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「もう少し時間があれば」と思っている時が、一番ちょうど良いのかも

案外、「もう少し時間が欲しいな」と思っている時が一番ちょうど良いのかもしれない。

日々忙しなく過ごし「もう少し時間があれば」と思っている時ほど、時間を大切にできる気がするし、いざ時間ができた時に有意義に過ごせそうな気がする。

反面、自由に使える時間が多いと、次第に時間の貴重さが薄れてくるし、時間があればあるほど余計なことを考えてしまい行動できなくなる。

あれだけ「時間が欲しい」と願っていたはずなのに。


いざ「余白」を手にすると、持て余してしまう。

「余白」がメインになるとダメなのかもしれない。

それはもはや「余白」とは言わないのだろうけど。


「何もしない時間」は大事だけれど、ほんの少しでいい。

仕事を辞めて、突然人生のウェイトの9割を占めていたものが「余白」になってしまった。余白というか、もはや真っさら。

はじめのうちは新鮮で、「好きに使える時間がたくさんある」ってこんなにも素晴らしいことなのか、と震えた。

震えたと同時に、この生活を維持したいと思った。

けれど、2週間もすると、何もしていない焦り、何も生み出していない罪悪感、このまま何もしなくて大丈夫なのか?という不安、あっという間に余白が負の感情で埋め尽くされた。

不思議なもので、24時間という限られた時間を忙しなく過ごすことで埋めたくなった。

だから、「余白」はほんの少しでいい。

忙しない日々があって、何かに打ち込んでいて集中している時間があってこそ、はじめて「余白」が生きる。


時間に限らず、何かを欲している時は、最もそれを大切に扱える時なのかもしれない。

何かを欲すること、実際にそれを手に入れること、手に入れた後のこと、それらのバランスって難しい。

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