ぼくは世界からきらわれてしまいたい #4

カメラマンが顔を出し、ぼくに彼女を抱き寄せるよう指示を出した。差し出した腕に、自ら包まれようとするみたいにハルはぼくの胸元に顔を寄せた。

彼女の腰に手をまわした瞬間、ミニチュアの臓器しか入っていないような腰回りの細さに、破壊衝動めいた情動が押し寄せてくるのを感じた。腕のなかの物体は力に対してあまりに無防備だった。容易に彼女はその存在を、その評価のまなざしとともに破棄されてしまうことができた。

ぼくはその衝動を抑えつけようとしながら、同時にそれが、なにかぼくを超えたところから、抗いえないかたちでぼくを貫く、ひとつの根本衝動であるように感じていた。それは地層の古い部分と共通する粒子が、ぼくの肉体のうちに見出されるのに似ていた。

しかしその衝動は実現されなかった。それを抑えつけていたのは、ぼく自身の理性的な自制心などではなくて、情動を微塵も反映させない彼女の表情であり、眼球そのものがぼくの存在を捉えているという不気味さだった。彼女の身体を粉砕してしまっても、眼球がその映像をメモリーに刻んでいるに違いないという恐れが、彼女に対する力の感覚を脅かしていた。その映像が世界中の人々に共有され、ぼくが裁かれることまでも、ぼくはありありと想像することができた。

チェックのためにカメラが止まると、ハルはぼくから少し離れてふっとため息をついた。それは古いディーゼル車が吐き出す黒煙めいて、押しとどめていた熱気をいちどに排出するようだった。ため息とともに彼女を覆っていた膜は消失し、生身の女が目の前にいた。ぬめついた蒸気が、ぼくの皮膚に浮かんでくるのを感じる。この女はハンバーグも食べるし、体温があり、排泄もするだろうと思った。

スタイリストが念入りに彼女のファンデーションを直していた。前髪が上げられ覗いた額の一部に、すんなりと色と形を捉えることのできない箇所があった。右の眉から指一本分の間隔を置いて、十円玉ほどの範囲にわたり皮膚が黒ずみ、他の部分とは異なる質感を表出させている。皮膚と調和しないファンデーションが、梨地のエンボス加工を施したようなざらつきを浮かべていた。

ぼくの視線を察して、彼女が顔を固定したまま目玉だけをこちらに向けた。そこにはぼくの視線を咎める目があった。けれどもぼくはそこを注視し続けた。細かな皮膚の起伏によって、下地にはひび割れた粘土のように不安をもたらす亀裂が交差し、赤黒いふくらみを内包しているようだった。カメラには隠されている彼女の一面に、ぼくは女に性欲があるという情報を仕入れた中学生のような高揚を覚えた。

「あんま見ないでほしいんだけど」

遮断する言葉に、ぼくは中学生と同じように、女の性欲が自分の身には関わりのないことであることに気付いて落胆した。それでも彼のなかには沸々と諦めきれない期待が、腹の奥でとぐろを巻いているのだった。

「内臓は大丈夫ですか?疾患があると、皮膚に出るらしいですからね」

彼女の眉が一瞬、薬剤を吹きかけられた芋虫みたいにうねったが、すぐさま彼女は無表情になって沈黙した。目に見える不具をあからさまに指摘されたというように、彼女はその箇所に沈鬱な意識を集中させていた。スタイリストの女が軽蔑する視線をぼくに向けた。梨地のエンボス加工はぼくのまなざしを跳ね返し、重苦しい鉛のような塊を内臓に感じさせた。

彼女の髪が下ろされ、撮影が再開された。見えなくなった額には依然として不気味な梨地が存在しているはずなのだけれども、彼女はまた膜を張り、自らの額について知らぬ顔、むしろ肉体のうちに循環する一切の分泌物と無縁な顔で、関節の角度を巧みに変化させていた。一方ぼくは鉛の重みを感じたまま、二日酔いの父親みたいに情けない動きを繰り返した。

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