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もしこうしてたら私はもっと幸せだった。Everything Everywhere All at Once を観た

あらすじ

ある時突然、いくつもの世界が並行して存在するマルチバースに飲み込まれてしまった1人の女性。やがて、それぞれの世界に存在する別の自分の記憶や特殊能力を手に入れた彼女は、すべての世界に迫る重大な危機に立ち向かう。

まだ日本では公開されていないようだが、アメリカでは話題が話題を呼ぶ大ヒット映画。評価は今年上映された映画の中でもずば抜けている。

内容はすごく本質的かつ明確なメッセージを派手な設定とアクションやビジュアルに変換した疾走感あふれる作品になっている。しかし、マルチバースモノ特有のストーリー相互関係を説明しようとすると、言語化できる気がしないので予めギブアップして、感想文に徹そうと思う(笑)

本作を観て考えたこと

日本人の感覚でいうと、本作のマルチバースはパラレルワールドといったほうがしっくり来ると思う。

みなさんも
「もしこうしてたらどうなっていただろうか?」と過去の選択を疑ったことはないだろうか?

「もしこうしたらどうなってしまうんだろうか?」と未来への責任の重さを感じたことはないだろうか?

「こうしないとああなってしまう」と不確定なはずの未来を決めつけてしまったことはないだろうか?

その全選択肢の先の世界がパラレルワールドとして存在するのが本作の世界だ。

本作観た私は本作が語る人物像を表す造語を作った。
「エブリシングお化け」

「後悔しないように生きようよ」のパラドックス

そういえば、私はこれまで「後悔しないように生きよう」という名パンチラインに中々共感出来なかった。同時に「人の可能性は無限大だ」という名パンチラインにも共感出来なかった。だいたいこの2つはセットで語られることが多いと感じる。

この2つの名パンチラインは矛盾し合うのではないか?この矛盾こそが、この道徳の時間でも、意識高い系のセミナーでも、どこでも聞きそうなこの人生の教訓の違和感だと思う。

「無限大」という言葉は文字通り、限りが無く大きいことだ。制限なく増え続ける可能性を肯定するのなら、私たちはどうやって疑心なく選択できるのだろうか?そしてその選択を後にも先にも「後悔しない」と言えようか?

この名パンチライン達は、ある選択をした時点での「盲目化」を要求し、可能性を排除することを許容させることで成り立つのではないだろうか。

期待型 エブリシングお化け

「自分は誰にでも成れ、後悔とは程遠い豊かな選択肢が絶対にあるはずだ!」と人は答えを求め続ける。この無限大を手に入れたいという強欲な思考を持つ人々、無限大を過小評価している人々こそ私が唱えた「エブリシングお化け」だ。

その人々は時には活力に溢れているが、よく近道を探している。こういった思考を持つ人がいるからこそ現代社会では誰かが唱えた「あるべき姿」の模倣で溢れかえっている。(もちろん自信を持って言うが、私もその一人である)

高みに上り詰めた人達が本当に正しい選択をして、正しいパラレルワールドに生きているのかは結局誰にもわからない。しかし、それを観ている私達は、私達が欲しい物をその人が手に入れているかどうかで模範解答とする。そして模倣に身を投じる。しかしすぐにまた、自分の人生が果たして正しい選択だったのか?で悩むことになる。

人は「選び違いの後悔」への恐怖から手っ取り早く抜け出そうとするが、「無限大」というスケールを前に一瞬で迷宮入りする生き物なのだ。

そして結局なにも変わらない生活に疲れた「エブリシングお化け」達は目の前にあること全てが「選択の失敗」の結果に見えてしまい人生に幻滅していく。

華やかなアクションと、ビジュアルで派手に仕上がっている本作ではあるが、人が抱える葛藤をものすごく生々しく描いている。

抑制型 エブリシングお化け

別型のエブリシングお化けもいる。
「抑制型 エブリシングお化け」だ。

「こうあるべきだから、こうしなさい」と行動を限定されたり、

「こうなってしまうから、こうしなさい」と未来を決められたり、

「そんなことしてもしょうがないから」と人に自分の未来を諦められたり。

今日までの人生でみなさんにはそんなことはなかっただろうか?

この抑制は選択肢を増やさなければ間違わないと言わんばかりに、「選択肢」を限定して、「無限」と「後悔」を辞書から排除しようとする教え方だ。

しかし、どんな小さな「選択肢」でも意識し始めると、従わなかった場合の「無限」がちらつき始める。
反論の発想として「もしそうじゃなかったら?」と自然に考えてしまう。

結局終わらないサイクルの様に「抑制」は「解放」の願望を呼んでしまう。しかし、そこにまた強めの「抑制」が加わり、それが負担になると、爆発を起こし、自暴自棄になってしまい、すべてを壊そうとしてしまう。すべてが欲しいのに、自分は何も得られないと、人生に絶望する。これもまた「エブリシングお化け」の姿なのかもしれない。

終わりに

じゃあどうすればいいのか?

これについて話すとネタバレを含み始めてしまうから割愛するが、一つだけ。

「エブリシングお化け」になってしまった私たちは可能性の幻に魅了されながらも、目の前のことからは逃げられず、可能性から目を逸らすように「これが私の人生」とこのパラレルワールドのサイクルの中で暮らす。

そのサイクルから抜け出すには、突拍子もないことをしてみる。そうやって今から始まるパラレルワールドを毎日増やすことにある。・・・のかもしれない。

是非見てほしい。この映画は大なり小なり「エブリシングお化け」な私達にとって心に刺さるコト間違いなし。


-YOHUKASHI BLOGについて-


1989年東京生まれ。
アメリカはミシガン州にてマルチメディアのマーケティングと商品企画をしながら、
音楽制作(Youtube)/イラスト(Instagram)/ブログ等をやっています。
アメリカをふらふらしてますが、どこにいても同じようなこと考えてるんですよね。
そんなこんなで場所に依存しない自分を大切にしています。
あと関心あることには素直になったほうが良い。時間が豊かに埋まるから。

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