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心のノート #3

2.私の”心のノート”(続き)

#2の続きです。


「エンジニアがモノを作って、食っていくというのは、本当に大変なことなんだぞ」

大学時代に、塑性加工学を教えてくれた教授の言葉です。(私は機械工学を専攻していました)

この言葉は講義の中で聞きました。この教授の試験では、材料の物性値、寸法などの数値がきちんと指定され、有効数字や累積誤差まで考慮した解答を求められました。

そのため、ほかの教授の試験と頃なり、単位を落とす人が多かったです。私も1回目の試験で不合格になってしまい、単位を落とすのでは?とヒヤヒヤしました。

しかし、教授は敗者復活のチャンスを与えてくれました。1回目でダメなら、2回目、2回目もダメなら3回目と、時間の許す限り、何度でも試験をしてくれました。

幸い、私は2回目でなんとか合格しましたが、教授の思想は、「やる気があれば、何度でもチャレンジできる」なのだと思います。

同時に、実務で役立つ内容を試験に設定し、実務の厳しさも教えてくれたのだと感じています。

その教授は、某大手自動車メーカーの中央研究所出身です。私はその先生の研究室ではなかったですが、その研究室に仲の良い同級生がいたため、たまにお邪魔していました。

すると、「おお、また来たね」と暖かく迎えてくださり、教授:「部活なんかやってるの?」私:「陸上やっています」教授:「いいね!私は登山が好きでね・・・」と話が弾みました。

「この”人”の動きが見てみたいんです!!」

研究室時代に、共同研究先企業の女性の言葉です。当時、入社3年目くらいの方だったと思います。

この”人”、とは、”金属材料の中にある結晶粒”を指しています。「電子顕微鏡で結晶粒の動きを見れないか?」と問われたときのことでした。擬人化しています。さすが、材料屋という感じです。

それを聞いた教授は、少し笑っていました。

「泰然自苦!!」

大学院修了時、研究室メンバーからの色紙で、指導教官からいただいた言葉です。「泰然自」の間違いでは?と思っています。それか、「苦」と「若」が似ているので、私が見間違いしているか、のどっちかです。

本当に、堂々として自分を苦しめる?、だとしたら、以下のメッセージが込められているのかもしれません。

  • 虚勢を張って堂々としても、自分が苦しむだけだ

  • 研究室時代にいろいろ苦労したと思うけれど、自分を苦しめるくらいの方が成長する

  • 苦しんでも、それを跳ねのけるくらいのエンジニアになれ!

「内容と所感は明確に分けて書け」「内容は箇条書きで端的に、所感はダラダラ長く書け」

新人時代の指導員の言葉です。東大卒の超エリート、事業のコアとなる製品設計の担当もしており、頭もキレる、誰もが尊敬するとともに、もの言いがキツいために、周囲から敬遠されていた方でした。

「〇〇くん(私)、大変な指導員に当たっちゃったね」「会社に来なくなるんじゃないかと心配したよ」と言われるほどでした。

指導員からは、A4のルーズリーフ用紙に、その日の仕事内容、所感を書くように指示がありました。いわゆる日報です。

指導員は、日報に対して、技術的な話云々よりも、文章の書き方と何を感じ、何を疑問に思い、改善のために何をしたら良いか、に着目してフィードバックをしていました。

フィードバックとしては、

  • 「内容と所感は明確に分ける」

  • 「内容は箇条書きで端的に、所感はダラダラ長く書く」

  • 「いつも付きっきりというわけにはいかないから、疑問に思ったこと、アイデアがあれば、所感にちゃんと書いて欲しい」

内容と所感が混ざっていたり、所感が所感になっていなかったり。特に、所感がかけず、2行程度で終わってしまうことが多かったです。

私は小さい頃から作文が非常に苦手で、国語にも苦手意識をもっていました。本もあまり読まなかったです。

ですが、最近はこうしてブログを書いたり、本を平均月3~4冊読んだりしたおかげで、文章力も向上してきたと思います。

特に、内容と所感を分けて書く、というのは、事実と意見を切り分けるのと同じだと思います。その方が、相手が読みやすく、誤解を与えない書き方になり、自分の頭も整理されると思います。

