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自分語りしたって良いのに

自分語りの場といえば、居酒屋が思い浮かぶ。

当時は苦痛だった居酒屋で聞かされる上司の自分語りも、こんなご時世ではすっかり懐かしく、そして古き良き思い出のように感じられる。

もちろん、今では居酒屋へ行かずとも、ネット上で誰でも不特定多数に対して自分語りができるけれども、意外と自分語りできている人は少ない気もしている。

やはり、リアルな場よりも多くの人の目に触れるからだろうか、少し着飾ってみたり、過激な主張をしてみたり、天邪鬼になってしまったりと“素の自分ではない自分”を見せてしまう。

「インフルエンサー」という概念の浸透や憧れが、自分を装飾することに拍車をかけているのかもしれない。

「腹を割って話そう」

武家時代を彷彿とさせるような物騒な合図で始まる“本音のぶつけ合い”は、つながりが希薄になった今だからこそ、僕らにとって必要な時間に思える。

誰しも素の一面があって、ありのままでいられる瞬間があって、自分らしくいられる関係性や環境がある。

そのような裸の状態でいられることに心地よさを感じるし、それを求めている。

だから、相手がどう思うかはさておき、自分語りをすると気持ちが良い。

ただ好きなだけ発散して快楽を得られるだけではなく、自分語りをすることで自分についてより理解が深まることだってある。

誰かに喋るにしても、文章として書き起こすにしても、言葉にしようとする行為が自己理解をもたらす。

何者かになりたいなら、まず自分語りをしてみると良いのかもしれない。

海外では「Who are you ?」との質問に対して、真っ白な答案を埋めなければならない入試問題があるらしい。

僕らは、自分自身についてどれだけ語ることができるだろうか。

自分語りは、居酒屋である必要もなければ親しい友人である必要もない。紙やWeb上、どこでも良い。

僕自身が毎日書いているnoteも、言ってしまえば「自分語り」だと思う。

きっと「くっさいポエム書くなww」、「誰得やねん」などと思う人も少なからずいるだろうけれど、あまり気にしていない。多少は気にするけれど。

ただ、こうして自分語りを続けることで、より自分について分かってきたような感覚はある。

とはいえ、素人の自分語りに付き合わせてしまっていることに申し訳なさは感じているので、居酒屋で自分語りをする上司を見守る部下のような気持ちで、これからもnoteを読んでもらえたら嬉しいなぁ、と。

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