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旅人(たびうど)

「千マイルブルース」収録作品

落ち葉が舞う季節になると、ぼくは思いだす。
ケンジさんのことを。
今ごろ、どうしているんだろう……。

※サービス画像あり。


旅人(たびうど)


 ぼくが初めてケンジさんに会ったのは、風の強い日の、国道だった。
 いつものように自転車で朝刊を配達しているぼくの前に、カブに乗って現れたんだ。よく見ると店にあるのと同じニュースカブだったけど、新聞は積まれていない。代わりに、荷台にも両脇のバッグにも、いろんな荷物が載せられている。それに、みんなにはない前カゴにも。
「頑張ってるなあ、ボク」
 赤や黄色の落ち葉がくるくる舞う中で、その人はニコッと笑った。ちょっと汚れた格好はしているけど、おっかない人には見えない。としは、父さんと同じ四十くらいだと思う。ぼくが鼻をすすって笑うと、新聞店の名前を言い、知らないか、ときいてきた。
 もちろん知っている。ぼくはそこで四年生の時から、もう二年間、朝刊を配っているんだから。さらいねんの、昭和五十年までは続けるつもり。
 ぼくは新聞店の場所を教えてあげ、また、風に向かってペダルをこぎ出した。
 新聞店に戻ると、さっきのカブが止めてあった。店長が、今度来たリンパイさんだ、とケンジさんを紹介してくれた。リンパイとは臨時配達員のこと。専業さんとは違い、短期間だけ配達の手伝いをする。たぶん、先週病気で入院した専業さんの代わりだろう。そういえば、あちこちに募集のビラが貼ってあったっけ。
 店長は喜んでいたけど、驚いてもいた。バイクの持ち込みは初めてだ、って。ぼくはケンジさんのカブを見た。ナンバープレートに、九州地方の地名がある。すごい。こんな東北の田舎町までこれで来たなんて。