「お前が輝ける場所はきっとある」「お前には、選択できる道があるから」

入社5年目、上司からパワハラを受けていたとき、あるベテランの方から言われた言葉です。

パワハラで意気消沈し、完全に自信を失っていたとき、個人的に話を聞いてくれた方です。

彼は、私が新人のときから、一緒に仕事をしてきた方でした。私が3年目になって、急激に成長したのを彼は見ていました。そして、彼の目線では、私は今の部署の仕事に向いていないようでした。

  • 「オレは高卒だけど、お前は大卒だ。いろいろな部署にいくチャンスがある。」

  • 「まだ入社して5年だ。定年まであと何年あるか。これからの仕事で、きっと、お前が輝ける場所があるから。」

  • 「今はしんどくても、選択できる道がある。転職したっていいと思う」

「高卒だから選択できない」に対しては、「そんなことはない」と思いましたが、勇気づけられた言葉でした。

「静かな闘志を感じる」

昨年、訳あって部署異動したのですが、その際、グループ長から言われた言葉です。

ここで炎の話をします。

炎は赤いほど低温で、ゆらゆらと動きます。一方、青白い炎は、見かけによらず高温で、動きが少ないです。さらに高温になると、白熱して見えなくなります。

自分のことながら、静かな闘志とは、白熱した炎のようだと思いました。

目に見えないけれど、近づくとものすごく熱い。赤い炎はそれほど熱くなく、ゆらゆらとした動きは、まるで虚勢を張っているようにも見えます。自らの温度の低さ(力のなさ)を誇示しているようにも見えます。

自然の摂理として、暴れているものは安定していないので、安定しようと必死になっているのだと、最近、考えるようになりました。

例えば、放射性同位元素は、放射線を発することで、安定な元素へと壊変していきます。外部からの刺激によって励起された原子は、特性X線を出すことで、安定した状態に変わろうとします。

川の水は高いところから、低いところに流れ、窪地にたまります。その方が安定しているからです。

温度の高い空気の上に、温度の低い空気があると、両者は上下を入れ替わろうとします。その方が安定しているからです。

ヒトも同じです。パワハラ、モラハラ・DVする人、毒親は、外部に自らの不満を放出することで、安定状態に移ろうとします。

放出された言葉や態度によって、周囲(子供や部下など)が励起されてしまう、つまり、不安定になってしまうと、さらなる悪循環を引き起こします。

まるで、核分裂反応のようです。

この核分裂を止める減速材の役割を果たすのは、中性子(暴言、高圧的な態度)を吸収できる人、つまり、糠に釘、のれんに腕押し、何事も受け流せる人だと思います。このような安定な人が増えるほど、世の中は安定していくはずです。

「動」は目立つし、存在感もあります。しかし、「動」が全て良いとは限りません。「静」も必ずその良さを発揮します。

「製品としても、文書としても保証されていなければ、〇〇(製品名)は動かないんだ」

たしかこんな言葉だったと思います。今の部署で一緒に働いている、ベテランエンジニアから言われた言葉です。

失敗が許されない製品ということもあり、品質保証にはかなり気を遣っています。この「失敗は許されない」ですが、「本番での失敗は許されないけど、練習での失敗は許される」と解釈しても良いのではないか?と個人的には思います。

「練習でも本番でも失敗するな」はかなり酷ですし、身動き取れなくなります。

練習は、企画、製品試作、開発段階かと思います。設計、製造段階も練習だと思いますが、後工程に行くほど、失敗すると後戻りが大きくなります。

未知の失敗は許されても、既存の失敗は許されない。既存の失敗は、徹底した仕組みづくりで防げると思います。

過剰品質は否めないです。しかし、それを証明する手立ては、未熟な私にはありません。

まずは、ベテランの言う通り、「型」をマスターすることです。型があり、守破離ができるのだと思います。いきなり、型を破っても、成長は見込めないと思います。

最後に、ベテランから以下のように言われることがあります。

  • 「人の話を聞くときは、メモを取るな」

  • 「メモに集中すると、話の内容、指示の内容を聞き漏らしたり、理解が追い付かないだろう」

  • 「メモしたかったら、後で自分で整理しろ」

まさに、デニール・ヤングの言う、「今のは、”心のノート”にメモっとけ」かと…

おわり


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