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書きたいことなんて、初めからない

書きたい何かがあって書いているわけではなくて、「何か書きたい」という衝動で書いている。

だから、書きたいものではなく、書けるものを書くようにしている。

それは、「結局、書けるものしか書けない」というある種の開き直りや諦めでもあると思う。

やりたいことはなかなか見つからない。

だから、やりたいことではなくやれることをやる。

それと同じように、書きたいものは別にないから書けるものを書く。

「できること」の積み重ねが「やりたいこと」に繋がる時もある。

多分そういう可能性に期待しているのだと思う。

「やりたいこと」は、天才のひらめきのようにある日突然降ってくるものではなく、じわじわとその距離を詰めてうっすら見えてくるものだ。

仮に、やりたいことが見つかりそうな気配を感じられなくても、できることを積み重ねているうちに、そのできることがやりたいことへ変わる可能性もある。

何かしたくて衝動的に始めた「文章を書く」ということが、次第に自分のやりたいことに変わっていく可能性だって。

「自分は何がしたいのか」

大事。とても大事。

自分の人生の主人公は自分と決まっている。

けれど、「自分は何がしたいのか」を考えた結果、それが何かに加えて「自分」すら見失ってしまうくらいなら、「今自分は何ならできるか」を考えてみたらどうだろうか。

よっぽど現実的で、今を生きている感じがする。

未来についてどれだけ明るいイメージを持とうが、ネガティブなイメージを持とうが、待ち受けているのは「今をどうするか」だけだ。

未来から逆算した緻密な人生プランを計画したとしても、「今」しか生きることができない。


何もしなくてもどんどん時間は過ぎていくけれど、地に足つけて今を生きるって、こんなにも難しかったのか。難しく考え過ぎなんだろうけど。

今の自分はまだ、文章を書いている時くらいしか今に集中できていない。

少しでも油断しようものなら、過去の後悔、未来への希望や不安ばかり考えてしまう。

いっそのこと、ずっと文章書いてようかな。

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