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「さて、何書こうかな」から始まる、自分とのおしゃべり

「自分と向き合う」

言葉にするのは簡単だけれど、これがまた難しい。

物理的に自分と向き合いたいなら鏡を見れば済む話だが、自分自身の内面、本音や気持ちは鏡を見ても分からない。

自分ってどうなりたいんだろう?自分って何者なんだろう?

そう問いかけてみても、答えが出ずモヤモヤして終わることがほとんど。
答えを出せない自分に嫌悪感を感じてしまうことさえある。

そもそも「自分ってどうなりたいんだろう?」との問いに対してすぐに答えが出せるなら、きっと今こんなことで悩んでいないはずだ。

だから、こういうことは日頃から一日数分でも時間を取って考えることが大事なのだ、大学生の時に読んだ自己啓発本にそう書いてあった、気がする。

結局、たいして自分についてよく分からないまま進学や就職をしていくのが王道の人生と思えば、負い目は感じないけれど、やっぱり僕は自分についてもっと知りたい。

けれど、「自分ってどうなりたいんだろう?」と真っ向から向き合いたくはない、それはあまり捗らないから。

だから、そんなわがままな人間には、文章を書くくらいがちょうど良い。

「文章」と言ってもそれはただの日記ではなく、もしかしたら誰かに見られるかもしれない、そんな適度な緊張感のある環境で公開する文章がちょうど良い。

書く内容なんていつも決まっていないし、最初から伝えたいことがあって、こうして文章を書いているわけではない。

何を書きたいんだろう、何を伝えたいんだろう。

そんな自らへの問いかけから始まる思考の時間、書きたい内容が決まった後も「どう表現したら良いのか」と思考を整理する時間、これらの時間のために文章を書いている。

文章を書くという行為は、うちなる自分とのおしゃべりなのかもしれない。

自分の思いを言葉にしようとすればするほど、その浅はかさや深さが分かる。

自分の中では、まるで壮大な迷路を彷徨っているかのような感覚でも、意外とそれは三行程度のちっぽけな感覚なんて時もあるくらいで。逆も然り。

こうして毎日文章を書いていると、いや、うちなる自分とおしゃべりをしていると、案外自分もおしゃべりな人間なんだと思ったけれど、これは内なる自分がそうなのか、外の自分がそうなのか、分からなくなってきた。

続きは、明日のおしゃべりに回そうかな。

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