ぼくは世界からきらわれてしまいたい #12

脊椎から魂を吸い取られたみたいに、身体が自分のものではなくなって、それは雑然とした元素の集まりであってもよく、しかし表を歩くひとたちはそれをひとまとまりのものとして飼い慣らしているように見える。光とか音とかさまざまな粒子が、信号となって脳に摩擦を起こし、生じる欲望、そういうものすら、彼らは従順なペットみたいに躾け終えている。彼らは見られることができる……

ぼくは縋るように、事物との対話をこころみた。「君たちはその姿をとらされていることに満足かい?」そうぼくは電柱やマネキン、人々の身に着けるバッグや時計に問いかけた。しかし彼らは応じることなくだんまりを決め込み、その役職を全うしていた。唯一、花壇のツツジだけが応答したように思えたが、花の言葉はぼくにはわからなかった。

それでも、応答関係そのものを失わないよう、ぼくは問いかけを続けた。装飾としての意味をお仕着せられていることについての意見を求めたとき、ドアの向こうに人影があることに気付いた。老女が、はじめて目にする人種を前にしたときのようにぼくを眺めていた。ぼくはここが店であり、彼女が客であることに気付き、慌ててドアを開けた。キツネにつままれた顔をしながら、彼女は確信のない足取りで店内へ入ってくる。

ドアを開けないぼくを彼女は何だと思っただろう。婦人服売り場に立てられた精巧な男性のマネキン? たしかにそれは初めて見る類のものだ、いくばくか前衛的ななにやらを感じさせるものかもしれない。

ぼくが立っていることによって、彼女の世界に隙間ができた。取り繕った笑顔と迎える言葉が白々しく上滑りして、ぽっかりとした空虚が彼女の背中についていった。

老女の不思議そうなまなざしはぼくの胃のあたりに、小鹿ほどの足跡を残した。彼女以外の往来の人間にとって、ぼくはマネキンと同じように、隙間のない意味のうちへと埋もれていることができていたはずだった。けれども、あの、澱みのない世界のうちに生じた一呼吸の間――老女の消費過程のうちに組み込まれていたひとつの記号が、突然役割を放棄した。

本来誰もが誰かの記号であり、消費過程のうちの背景であった。互いは消費する対象とはならない関係、背景としての役割を負わせあう関係。そのうちで老女は、ワープしてきたアフリカの原住民と出くわすみたいに、ぼくと出くわしてしまったのだった。

いま、ぼくの身体が占めている空間に、〈なかったことにされたもの〉がありありと表出し、衆目に晒されているように感じる。往来の誰もが、それをしっかり〈なかったこと〉にして、ひとつの像のうちに収まっている……その事態はぼくにとって途方もないことに感じられる。彼らは彼らを最適化された像のうちに収めるまでに、どれほどの試行錯誤を繰り返したことだろう。

それにしても、彼らのうちの誰一人、そういう像に後ろ暗さを感じてはいないのだろうか。垢人形として晒されている恥辱によって、じっとりと皮膚に浮かんでくる微熱のうちに、ぼくはけれども形の定まらない快への焦れのような感覚を覚えていた。それはいずれ、全裸で街中を闊歩する清々しさ、そういうものへと生育していく萌芽であるように思われた。漠然とした期待……それがぼくのものであるのかも定かでない宙吊りの期待が、ぼくの内側に感じられた。何かから何かを期待されているという、召命の感覚がぼくを打った。

像となった人々のうちから、なかったことにされたものが、期待の熱にふくらみぼくを促している……誰かがそれを引き受けなければならない。人々は自身の像の殻のなかから、切り捨てられた垢人形の醜さを鑑賞したいと思っている。それがなくてよかったと、彼らは安堵したいと思っている。最上のエサとしての垢人形の用途を、ぼくはぼくのうちに見出したのだった。

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