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文章を通して、結局何を表現したいのだろうか

noteで毎日文章を書くようになって、早いものでもうすぐ半年経つ。

ここまで特に「これ」と決めず、思うがままに、様々な形式や内容の文章を書いてきた。

自分は、文章を通して何を表現しているのだろう

書き続けているということは、きっと、自分でも言語化し切れていない“表現したい何か”があるはずだ。

160を超える文章の数々を思い出しながら、自分自身の表現したいものが何か、考えてみた。

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『自らの生き様』

これまでの人生における選択、決断、その時のモヤモヤや葛藤。

苦しかった時も、前に進めた時も、その時のありのままの感覚や感情を書くようにしている。

それらを通して生き様を描いているのだろうか。

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『変わっていくもの』

一つの文章だけでは気づけないけれど、いくつもの文章が連なっていくことで、自分自身の変化、自分を取り巻く環境の変化に気づくことができる。

こうして文章を書いていなかったら、変化に一喜一憂することも、そもそも変化に気づくことさえできなかった。

自分がどれほど変わったのか、ぼくはそれを表現したいのだろうか。

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『変わらないもの』

変わっていくものがある中で、変わらないものもある。

「やっぱり自分ってこうだな」
「これだけは譲れないな」

変化に気づけるからこそ、変化しないものに自然と目が向く。

ぼくは、「変わらないもの」こそ自分軸や自分自身だと思っている。

そんな不変性を表現したいのだろうか。

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『決意』

決意と呼べるほどのものではないけれど、「こうありたい」という願いを文章に込めることがある。

決意のもとに行動できているのか、願いは結局実現したのか、それらを振り返ることは別にしていない。

決意も願いも自分の「意思」だ。

自分の意思を持つことはとても大切なのに、自分の気持ちを言語化したり気づく機会がないと、自分の意思や自分そのものが分からなくなる。

ぼくは、文章を書くことを通して、自分の意思を丁寧に確認しようとしているのかもしれない。

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パッと挙げられたのがこの4つだった。

こうして眺めてみると、『変わらないもの』、『決意』の2つがしっくりくる。

自分の中の、変わらないものに気づきたい
自分の中の、決意を確かめたい

表現の裏側には大小問わず、“エゴ”が見え隠れしている。

これらを表現したくて書いているのかどうかは、まだ自分にも分からない。

けれど、やっぱり自分のために文章を書いていることだけは、確かに実感できた。

奇しくも、何を表現したいのかを探すために、これからも書き続けることになると思う。

海外に行かずとも、そういう“自分探し”のやり方もあるみたい。


▼何も表現できていないTwitter
@yohacu_ogata

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