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ぼくは世界からきらわれてしまいたい

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像としての身体と、衝動を宿す肉体。それらの乖離に葛藤する売れないモデルのお話。テーマ上、性描写が多いです。
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記事一覧

ぼくは世界からきらわれてしまいたい #1

立っている。ぼくは立ってしまっている。ぶ厚いコンクリートでひんやり隔絶された空間のなか、ひとりばかげた光量を浴びて立たされている。ライトの向こう側は暗く、その奥行きと事物の配置を隠し、なにか空間が無遠慮な延長そのものとなってむき出しにされている感じがする。ぼくを取り囲む事物も、向こうの人影から聞こえるざわめきも、ぼくとの関わりを欠いたまま、ぼくを手掛かりのない穴のなかにとり残している。不機嫌な空間

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #2

午前のスタジオ撮影が終わり、ぼくはロケバスに乗せられた。中年の女が手渡してきたハンバーグの弁当はバスのなかで強い臭気を放ち、ぼくはそれが自身の内部に入ることを想像してむせかえるような思いがした。口に運ぶと、それはうまかった。ぼくの肉体、内臓がそれを欲していたことに気付き、脳に染みついていく不快な咀嚼音のなか、ソースの色に染まった割りばしの先を、ぼくは憎らしく見つめた。

「午前のぶん、見る?」

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #3

ロケ地は恵比寿の商業施設だった。中庭になっている石畳の広場で、カメラマンや制作陣は先に到着していて、機材を整えていた。その近くで現場監督が、場馴れした様子の若い女と親しげに話している。
ぼくに気付くと、監督が女を促しぼくのほうに寄ってきた。

「午後は彼女との撮影だから」

「ハルです、よろしく」

身体に比して異様に小さな顔は、けれども鋭い輪郭で空間を切り裂くように、彼女の存在に確からしさを与え

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #4

カメラマンが顔を出し、ぼくに彼女を抱き寄せるよう指示を出した。差し出した腕に、自ら包まれようとするみたいにハルはぼくの胸元に顔を寄せた。

彼女の腰に手をまわした瞬間、ミニチュアの臓器しか入っていないような腰回りの細さに、破壊衝動めいた情動が押し寄せてくるのを感じた。腕のなかの物体は力に対してあまりに無防備だった。容易に彼女はその存在を、その評価のまなざしとともに破棄されてしまうことができた。

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #5

※性的な描写を含みます※

次の撮影場所まで移動するバスに、ハルも同乗していた。タブレットで直前の写真をチェックする彼女の顔は、寄り目を練習する小学生のように眼球そのものに意識を集中させて、それから今度は老眼のはじまった管理職みたいに目を細めて小さくため息をついた。ぼくは彼女の意識のうちに自分の存在を感じ、視線を背けた。背中がぱかっと開かれ何かを取り出されてしまうような不気味さが、彼女の方から背筋

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #6

「ねぇ、昨日の撮影で何かした?」

コンクリート詰めにして埋めてしまおうとしていたヘドロ状の物質を、電話口のマネージャーは明確な形として提示するよう求めていた。ぼくの肉体の暗さ、それに対する人々の嫌悪と呆れ、そういうものを、どのように切り取り提示すれば、彼女は納得し、ぼくの側に立ちうるだろうか。

「すいません、なんか体調悪くて」

間を恐れて口に出した言葉は許しを請うような響きにみちて、彼女に見

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #7

三日後、ぼくは銀座のブティックに出勤した。

指定されたとおりにビル横の狭い通路からインターホンを押すと、若い女の声が返ってきた。事務所と名前を告げると、女は肉のこわばりを感じさせる、硬く控えめな調子で少し待つよう伝えてきた。ドアから覗くその女の顔に期待していると、実際に現れたのは青く粉っぽい瞼をした、目尻に皺の目立つ女だった。女の品定めするような鋭い眼光に、ぼくは若い女を期待して昂っていた自身の

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #8

「ちょっと、あなた」

振り向くとアオマブタが気付かぬうちに、ぼくを突き刺すことができるくらいの距離にまで近づいていた。

「ずいぶん姿勢悪いわね、真っすぐに立てないの」

「え、すいません、緊張して」

「一回裏に来なさい。それじゃ立たせられない」

ぼくは地下の休憩室に連れられていった。テーブルの上にあった煎餅を戸棚にしまいながら彼女は言った。

「上半身の服を一度脱いで。テーブルに置いていい

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #9

背後から店員が近づいてくるのを感じ、ぼくは穏やかな笑顔でそれを迎えようと思った。準備した顔の筋肉は、けれども振り向いた先の女の険しい表情によって凍りつき、ぼくは慌てて真剣な、業務に向き合う表情を繕った。それはアオマブタとは別の、背の小さな仏像を思わせる女だった。

彼女はぼくではなくて、その向こうの往来を暗い目で見ていた。気付くと奥にいる他の女も、同様の暗さをそれぞれの目に浮かべていた。咎める視線

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #10

アオマブタに昼休憩を告げられ、ぼくは屋上階へ向かった。滞った血流に、借り物のようなぎこちなさで動く脚を腹立たしく思っていると、上から若い女の店員が降りてきた。彼女の身のこなし方は、ぼくの肉体との接触の可能性を極端に避けようとするものだった。けれどもそれはかえって、彼女の肉体を脅かされるものとして強調していた。

「すいません、この辺コンビニありますか?」

軽薄な鈍感さを装ってぼくは言った。その軽

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #11

昼休憩が終わりに近づくにつれ、内臓の機能は正常に戻っていき、息をひそめていた空腹が目を光らせはじめていた。仕事が終わるまで彼は伏せたままでいるだろうか。不安が、自身の健全な機能に沸き立つ肉体を尻目に、低い温度のまま脳を焦がしていった。

ところが溜まった尿が、どこかから転移してきたみたいに膀胱に重くのしかかり、より緊急性の高い肉体の要求を伝えた。階段を駆け降り、地下の従業員用トイレのドアノブを勢い

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #12

脊椎から魂を吸い取られたみたいに、身体が自分のものではなくなって、それは雑然とした元素の集まりであってもよく、しかし表を歩くひとたちはそれをひとまとまりのものとして飼い慣らしているように見える。光とか音とかさまざまな粒子が、信号となって脳に摩擦を起こし、生じる欲望、そういうものすら、彼らは従順なペットみたいに躾け終えている。彼らは見られることができる……

ぼくは縋るように、事物との対話をこころみ

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #13

しばらくすると老女が降りてきた。何かを買ったわけではなさそうだったけれども、それまで彼女に応対していたらしいアオマブタは、ゆっくりとした老女の足取りに付き従いながら、ぼくを鋭い目で見た。その目は、帰る客のためにドアを開けるという動作についてさえ、ぼくが信頼に足る人間ではないことを告げていた。

ぼくの開けたドアを通ったあと、去っていく老女の背中に向かってアオマブタは深々と長く頭を下げていた。その疑

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ぼくは世界からきらわれてしまいたい #14

翌日、ブティックの裏口でぼくを迎えたアオマブタは再び、地下でぼくに上裸になるよう命じた。定規を持ち出しながら、彼女はぼくの体調を案ずる言葉を発した。はい、大丈夫です、と答えるこの肉体が、彼女の心労となっていることを思い、身体に疎ましさを感じる。

ぼくの肩をアオマブタが掴んで位置を整える。ぼくがぼくであることが、彼女によって成り立っていると、そんな気がしてくる。

「そう、よかった。今日はね、午後

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