ぼくは世界からきらわれてしまいたい #11

昼休憩が終わりに近づくにつれ、内臓の機能は正常に戻っていき、息をひそめていた空腹が目を光らせはじめていた。仕事が終わるまで彼は伏せたままでいるだろうか。不安が、自身の健全な機能に沸き立つ肉体を尻目に、低い温度のまま脳を焦がしていった。

ところが溜まった尿が、どこかから転移してきたみたいに膀胱に重くのしかかり、より緊急性の高い肉体の要求を伝えた。階段を駆け降り、地下の従業員用トイレのドアノブを勢いよく回すと、そこには鍵が掛かっていた。

絶望しながらぼくは自身の勢いを恥じた。それはプールを欠席した女子をからかった男子が事の次第を知ったときに打たれる、自責の、柔和で粘ついた雷と同じものだった。

ぼくの膀胱の切迫に急かされるようにトイレットペーパーを回す音が響いて、水の流れる音が鳴りやまないうちにドアが開いた。出てきた女の視線はぼくの胸のあたりに向けられていたが、スーツの胸元に威圧されたみたいに女は驚愕した表情を浮かべた。その反射的な筋肉の動きは、ぼくに自身の、脅かす牡の勢いを自覚させた。

「すみません」

マリの言葉は、トイレを占めていたことに対してというよりも、肉体の排泄に関する構造そのものを詫びているように聞こえた。

「いえ、驚かせてごめんなさい、漏れそうで」

言いながら、ぼくは下腹部に溜まったもののうちに、なにやら邪な蠢きが生じているのを感じた。じっさい、マリは兄の自慰を目にしたような紅潮を、どうにか隠そうとしているように見えた。

「ごめんなさい、え、と、ごゆっくり」

場に即した言葉を見出すことのできないまま彼女は、ぎこちない動きで休憩室から出ていった。彼女の尋常ではない急かされ方は、その肉体のうちに、なにか他人に操作されるスイッチが埋め込まれていることを想像させるものだった。

トイレに入ると便器のなかの水面がわずかに揺らめいていた。その周波はぼくの脳と心地よく同期し、けれどもゆらぎの発生源のほど近くに、ぼくは妖しく差してくる鈍色の光を感じた。女の若い肉体、それを統御する重たいリモコンの存在。それはアオマブタたちが握っている、けれどもそれは確かに存在している。リモコンが水の中に落ちて、水面にゆらぎを生じさせている。水の底でリモコンが、光を反射している。そんなイメージがよぎる。

ぼくはペニスを露出し、便器に向かって雄々しく立ったまま放尿した。尿が水面を打って跳ね、その色をみるみる濃くして泡立った。マーキングを終えた犬の誇らしさで、ぼくは身を震わせた。

休憩があけ持ち場に戻ると、午前とは異なる光景があった。日差しが変わって、事物の陰影が異なっているというだけではないようだった。何度もやり込んだRPGのように、あらゆる現象と運動の背後に、規則だったなにか、プログラムめいたものの存在を感じるのだった。人間も事物も薄くなり、世界には奥行きがなくなっていた。

そういう光景と、屋上の景色、あるいはトイレの水面、それらは矛盾せず、ともに世界を編み込んでいるように思われた。世界? しかしこの世界とはなんだろう。垢人形……ミキサー……リモコン……雑多なものと整序されたものが、同じもののうちにあるということについて、ぼくはなにか、表と裏の縫い目の形が符合しないようなもどかしさを感じる。尿と精液を溜めた水袋が、Tの字に吊られて人間の顔をしているというのは、一体どういう事情によるのだろう。

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