ぼくは世界からきらわれてしまいたい #14

翌日、ブティックの裏口でぼくを迎えたアオマブタは再び、地下でぼくに上裸になるよう命じた。定規を持ち出しながら、彼女はぼくの体調を案ずる言葉を発した。はい、大丈夫です、と答えるこの肉体が、彼女の心労となっていることを思い、身体に疎ましさを感じる。

ぼくの肩をアオマブタが掴んで位置を整える。ぼくがぼくであることが、彼女によって成り立っていると、そんな気がしてくる。

「そう、よかった。今日はね、午後にオーナーの息子さんがいらっしゃる予定なの。いま、実質的な経営者はその方。粗相のないようにね」

アオマブタの言葉とともに貼り付けられたTの字が、不気味な重みをもってぼくの骨格を定めた。

着替えを終え一階に降りると、店員の表情が昨日とは異なっているように見えた。緊張のうちに期待を入り混じらせた表情は、女たちのうちのシンデレラ的性質を想起させ、その肌を可憐な色に染めていた。

持ち場についてまもなく、女たちの噂話から、彼女らの表情が今日訪れる重役を迎えるためのものであることを知った。同時にぼくのうちには、そのオーナーの息子の風貌や存在感についての、定まったイメージが形成されていた。濡れた質感でウェーブ状に固められた髪、大きく澄んだ挫折を知らぬ瞳、光沢のあるスーツと時計。それらがひんやりと重たいひとかたまりの風となって、ぼくの横を通り過ぎ、造花のようにあざやかな女たちの歓迎の色につつまれる、そういう光景が脳裏によぎる。女の集団ヒステリーを思わせるその想像に、ぼくはおのずと白けた部外者になっていた。

開店して一時間ほどで、アオマブタが休憩を告げた。

「ちょっと早いけど、ご子息がいらしたときに、ドアマンがいないと印象悪いでしょう。まだお腹空いてないかしら?今から30分、お帰りになったあとに30分って形にしようかしら」

業務の性質上、短い休憩が多くあったほうが好都合だと踏んで、ぼくはそれを快諾した。しかし会ったことのない男に、ぼくの昼飯の時間とかトイレの時間とか、そういうものが規定されていることについて、釈然としない思いが残されていた。その男の見えない掌にはすでに、ぼくの核が握られている……いっぽうぼくのうちにはすでに、男の実寸を大きく超えた像が場を占めている。像としての人間の悲哀、人間を定める像の圧力……

ぼくは屋上に出て、朝に買ったコンビニのおにぎりをほおばった。排泄を想起させる臭気が、ファンから漏れてくる。この場を、男が見ることはないだろう。男の精神世界とこの光景は、別の階層に属するものにちがいなかった。

意味の世界が緊密であるだけ、無意味なものはその圏域から排除される――土や埃やヘドロや便の存在しない、明るい像の支配する世界。咀嚼の音が反響している。黒い海苔と白い米が口内で混じり合って、それはいま濃紺を浮かべているのだろうか。なかったことにされていくその色と、存在している世界とに、どんな連絡がありうるだろう。

灰色の光景のうちにいる自分が、なにか出口のない、ひとつの絵画のなかにいるような感覚に囚われた。その絵は地上から隔離された、重々しい地下倉庫に格納されたまま、存在しない鑑賞者にむかって剥き出しの事物の姿を訴え続けるだろう。ぼくは立ちあがりペニスを露出した。血色と温度がそこにだけあった。その内側にはたらく器官は、しかし事物と何が異なっているだろう?

ぼくは埃にまみれたファンに向けて放尿した。少し重く低い音をたててファンは尿を飛散させ、アンモニア臭が立ち込めた。くっさ、というハルの声を思い出し、ぼくは妙に救われた気分になった。

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