもあるし、とりあえずは模様眺めだ。
 俺は欠伸あくび をかみ殺し、汁を飲み干す男に向いた。
「……朝は晴れてたんですがね。こっちの天気、なんか知ってます?」
「今夜は雨だってさ……」
 ごっそさん、と容器をテーブルに置き、男が口元を手で拭いながら俺を見る。
「でも、明日は快晴らしいよ。兄さんは急ぎの旅?」
 俺は首を振った。
「気ままな商売なんで、明日中に帰れれば」
「ああ、それなら私と一緒だ。だけどバイクは難儀だよね。疲れるし、濡れるし……」
 そう言いながら俺のバイクに目をやった男が、「お仲間かい?」と訊いてきた。見ればヘッドライトがひとつ、雨の県道を逸れ、こちらにやってくる。流行りの大型スクーターだ。俺のバイクの隣に鼻先を突っこみ、ひさしの下でヘルメットを脱ぐ。顔に幼さの残る、まだ青年だ。もちろん知らぬ奴だが、雨宿り仲間には違いない。しかしツーリングにしては荷物もなく、着ている物も薄い。
 困惑顔の青年がスクーターを降り、滑りの悪い引き戸に手をかけた。
 

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