 数日後の学校からの帰り、ぼくは国道でケンジさんを見つけた。夕刊の配達を終えてひと休みしていたんだと思う。カブにまたがり、行きかう車を楽しそうに眺めている。でもぼくには、いつもの、ただの国道にしか見えない。トラックや車、それにバイクなんかが、南や北に行ったり来たり。日本一長い国道だと聞いたことがあるけど、ぼくは町を横切る部分しか知らない。
 飽きずに眺めているケンジさんに、ぼくは話しかけた。
「みんなね、驚いてたよ。順路帳、もう覚えちゃったって。誤配もないし、前カゴに見たこともない新聞の積み方をしているって」
 ケンジさんは笑った。
「あれは、タケノコ、っていうんだ。そういうカタチをしているだろう。ほかの都市では、みんな前カゴをつけて、ああやっているんだよ」
 ほかの都市? 僕はきいた。
「ケンジさんは、いろんな土地に行って、新聞配達をしているの?」
「いろんな土地には、行くな。でも仕事は、新聞配達だけじゃあないよ」
 ぼくはよく理解できなかった。普通、職業はひとつで、いろんな土地にも行かないと思う。首を傾げてた僕に、ケンジさんは言った。
「俺は、ワタリなんだ」
「ワタリ? 渡り鳥のワタリ?」
「うん。それの人間版、かな」
 ケンジさんは、人間版渡り鳥のことを教えてくれた。春の終わり、静岡のみかん農園から出発し、夏から秋は北海道のシャケ缶工場で働く。冬は南下して、沖縄本島や石垣島のサトウキビ畑で仕事をする。ホントに渡り鳥みたいだ……。そして移動の途中でお金がなくなると、こうやって新聞配達の仕事もするらしい。あれ? じゃあ……。
「おウチはないの?」
「昔はあったよ。帰るところは。でも今は、寄るところしかないなあ」
 ちょっと難しい。だけど、家出とは違うみたいだ。
 ぼくは、家出だったらしたいと思う時がある。父さんと母さんがケンカばかりしていて、家の中なのに居る場所がなくて。でも、夢があるから、しない。
「シン、って言ったね。君は、なんで新聞配達をしているんだい?」
「自転車がね、欲しいんだ。うんといいヤツ」
 そう、ぼくの夢。どこまでも走れる、うんといい自転車が欲しいんだ。頑丈で荷物がいっぱい積めて、どんな坂道でもへっちゃらな十五段変速。
 ぼくはポケットの中から、サイクルスポーツ、っていう雑誌から切り抜いた写真を見せた。荷物を満載にした自転車が、何台も海岸に並んでいる。ケンジさんがのぞきこんだ。
「キャンピング車だな。野営場でよく見かけるよ。こいつはいい。でも、高いだろう」
「うん。だけど予定じゃ、あと二年で買えるんだ」
 新聞配達で貰った給料は、半分は学校で必要な物を買うために使い、半分は母さんに貯金してもらっている。お年玉も全部。だから計算すると、二年後には買えるんだ。それを考えると、いつも胸がパッと明るくなる。
「あのね、買ったらね、知らない町をいっぱい走るんだ」
「ここではないどこかをか。おじさんと似ているなあ君は」
 一緒に帰るか、とケンジさんはカブを押して歩き出した。ケンジさんの住む寮は、家への通り道にある。ぼくは、ほかの土地の話をきかせて、とせがんだ。
 長野でハチノコをとる仕事をしていた時、ツチノコを見たこと。北海道でクマにあい死んだフリをしたら、隣でクマが寝てしまったこと。センテイの仕事の募集に行ったら、探偵の仕事で、しかたなくしばらく手伝っていたこと。ワクワクするような話がどんどん出てくる。そして、どんどん先を歩く。知らないはずなのに、どんどん、どんどん。左官屋さんの前を通り、炭屋さんの角を曲がり、お諏訪さまの裏に出て……。すごい、このへんの道をもう覚えているんだ。
「あ、ケンジさん!」
 ぼくはケンジさんの腕を引いて止めた。黒塀に囲まれた、町内会長の家だ。ぼくは足もとを見た。
「ここ、気をつけたほうがいいよ。画鋲がびょうやクギが時々落ちてるんだ。転んでケガをした子もいる」
 この家の息子の、Y君のいたずらだ。ひとつ上で中学生なのに、こんなことばかりしている。一度まいているところを見つけて注意したらケンカになった。だけど家から出てきたお父さんの町内会長は、ウソをつけ、と逆にぼくを叱った。ここの家の人たちは好きじゃない。でも……。
「ここんちのさ、ああいうのが欲しいんだ」
 ぼくは、庭先に見えるY君の自転車を指差した。片倉シルクのキャンピング。十五段変速で、丈夫なキャリアが前後と両輪の脇にある。Y君は取り外しているけど、バッグがいくつも付けられるんだ。空気ポンプや水筒もあるし、革のサドルとドロップハンドルがオトナっぽい。Y君は、中学の入学祝いに買ってもらったと、よく交通公園で見せびらかしていた。でも、誰にも貸さない。それなのにもう飽きたらしくて、最近は別の、ウインカーの付いたセミドロップ車に乗っている。
「毎朝ね、ここに新聞を配る時に見るんだ。いいなあって。でも、かわいそうだよね、放りっぱなしで。ぼくだったらちゃんと手入れして、いっぱい乗るのに」
 そういうもんだ、とケンジさんが言った。
「出会いと付き合いは別モンだからな。相性もある。時期だって関係する」
 言っていることが、ぼくには難しい。黙っていると、ケンジさんがぼくの目を見つめてきた。
「……去年、沖縄が日本に戻っただろ?」
「うん。ぼく、記念切手買ったよ」
「あれが、出会い。でも俺には、いい付き合いが始まったとは、どうも思えない。パスポートがいらなくなったのは助かったけどな」
 Y君の自転車と沖縄県がどう似ているのか、ぼくにはわからなかった。でもケンジさんが言うと、そうなんだ、と思ってしまう。きっと、いろんな事を経験している人だからだろう。
 ぼくはまた、知らない土地の話をせがんで歩き出した。

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